62 俺、どうにか騎乗試合に間に合う。
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予定外のアクシデントこそ起こったものの、カリナは見事に役目を果たした。モンスター狩りで2位の成績を残したのだ。
続く馬上弓術は、毎年、圧倒的な成績を修めていたビルキメが、ゼンキチとの共謀により不出場だったため、順当にエスメラルダが1位を取った。ここまでのエオガリアス家の成績は2位、2位、1位。対するテゾナリアス家は1位、1位、2位である。
馬上試合の成績は、任意競技か必須競技かに応じて、重み分けがなされており、現時点での両家の成績は、9ポイント対11ポイントと評価できる。これは残り2つの種目で、エオガリアス家がテゾナリアス家を上回れば、優勝できることを意味していた。
雌雄を決するのは、次の競技であると誰もが最初から理解していた。騎乗試合だ。
1対1で正面から戦うこの競技で、ディートリヒがケラハーを打ち負かすことができれば、エオガリアス家の勝利は目前となる。
本命の種目が始まることに対して、ディートリヒに気負いはない。たった数日とはいえ、ベロニカやソーニャと共に、ケラハーを倒すための修行を積んだのだ。スザクとの稽古は、ディートリヒがこれまで体験した、あらゆる出来事よりも、数段過酷で強烈だったといえる。その訓練を耐え抜いた自信が、強者を前にしても揺らがない心と、燃えるような闘志をディートリヒに与えていたのだが、本人にその自覚はなかった。
(……不思議と、いつもよりも落ち着いている)
妙な感覚に、僅かなとまどいを覚えたものの、気が散ってしまうほどの強い違和感ではない。自身が臨もうとしている試合に対して、驚くほど集中できている。
体調は万全だ。
治りきっていない無数の傷こそ目立ったが、それも、剣を振るうには支障のないものだった。むしろ、努力が形となって現れた勲章なのだと、己を奮い立たせる希望である。
「やはり、ゼンキチくんは間に合いませんでしたね……」
気難しい顔をして、エスメラルダが口を開く。
ここ数日の修行のかいあって、見違えるほどにディートリヒは成長した。それでも相手の女は、テゾナリアス家が有する騎士団きっての実力者。どれほどの対策を重ねても、過剰ということはないため、渚瑳の使っていた聖剣虎獟を、土壇場で獲得しようと動いていたのだ。スザク1人であれば、⦅朧影の巣⦆に行って帰って来ることも、楽々と余裕であったろうが、封印された聖剣を見つけることは難しい。単独行動という人数の問題はもとより、スザク自身にそういった作業が、絶望的に向いていない。正確さを必要とせず、大雑把な力加減であっても、一様の成果を上げることができるもの。これが、スザクに任せてよい仕事の条件となる。
第一、ダンジョンの場所を理解しているのは、ゼンキチのみなのだ。どうしたって、ゼンキチを連れていく必要がある。これではスザクも、化け物じみた運動性能を持てあましてしまうだろう。
虎獟が最初から使えれば、テゾナリアス家との試合にあっても、戦況を有利な状態で進められる。ゆえに、欲を言えば、ゼンキチたちには、試合が始まる前に戻って来てもらいたかったのだが、そうそう都合よく事は運ばないらしい。短時間でダンジョンを制覇するのも無茶だが、魔法を扱えるケラハーと、武器のアドバンテージがないまま戦うのは、もっと無謀である。ディートリヒが魔法を使えないことは、わざわざくり返すまでもないだろう。カリナのモンスター狩りからも、それは明らかだ。有効な魔法が使えるのであれば、尚蔵画布のストックする選択肢に入っていた。
こうなっては、ディートリヒには時間を稼いでもらうしかない。スザクたちが、必ず虎獟を持って帰って来ることを信じて、防御や回避に専念するのだ。
壊れかけの剣を身につけ、ディートリヒは柵の内側へと足を向ける。
「行け! ディートリヒ。お前なら、やれる!」
ソーニャの声援を受け、ディートリヒは力強くうなずく。スザクの幻影を探すようにして背後を振り返れば、一緒に修行をこなしたベロニカが、エオガリアス家の騎士に対する信頼を、言外に示すように頭を少し下げていた。
エスメラルダとグラントリーを合わせた、4人の気持ちを心に、ディートリヒはケラハーに相対する。
騎士として申し分のない恰好であったが、武具の質が水準よりも低いところまでは、どうしてもごまかせない。たとえ、実際に剣で打ちあっていなくとも、姿を見ただけでケラハーにはそれが分かった。
残念だとでも言いたげに、彼女はあからさまなため息をつく。
「勝負を捨てたか、エオガリアス家の騎士よ。いかに白癩騎士ではないとはいえ、最後までエオガリアス家に残った、忠義者のそなたならば、騎士道にも反しない男だと思っていたのだがな……。どうやらこれは私の買いかぶり、見込み違いだったようだ」
対するケラハーの腰には、2本の剣が佩かれてある。1つは普段用の変哲のないものだが、もう1つの煌びやかな剣は、ディートリヒも知らないものだった。
ケラハーのことを、実力・高潔さともに認めていたディートリヒにしてみれば、彼女の示した明らかな落胆に、憤りを隠せない。
ディートリヒの出身は紫璻の町だ。町と冠していても、そこは小さな共同体で、有力な貴族もいなければ、莫大な富を持つ商人もいない。子供の頃に憧れた騎士という職業に就くには、あまりに不向きな環境であった。
よそから来た人間。
運がよければ、それこそ王都で騎士になれたかもしれない。王家に仕えるという最も名誉のある騎士――白癩騎士だ。当然、相応のふるまいを求められるし、騎士道という厳しい規範も守らなくてはならない。魔法の使えないディートリヒでは、仮に白癩騎士になれたとしても、三流の騎士が関の山であったろう。
それでも、白癩騎士は白癩騎士だ。万が一にもなれたら、故郷に錦を飾ることができる。
だが、そうはならなかった。
初めて訪れた巴苗の町で、ディートリヒはグラントリーの父親と出会ったのだ。
『感銘を受けました。己の名誉にならずとも、命の刻が許す限り、自分のいる町に尽くそうというモーリッツ様の姿に、私は、幼い時に描いていた騎士の面影を見たのです。少なからず、自分に恥じいる部分もありました。だって、私は故郷を捨てて来てしまっていたのですから。それでも、私はエオガリアス家に仕えようと心に決めたのです』
ディートリヒはそう語る。
たとえ、白癩騎士でなくとも、その心意気だけは負けていない。モーリッツに顔向けできないことは何もしていないと、ディートリヒはケラハーの軽蔑を、真正面から受け止めていた。
「これが策謀であることは認めよう。だが、勝負まで捨てたと思われるのは、いささか心外だ。私とて騎士の端くれ。戦いを愚弄するつもりはない」
柵の内側にいるのは、ケラハーとディートリヒだけ。ワグトリアス家に出場する様子はない。
いつものことだ。
結果が目に見えているため、無駄に騎士を疲弊させることはしないのだ。その消極的な姿勢に、観客たちからブーイングも上がるが、常連たちは慣れっこなのですぐに収まってしまう。
場が静まるのを合図に、試合が始まる。
ディートリヒの実力は申し分ない。しかし、ケラハーは優にその上をいく。
剣を交えた瞬間に、ディートリヒはそれを痛感した。
ディートリヒの運動性能は、一般人を脱する7.6。だが、ケラハーのステータスは、間違いなくそれを超えている。
真剣勝負といえども、これは馬上試合だ。巴苗に奉納するものが、殺人であってはならない。加減は必須だ。
しかし、度重なる魔物との実戦で、ケラハーの剣術には、相手を効率よく排除するための、習癖がついてしまっている。その点、ディートリヒの剣術は正統なもので美しい。殊に騎乗試合にあっては、剣の腕前はディートリヒのほうが勝っているといえた。
防戦一方のディートリヒが持ちこたえているのは、馬の差も大きかっただろう。汍瀾は、鍛え抜かれたテゾナリアス家の馬匹にも、全く引けを取っていない。
「あれほどの啖呵を切ったのだ。剣に何か仕掛けがあるのかと警戒したが、そのようなこともない。……いったい、なぜそんな得物を手に取ったのか、まるで理解に苦しむな」
「――ッ」
ディートリヒの返事を聞くそぶりもなく、苛烈にケラハーが攻める。
チバチバ雷撃。
振るわれた刺突と同じ軌道に、雷撃が3度走る。
とっさのことで、ディートリヒは彼女の剣技を、自分の武具で受けてしまう。その脆い剣に、容赦のない魔法を相殺するだけの力は残されておらず、武具は中ほどから砕けてしまった。
破損に基づく武具の交換――狙っていたこととはいえ、いくらなんでもこれでは早すぎる。
(まだなのか、ゼンキチ殿!)
悲鳴のような叫びが、ディートリヒの胸中に広がった。
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俺が巴苗の町に戻って来られたのは、太陽が南中を過ぎてからだった。
広大な牧草地をかき分けるようにして作られた、馬上試合のためのサークル。そこより上がる大歓声が、試合の進行を明確に伝えて来る。
……あの様子じゃ、もう始まっちまっているのか。
決着に間に合ったのかどうかを、一々、世界攻略指南で調べているような余裕はない。ディートリヒが今も必死に耐えていることを信じて、現場に向かうしかないのだろう。
「急いでくれ、スザク」
背中の上で、言われなくとも分かっているはずのことを、俺は無意味に叫ぶ。
スザクとしても、そのつもりで体を動かしているのだろう。
だが、集まった観客の数が多すぎて、思うように会場に近づくことができないでいた。
力任せに突き進むことも、スザクならもちろん可能だが、不用意に頼んで観客に怪我をさせることは、結局、エオガリアス家を不利にする。他家から、試合の結果に文句をつけられてしまえば、あとから順位が変動することだって、ありうるかもしれない。
それならば、強引な方法の中身を変えてしまえばいい。
「スザク、俺をあそこに向かって投げ飛ばせ!」
上空から、ディートリヒに虎獟を落として渡すのだ。
これならば、馬鹿正直に観客の群れとつきあう必要などない。
聖剣をしっかりと抱きしめて、俺はスザクに指示を出す。
「……分かりました。行きます!」
負ぶりなおす要領で、手早く俺の腹と足に手をやったスザクが、槍投げ選手のようにして身構える。
「あれ? ごめん、スザクさん待って――」
自分の体がどうなるのか、気にしていなかった。
「ぎょええええ」
俺の言葉がスザクに届くことはなく、ノータイムで射出される。
化け物じみた運動性能のおかげで、狙いがそれるようなことはない。幸いにも、ぴたりと指定した地点に到達する。その場所とはまさしく、ディートリヒの敗北が決する直前の空中だった。
「ディートリヒ!」
突然、近くより響いて来る自分の名前に、ディートリヒがとまどっているのが目に入る。
すでに武具は持っていない。丸腰だ。
ケラハーの視線が俺を射貫く。気のせいか、彼女は俺を認めた瞬間に、ディートリヒへのとどめを中断したように見えた。
空を見上げたディートリヒが、ようやく俺の到着を理解する。
「間に合ったのか!」
俺はそれ以上何も言わず、ただ手を離す。
頭上より落下して来る聖剣虎獟を、エオガリアス家の騎士はしかと受け止める。直後、俺は柵の外側で生えていた直並鴨茅に激突した。これが、ぎりぎり緩衝材の役目を果たしてくれたので、どうにか死んでいない。……立ちあがれもしなかったが。
「試合中の剣の交換は、違反であるまいな?」
言うやいなや、鞘を投げ捨てるように抜いて、ディートリヒは切っ先をケラハーに向ける。
「……面白い。そう来なくては、剣を交えるかいがない!」
途端に、虎獟の効果が発動する。
抜刀後、常時3つの竜巻が、使用者を護衛するようにして周囲に展開するのだ。剣と連動する竜巻は、切っ先の位置で操作することもできる。極端な話、一切、相手に接近することなく、風の渦だけで攻撃することも可能だ。
明らかに超常と分かる特殊な効果。
それだけで業物と判断するには十分だったのだろう。
分が悪いことを悟るや、ケラハーもまた直前まで自分が手にしていた剣を、明後日の方向に投げ捨てていた。
左手で2本目の得物を抜く。恐ろしく鋭利な白刃が、日の光に照らされて眩しく反射していた。
「使うつもりなどなかったのだが、魔剣が相手ならば不足はあるまい」
あとで調べたところによれば、聖剣も魔剣の1種らしい。勇者たちの使っていた魔剣を、特に聖剣と呼んでいるのだという。じゃあ、魔剣はなんだって? 本当に知りたい? やめとこうぜ。≪効魔石のため、異常現象を起こす武具≫なんて、何を言っているのか俺分かんないよ。
テゾナリアス家の宝刀――鶴霙。
ケラハーの周囲に、太ももほどの大きさもある、馬鹿でかい氷柱が生みだされては、音もなく地面に落下していく。
虎獟に比べて、氷柱の数は多い。
目視で数えられないほどの量ではないが、天空と大地を循環するようにして流れていくため、逐一追うのが困難だ。それでも、同じ瞬間に存在しているのは、多くても7個ほどのように見えた。
痛む体に鞭を打って世界攻略指南を開けば、鶴霙の効果によって出現する氷柱は、ディートリヒの運動性能よりも低いことが分かった。ダメージを食らわないは言い過ぎだが、致命傷を恐れなければいけない数値ではない。
虎獟の竜巻は防御の役目もこなす。早々、鶴霙の攻撃が体にあたることもないだろう。
風を避けるようにして、汍瀾から距離を取ったケラハーが、左手をディートリヒに向けて構える。
僅かに発光する手のひらで、ケラハーが魔法を使ったのだと分かった。
ツアツア火球。
ディートリヒが苦しみに顔を歪めたのは、当たり前のように複数の魔法を扱うケラハーに対して、言いようのない格の違いを覚えたからだったらしい。
火球が竜巻に衝突する。
だが、竜巻は綺麗に残ったままだ。
その光景に、ケラハーが目を見開いて驚く。虎獟の効果を知らない彼女にしてみれば、この反応も無理はない。
(ツアツア火球を弾くか……。すさまじい魔術防御だな)
竜巻は、運動性能8.2相当までの魔術攻撃を防ぐ。手加減したドロシーの威力と同じでは、無力化されるというのだから、さすがに聖剣の加護は尋常じゃない。
魔法では不利と理解したのだろう。ケラハーは素早く剣戟に切り替えていた。
……試合の観戦に、夢中になっている場合じゃなかった。
虎獟を無事に届けてもまだ、俺にはするべきことが残っていたのだ。
世界攻略指南の発動。
聖剣の力で勝てるのではないかと思ったが、まさか向こうも、同等の武器を持ち出して来るなんて想定外だ。楽観的な見方でも、今の戦況は互角。疲弊したディートリヒの体力を思えば、聖剣を手にしてなおも若干、エオガリアス家が劣勢にある。
……逆転のための一手を探さなきゃいけない!
このとき、俺が世界攻略指南でケラハーではなく、その乗っている馬に注目したのは、本当に単なる偶然だった。ビルキメから借りた汍瀾が、テゾナリアス家ごときに負けているはずがないと、確信していたからだ。
「ディートリヒ! 右だ!」
ケラハーの馬は、汍瀾とは全然違う。不出来ではないが、騎手の反応に答えるまでが少し遅い。それは右側に移動するとき、顕著な緩慢さとして現れている。
俺の声を受け、ケラハーが睨みつけるような一瞥を送って来る。
(気がつかれたか……目のいいやつだな)
これでどうにか、互角の勝負にまでは持ちこめただろうか。
あとはディートリヒに任せるしかない。
ケラハーの刺突――直後、雷撃が3回走る。
果敢にディートリヒも竜巻を誘導するが、段々と相手もいなすのが上手くなっている。その成長速度は、不幸なことにディートリヒよりも速い。
「それはもう見切った」
呆気なく、風の加護がケラハーによって薙ぎ払われる。
竜巻の魔術防御は高いが、あくまでもこれは、魔法や邪法に対しての数値だ。単純な物理耐性であれば、それほど強いものではない。もっとも、それでも運動性能で7.4という、ドン引きの数値なので、ソーニャの蹴りでは壊せないことになる。俺は言うまでもない。
もはや死線を越えることでしか、勝機を掴めないと分かったのだろう。覚悟を決めたディートリヒが、ケラハーに迫った。
それに対し、彼女も剣を斜めに構えて、真っ向から応じる。
(消滅した竜巻の復活間隔は、およそ20秒。チバチバ雷撃を避けられたとしても、チパチパ拍手で威力を上げれば、あるいは遠距離からツアツア火球を放るだけでも……。いや、やめておくか。こちらはランタンレースで不正をしているのだ。そこまでムキになることもあるまい)
肉薄する両者。
必然的に、鶴霙の氷柱もまた、ディートリヒに接触することになる。
その重なった箇所から、突如としてチバチバ雷撃が放たれる。
「「なっ!」」
俺とディートリヒが同時に声を発する。
刺突の軌道に沿って再現される雷撃。その魔法は、性質からして単独での発生がありえない。そのルールを捻じ曲げ、強引に成功させたのは、鶴霙の力にほかならなかった。
……油断した! まさか、そんな特殊効果まで持っていたのか。
並外れた集中をしていたからであろう。ディートリヒは、紙一重で直撃を回避するも、雷撃は彼の脇腹を確実に抉っていた。
痛みに声を上げることもなく、ディートリヒは剣に力を込める。
膝下から跳ねあげるようにして振るわれた剣は、ケラハーの持つ鶴霙を手元から吹っ飛ばし、その切っ先を彼女の首元にあてていた。
「……お見事」
満足げにうなずくケラハーに遅れて、大歓声が沸き起こる。
この瞬間、ディートリヒの勝利が確定したのだ。
「よっしゃあ!」
痛みを忘れて俺も、天に向けて拳を突き上げていた。
本命での勝利。これほど喜ばしいことはない。
だが、無邪気に喜ぶ俺のすぐそばで、別の問題が生じていたことを、俺はまだ気がついていなかった。
ディートリヒは重傷だ。エスメラルダも、すでに今期の馬上試合に2度出場している。そして、カリナは馬に乗れない。
ディートリヒがこなす予定だった、牧羊競争の騎手はどうするのかと、エオガリアス家に動揺が走った。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




