第01話 ゲームチェンジャー
時折、時代を大きく変えてしまうような傑物が世の中には現れる。
コンピューター全盛の時代にあっては、古くはビル・ゲイツ。
スティーブ・ジョブズ、ジャック・ドーシー、マーク・ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾス。
あるいは最新のゲームチェンジャーとしては、OpenAIのサム・アルトマン。
彼らは好む好まぬにかかわらず、社会にその姿を現し、莫大な影響力を持つ。
MPという新しい力の存在を提唱したエルヴンアトリエ、その代表者である堺渡、という男の名が一躍有名になってから、数ヶ月が経過した。
医学界に新常識を打ち立てそうな発表をしたその男は、しかしその素顔をほとんど社会に、世間に現そうとしない。
それが逆に異様だった。
エルヴンアトリエは次々と特許とそのプレスリリースを出し、また研究論文を積み重ねている。
それに反して、代表者や論文に名を連ねる研究者たちは、一様にメディアに顔を出さない。
記者会見をせず、上場もしない。
インタビューはあらゆるメディア、出版社のものも断っている。
だが、運命のいたずらか、あるいは何かの縁か。
世間を騒がせている『エルヴンアトリエ』の代表、堺渡氏への唯一のインタビューを、小山は許された。
小山絵美は、雑誌記者としてまだ駆け出しの身だ。
その知らせを受けたとき、彼女は自分の目を疑った。
なぜ私なのか。
なぜ、数多の大手メディアやベテラン記者を差し置いて、名もない若手の私が選ばれたのか。
編集部の誰もが首をかしげたが、彼女はただ、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
会えることに、期待と不安が入り混じった気持ちでいっぱいだった。
◯
小山が事前に調べたところ、堺渡という男は、まだ二十三歳という若さだ。
若い。とてつもなく若い。
奇しくも、大学を卒業して新社会人として活動し始めた小山と同い年。
だというのに、堺はすでに世界を激動させようとしている。
小山が調べて手に入れた写真を見れば、短髪で中肉中背、気恥ずかしそうにはにかむ姿は、どこにでもいそうな普通の青年にしか見えない。
むしろ大学や会社の中にいれば、埋もれてしまいそうにも見える。
だから、彼と対面した瞬間、その印象を大きく覆された。
大阪の南海難波駅の近くにあるホテル内の喫茶店の一角、日の当たる窓際の席に、彼は座っていた。
薄いピンク色のYシャツに、体にピッタリとフィットしたスーツ姿。
たくさんの男女がいるなかで、彼の周りだけ、空気が違って見える。
まるで、その一角だけに、見えないスポットライトが照らされているかのような存在感。
それが気の所為ではないのは、周囲の客やスタッフも、それとなく注意を払っているところからも伺えた。
うわ、本物だ、と思わず心のなかで言葉が生まれた。
小山が近づくと、渡はすぐに立って出迎える。
「はじめまして。エルヴンアトリエ代表の堺渡です。本日はよろしくお願いします」
「雑誌『新世界』の小山絵美です。本日は忙しい中、お時間をおちょりっ、し、失礼しました。お取りいただいてありがとうございます」
「緊張なさっているんですね。俺なんてただの中小企業の若造ですよ。リラックスしていただいて大丈夫ですよ。どうぞおかけください」
「失礼します」
慌てて言い直す小山を、渡は謙遜しながら答えた。
名刺交換をしただけで、小山の手に緊張して嫌な汗があふれる。
テーブルの影でびっしょりになった手を、ズボンの裾で拭った。
リラックスなどとんでもない。
ゆっくりとした、落ち着いた話し方。
その場の空気を自然と支配してしまうような、圧倒的な存在感。
若さゆえの未熟さや軽さは微塵も感じられず、同年齢の気安さも感じられない。
むしろ時代を動かす者だけが持つ、静かな自信と覚悟が感じられた。
大した情報も載っていない名刺を見るふりをして伏せていた目を上げれば、微笑を浮かべながら、悠然とした態度で座っている。
かっと血が昇るのを感じる。
顔が熱かった。心臓がドキドキした。
いけない、平静にならなければ。
心のなかで何度もそう繰り返すことこそが、動転している何よりの証拠。
そんな小山の様子を渡は苦笑を漏らすと、すっと手を上げて店員を呼び止めた。
「飲み物はどうされますか?」
「あ、アイスティーをお願いします」
「では俺も同じものを」
「承知いたしました」
頭の中で描いていた筋書きをすべて忘れてしまい、小山はカバンを漁り、ボイスレコーダーを取り出した。
「ろ、録音させていただいてよろしいでしょうか?」
「構いません。ほら、もうアイスティーが出てきましたよ。ひとまず、飲まれては?」
「は、はい。……あ、美味しい」
「美味しいですよね。僕は実は個人の喫茶店を持ってるんですけど、コーヒーはともかく、紅茶の味では負けを認めます」
「き、喫茶店を持ってるんですか?」
「ええ。ほとんど経営してませんけどね。子供の頃からコーヒーが好きで、喫茶店を持ちたかったんです」
とんでもない情報に、小山は目を見開く。
医学、物理学の常識をひっくり返すような発表をしながら、喫茶店を個人経営しているって、どういう経歴だろうか。
やっぱりこの人は普通じゃなさそうだ。
とはいえ、驚きの情報と、紅茶の美味しさとで、小山はわずかなりとも冷静さを取り戻した。
あるいは、渡によって取り戻させてもらった。
テーブルの上のボイスレコーダーの電源を入れると、小山はソファに座り直し、心身ともに態度を入れ替えた。
「まず、多くの人が知りたいであろうことから、お聞きします。今回の発表は、本当にあり得ることなんでしょうか?」
「MPはあります。これから結果が出て、世の中に受け入れられることは確信しています」
「ですが、現時点では確認できませんよね? 使用されている計測器すらも独自のもので、検証できないと非難の声が上がっているようですが」
「いま一部の査読をお願いしている機関には、測定器を貸し出そうかと考えています」
「おお、そうなんですね」
「はい。第三者機関からの確認は俺も重要視しています。魔力測定器が実際にあれば、一部機関とはいえ追試ができますからね。疑問の声も払拭できるでしょう」
これはまだ発表されていなかった内容だ。
インタビューでの特ダネが出てきたことに、小山は思わずガッツポーズを心の中で構えた。
「今回の発表について、一部では詐欺ではないかという声も上がっていますが、その点についてはどうお考えですか?」
「詐欺もなにも、そもそも俺は投資を募っていません。会社も上場させていませんし、現在は提携のお話もすべてお断りしています」
「そうなんですか? 非常に大きな規模になる発見だと思っていたので、驚きです」
「まったく新しい分野を開拓するのに、外部の声に影響されてしまうのはかなりリスクが高いと判断しました」
「ですが、自己資金だけだと生産性に限界があるのではないでしょうか?」
「もちろんそれはそうです。ですが、どのみち過剰な量産は現時点では不可能に近いんです。この理由については、申し上げられません」
渡の口調は断固としていた。
これは質問を重ねても答えてくれなさそうだ。
小山はそう判断すると、次の質問に移るべく考えを変えた。
「なるほど。では、そもそもMPをどのように発見されたのでしょうか? 多くの方がその経緯に興味を持っていると思います」
「たまたまです。俺はとても運が良かった。本当にそれに尽きると思います」
「運、ですか? 偶然だったと」
「そもそも魔力のような力の存在自体は、はるか古代から、あらゆる地域で観測されてきましたよね。日本では霊能者や陰陽師、中国には仙人、道教があり、ヨーロッパでは魔女が、アメリカのインディアンの方々でも、シャーマンがいます。ですが、そういった摩訶不思議な要素は、科学が取り除いていきました。それ自体は素晴らしいことですが、別の法則を隠してしまったんだと思います。そして、空想の産物だと、誰も気づく機会を持たなくなってしまった」
「堺さんはその法則に偶然気がついた、ということですか?」
「はい。偶然の積み重ねと、少しの好奇心が重なった結果だと思っています。俺は……本当に運が良かった」
「なにか具体的なエピソードとかあったりしますか?」
「そうですね。俺には多くの協力者がいます。特にいま共同で働いている四人の女性の活躍がなければ、今回の研究は絶対に成り立たなかったでしょうね。特に主任研究員であるステラには、本当に力になってもらいました。ただ、彼女は極度の人見知りなので、今後もインタビューに応じることはないでしょうが」
「それは、残念です」
論文にも一番最初に名が書かれていたから、小山もその名前はチェックしていた。
過去の経歴が中東のため、深く追えていない。
彼女が何者なのか、小山は知りたかったが、そこにたどり着くための経験も知識も人脈も、自分にはまだなかった。
「なぜこのタイミングで発表されたのでしょうか?」
「医薬品の特許は、二〇年が設定されています。でもですね、じつは大体の医薬品は特許を一刻も早く取得することを狙うために、商品開発が終わって世の中に販売される頃には、だいたい七、八年ぐらいしか残っていないんですよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。俺達は、この数年以内に新薬の開発を終えて、販売する予定でいます。つまり、特許期間を限りなく残した状態で、かつ理論の証明がなされるギリギリのタイミングを見計らって、このタイミングになりました」
「なるほど……。ちなみに特許申請から秘匿している技術が漏れたりする恐れはないんでしょうか?」
「難しいと思います」
渡はわずかに口元を緩め、まるで当然のことだと言わんばかりの落ち着いた表情で小山を見つめていた。
その瞳には一切の迷いがない。
確固たる自信が漂っている。
背筋を伸ばし、ゆったりとした動作で紅茶のカップを持ち上げるその仕草からも、彼の揺るぎない確信が伝わってきた。
その態度に呑まれると同時に、小山の中には好奇心が強く刺激される。
なぜそんな断言ができるのか。
知りたい。
「それはどうしてでしょうか? 生成AIなんかでは類似のサービスがすぐにできましたよね。新薬の革新性も、認証中に解除されることが多いって調べて出てきたんですが」
「まったく別の問題です。生成AIも既存の新薬も、既存の技術の上に成り立っているものです。プログラミングを、あるいは製薬を、詳しく知っている人ならば、原理を聞けばすぐに理解できる人も、中にはいるでしょう。MPについては誰もその存在自体が把握されていませんでした。既存の技術の転用ができないからこそ、我々のリードは非常に大きなものなんです」
「なるほど……すごい自信ですね」
「まあ、まったく懸念がないわけではありません。どこかの山奥から、仙人や魔女、あるいは修験者が現れて、MPを扱える可能性も、まったくゼロではありませんから」
「いやー、それはどうなんですか?」
「そう。だからほとんど心配はしてないんですが、一応警戒はしています。あとちょっとだけ期待も。もしかしたら本物のハリーに会えるかもしれない」
ジョークだと分かるように両肩をすくめて見せた渡の態度に、小山は小さく笑いをこぼした。
現時点でも十分にファンタジーじみているのだ。
山奥からそんな魔法使いのような存在が出てくることはありえないだろう。
気持ちを入れ替えて、次の質問に移る。
「今後の展望について教えてください」
「当社はこれから臨床試験を行っていき、数年の内に新薬の販売を開始したいと思っています」
「その薬はどのように販売される予定でしょうか」
「今は模索中で、あらゆる可能性を検討しています。政府が高額の価格設定を認め、保険適用をするのか。あるいは自費診療のみで扱うのか、私たちの一存では決めかねる問題です」
「なるほど。今後の動向がとても気になりますね。もし販売方法が決まった際には、ぜひまたお話を伺わせてください」
「その時はより大きな発表になっているとは思いますが、せっかくなのでご招待しますよ」
「よろしくお願いします」
新人記者の小山にとっては、とんでもない大きなチャンスだ。
今回のインタビューも大きな反響を生むはずだ。
それはきっと今後の人生の大きなはずみに繋がる。
次のチャンスも、絶対に掴み取りたい。
「最後に、読者の方々へメッセージがあればお願いします」
「まだ始まったばかりの研究ですが、必ず社会の役に立てると信じています。温かく見守っていただければ幸いです」
インタビューが終わって、小山はボイスレコーダーの録音機能を停止させた。
少しの間無言が続き、ふっと渡が口を開く。
「こんなところでしょうか?」
「本日はお忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。お話を伺うことができて、大変光栄でした」
「こちらこそ、ありがとうございました。素敵な記事にして頂けることを楽しみにしております。小山さんはこれからすぐ立たれますか? このホテルの喫茶店は、おかわり無料なので、ゆっくりされるなら俺が先に出ようと思っていますが」
「あ、そうなんですね?」
「ええ。お仕事をされるのもいいと思いますし。俺はどちらにせよ、これからすぐに出ますので」
「ありがとうございました」
渡がサッと席を立ったため、小山は立ち上がり頭を下げた。
「またお会いしましょう」
颯爽と立ち去る後ろ姿も格好良く、小山はしばらくその背中を見送った。
長い嘆息をしながら、小山は紅茶を飲む。
本当に美味しい……。爽やかな口当たりと、たっぷりの香り。
砂糖を入れてなくても感じられるほんのわずかなお茶の甘味。
「いやー、すごい迫力だったなあ……」
あれで同い年かあ。
信じられないや。
「カッコよかったな……」
インタビュー相手に紅茶代を支払わせていたと小山が気づくまで、あと一〇分。
章分けのやり方どうするんだったかしら。忘れちゃった。
後で設定します。一応これで最終章(かなり長い)になる予定です。





