71(乙編) 俺、犯人たちを捕まえ、勇者に思いを馳せる。
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水車の設置された小屋の付近では、ゼンキチに指示されたソーニャとスザクが、建物に近づこうとする不審な人物がいないか、注意深く周囲を見張っていた。
人の往来に紛れるようにして、小屋のほうへと接近して来る女に、ソーニャが気がつく。スザクよりも先に察知できたのは、単に女の持つ敵意が少なかったからにすぎない。スザクにとっては、警戒すべきような相手には見えなかったのだ。
「師匠……たぶん、あいつだ。いきなり他人の背後から出て来たように見えた。ひょっとすると、地面に潜れるのかもしれねぇな。道理で兄貴たちが取り逃がすわけだぜ」
言って、ソーニャが応戦しようと前に出る。だが、その体をスザクは制止させていた。
「……その道の人間にも、稽古をつけてもらったのだから、余計な戦いは控えたほうがいい。変な癖がつくぞ」
場数を踏むことは大切だが、それと同じくらい正当な武術も重要である。元拳闘士のミルコとの修行で学んだことが、不用意に上書きされないように、今のうちから努めたほうがいいというスザクの意見を、ソーニャは素直に受け止めていた。
「なるほど。了解だぜ。ここは師匠に任せる」
そんなやり取りをしている間に、ウィロウもまた目の前で佇む2人が、単なる誰かの待ち合わせでないことに気がついた。自治ギルドの人間、あるいは、その協力者であることを察したのだ。
つまり、自分たちが水車を狙っていることを、彼女たちは理解している。
どうするべきかと、ウィロウは迷った。
2対1。
人数だけを見れば、自分が不利であることは間違いない。
だが、相手も自分と同じ女の子だ。
これが男の子であれば、ウィロウに勝ち目はなかっただろう。
しかし、土俵が同じであるならば、まだやれることもあるかもしれない。第一、自分には相手を倒す必要がないのだ。
そのことを忘れてはいけない。
あくまでも、作戦の目標は水車の破壊。
これを達成できるのならば、手段はなんだってよい。邪魔者の排除は、破壊活動を行いやすくするための、数ある方法のうちの1つなのであって、なにも相手を傷つけることだけが、正解じゃないのだ。隙を見て、〚傷爆なる玉〛を発動させる。これだけでいい。
そのためには、相手の背後を取ることが肝要だろう。スピーディーに、相手の不意を突けることを示せば、本来の実力差以上のものを、向こうが勝手に汲みとってくれるに違いない。
何より、それは驚くほどウィロウのスキルと噛みあっていた。
腹を決めたウィロウが、小走りで2人へと近づいていく。応じるように、スザクもまた1歩前へと足を踏み出した。
ウィロウのスキルは、ソーニャが予想したものに酷似していた。他人の影と同化すること、これがスキルの効果だ。
だが、影の同化は、なにも影踏みのように、相手の人影に直接触れなければいけない、というわけではない。ある程度の距離にまで接近すれば、自動的に、吸いこまれるようにして一体化することが可能となる。影と一体化したウィロウの体は、地面に潜っているに等しい。
何百回と、己のスキルを使って来たウィロウである。決して、目測をたがえるようなことはしない。スキルの効果範囲は、自分が誰よりも深く理解していた。
スザクが手を伸ばすよりも早く、黒影凝視が発動。ただちにウィロウの体が、スザクの足下へと消え――ない。
「えっ……」
ウィロウの体は、半分ほど胴体が地面に沈んだ状態で、スザクによって持ちあげられていた。彼女がウィロウの腕を掴んでいたからだ。
「……悪くない動きですが、少々遅いですね」
なんでもないふうに言ってのけるスザク。
だが、当然のように、ウィロウの頭では理解が追いつかない。
黒影凝視の移動速度は、目で見て対処できるようなものではない。初見であれば、なおのことだ。卓越した動体視力の持ち主が、集中した状態で初めて、どうにかそれを女だと理解できる程度のものだろう。ましてや、それを掴んで止めるなどというのは、度を越している。
実際、アジトの周りに集まっていたプロ=ボリだって、ウィロウが入り口から平然と出ていったことに、誰も気がついていない。
悪魔の偶然か。
そうでないなら、スザクも自分と同じように、何かしらのスキルを用いたに違いない。
己のスキルをしっかりと把握しているがゆえに、ウィロウにはその発想がなかった。スザクが、ただの身体能力だけで、自分を破ったという非常識な発想が、ウィロウには欠如していたのである。
ゆえに、ウィロウはスザクの身体能力を誤解する。
自分は絶対に任務を達成しなければならないのだ。この場にいる2人が、一般の通行人であるはずがない。だからこそ今回の件で、いやがおうにも相手は〚傷爆なる玉〛のことを、知らされているだろう。その威力を理解しているに違いない。予定外だが、ひとまずはこの窮地を脱するために、2人の認識を逆用するのだ。
魔動兵器を見せつけるウィロウ。
もちろん、こんなところで爆発させるつもりなど毛頭ない。ウィロウにとっては、2人が怯んで逃げてくれるだけでよかった。
「離れて……! さもなければ、これを使うわ」
精一杯の威嚇を込めて、ウィロウは叫ぶ。
だが、そんじょそこらの魔動兵器が、スザクに脅威として映るわけがなかった。
「……本気で実行したいのなら、相手に警告なんてしてはいけませんよ」
天気の話でもするような気楽さで、スザクがウィロウに声をかける。
罪を犯そうとしている側が、取り締まるはずの側から、悪行をこなすためのアドバイスを受ける。その馬鹿げた事態は、ウィロウの頭をパンクさせるには十分な状況だった。
まるで想定していない反応。
逃げるなり、悲鳴を上げるなりするのが、当たり前ではないのか。
どうしていいのか分からず、ふっと全身から力が抜けてしまう。
手から落ちそうになる魔動兵器。
その重要性を思い出したウィロウが、慌てて手を伸ばす。だが、急いで掴んだせいで、ウィロウは持ち方を誤ってしまう。その意図に反して、〚傷爆なる玉〛のスイッチがオンになったのだ。
細心の取り扱いが必要な魔動兵器に、中途キャンセルの方法などあるわけがなかった。
「嘘……ごめんなさい! 本当にスイッチが……やだ、どうしよう。こんなつもりじゃ……早く、逃げてください! お願いします……」
「それでいい」
満足げにほほ笑んだスザクが、魔動兵器をウィロウから奪い取って、そのまま紙くずを丸めるようなしぐさで、〚傷爆なる玉〛を握りつぶした。内部の魔動石もろとも、粉々に砕け散った〚傷爆なる玉〛は、己の存在理由をまっとうすることができない。おまけに、たとえ爆発していたとしても、スザクは無傷だ。天と地ほどもある身体能力の隔たりは、そのまま超えられない壁となって、社会に厳然と現れてしまうのである。
衝撃的な光景に、今度こそウィロウの思考は、完全に停止してしまった。むしろ、気弱な性格を思えば、その場で失禁をしなかったウィロウを、褒めてやるべきだろう。
こんな化け物が、プロ=ボリにいるなんて聞いていない。
誰がこんな人間とまともに戦えるというのか。
全滅だ。
相手が本気を出して来たら、一瞬でみんな殺される。
サベージたちは無事なのか。
自分には、あそこしか居場所がないのだ。
希勇の志士がいなくなってしまったら、自分は本当に空っぽの人間になってしまう。
そうしたら、自分はどうすればいいのか。
誰が自分に価値を与えてくれるというのか。
怖い。
嫌だ。
恐ろしい。
ほかには何もいらない。希勇の志士にいられるだけで、自分は満足している。
「……」
もはやウィロウに、交戦の意思が全くないことを察したスザクは、彼女の体を引き上げると、その腕を掴むのをやめた。自分が手放されたことに気がつくやいなや、ウィロウは踵を返して駆けだす。目的地は、無論、アジトの拠点だ。
そんなウィロウの背中を見つめながら、ソーニャは釈然としないという面持ちで、スザクに尋ねた。
「いいのかよ、師匠。あんな簡単に逃がしちまってもよ」
「ソーニャには……あの子が、人をあやめるように見えたか?」
スザクの意外な返答に、ソーニャは目を丸くする。
「無理だろうな。ありゃ、そういう性格をしていねぇよ」
「……それが答えだ。ゼンキチ様はなぜか、なるべく生かそうとする。……私も、相手が悪人でない限りは、無闇に切らないつもりだ」
もっとも、その返事は、自分が悪人であると判断すれば、ためらうことなく切り捨てるということを、明らかに含意していた。
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希勇の志士を確保したプロ=ボリは、念のためにこの場で取り調べを行うようだった。
「ルッツ。悪いが、ライ=カーのほうに、無事に捕まえられたと報告して来てくれ」
ダリオロの指示にうなずいたルッツが、一同から離れていく。
あれだけの激しい戦闘を行っても、周りから悲鳴や叫び声が聞こえて来なかったのは、拠点の付近から、前もって住民を避難させていたからのようだ。その手伝いを、別のギルドがしてくれたということらしい。
取り調べといっても、憲兵とは異なり、簡単なものしか行われない。元々、動機からして、犯人は半ば希勇の志士で決定していたのだから、本格的な調査がなされないのも、当然なのかもしれない。……もっとも、俺は憲兵を生で見たことはないのだけど。
俺たちが、そうやってサベージたちの自供を聞いていると、見慣れない顔の女が、アジトのほうへと小走りに近づいて来るのが見えた。
一瞬、俺はライネージ=カーネージの人間だと思ったのだが、サベージの叫びによって、それが誤解であることを理解した。彼女こそが、希勇の志士の3人目のメンバー――ウィロウその人だったのだ。
「馬鹿者が! なぜ、戻って来た!」
開口一番に発せられた言葉に、俺は言いようのない違和感を覚えていた。
最初、それは仲間であるはずのウィロウを、サベージが心配していないからだと思った。だが、よくよく考えると、そうじゃなかったんだ。サベージにとって大事なのは、水車の破壊を達せられたかどうかのはず。そのことについて尋ねるよりも前に、ウィロウを叱責した点がおかしかったんだ。
……サベージからすれば、実際は水車なんてどうでもよかったんだろうか。勇者を信仰する団体なのに? そんなことあるんだろうかと、俺は無意味なところで悩んでしまう。
ウィロウとサベージの関係に思うところがあったのは、なにも俺だけじゃなかった。ホーラスノもまた、居心地悪そうな表情を浮かべて、ダリオロのほうに視線を向けていたのだ。
「ねぇ、あれはどっちかっていうと……」
ホーラスノの言わんとしていることを察したダリオロが、やれやれと言いたげに何度も小さく首を振る。
「彼女は、希勇の志士に、無理やり協力させられていただけなのかもしれないな。……だが、どのような事情であれ、手を貸したことは事実だ。無罪放免というわけにはいかん。せめて、罪人として追放しないことが、俺たちにできる精一杯の情けだろう」
ウィロウの事情に酌量の余地があるのであれば、プロ=ボリの判断は厳しすぎるように思えたのだが、結局、俺には何もいうことができなかった。どのような形であれ、けじめが必要だというダリオロの主張を、それほどおかしいとは思えなかったし、これまでの出来事とは違って、俺が出しゃばっていいのかどうかも、よく分からなかったからだ。
オスカーやスケルトンライダーのときとは、たぶん状況が違う。これは自治ギルドが解決することに、意味があるんじゃないのか。
もちろん、ウィロウの境遇が何も好転しないようなら、俺としても、もっと分かりやすく首を突っこんだだろう。だけど、プロ=ボリの決断は、彼女の立ち位置を変化させないわけじゃない。これまでの彼女を、いじめっ子のパシリにさせられていたと捉えるのであれば、今の状況は、担任の先生に目をつけられたときとおんなじだ。これはウィロウにとっても、希勇の志士から離れるチャンスになる。
でも、きっと俺たちは、サベージとウィロウを誤解していたんだ。
もしも、ウィロウが希勇の志士に、無理やり協力させられているのなら、そして、彼女の能力の低さに対して、サベージが腹を立てているのだとしたら、サベージはウィロウに向かって、どうして逃げなかったのかなんていう言い方で怒らない。だって、ウィロウが足手まといなら、彼女が捕まらなかったところで、サベージたちを助けることなんて、土台できないからだ。
そもそもの部分を俺たちは誤解していたんだ。だけど、そんなことに誰も気がついていなかった。俺自身もそうだ。十全な結果とは言えないにしろ、これでシャフツベリーのコンクールには、支障が出ないだろうと安堵して、一様の成果に満足していたんだ。
サベージに対する刑罰は、翌日に執行されるらしい。今日のところは、これにて解散となった。
ちなみに、スザクは一応手加減してくれたようで、残りの水車は壊れていなかった。
俺は無邪気にも、ほっとして宿屋へと戻っていた。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




