第82話 恥ずかしい過去
凪の家で一夜を明かした日曜日。家の中で特にする事もなく、昼過ぎからバイトに出ている。
一日限定のお世話される立場は終了しており、バイトに出る事に凪から反論はなかった。
それどころか、彼女は玄関まで見送りに来て笑顔で「頑張ってね」と応援してくれたほどだ。
仕事は変わらないが、いつもより体が軽いのは凪のお陰だろう。
そうして順調に仕事をこなし、夕方よりも早い時間に差し掛かると、客の居なくなった店内で清二が「そういえば」と声を発した。
「昨日はどうだったんだい?」
「……どうだった、とは?」
「泊まりの許可を出したのは僕だけど、凪ちゃんと一線を越えたのかなって」
「ぶっ!」
あまりにも心臓に悪い言葉に咽てしまい、必死に息を整える。
清二の真意が分からずに尋ね返したのだが、一応の保護者としてその質問はどうかと思う。
じとりと目を眇めるが、清二は飄々とした態度を崩さない。
「あの、それ聞きます?」
「当然。女性の家に男性が泊まる事を許可したんだよ? むしろ僕には聞く権利があると思うんだけど」
「普段の報告で、凪さんが自覚していないの知ってるでしょう」
凪のお世話をする事になってから、海斗は一週間に一度の清二への報告を怠っていない。
なので凪と海斗に進展など起きるはずがないし、ましてや一線など越えるはずがないと分かっているはずだ。
呆れ気味に視線を送れば、同じような視線を返された。
「だからこそ、だよ。今回の件で自覚したのかなって」
「……そう言われると、話さない訳にもいかないですね」
普通では有り得ない許可を出したのだから、これまでとは違う事になってもおかしくはない。
万が一の可能性も逃したくないと言われれば「説明するのは嫌です」と言えなかった。
「だろう? それで、どうなんだい?」
「俺は凪さんに救ってもらいましたけど、今のところは現状維持ですよ」
海斗から見て、凪はあまり変わらないと。海斗は変化したと、僅かな言葉で伝える。
それを清二は正確に把握したようで、皺の多い顔が綻んだ。
「現状維持は置いておいて、自分を受け入れて何か変わった事はあるかな?」
「明確に変わったかと言われたら何とも言えませんが、心が軽くなりましたし、凪さんへの想いは大きくなりました」
「そうか。じゃあ、まだ自分を殺して誰かに必要としてもらいたいと思っているかい?」
「思いません。凪さんが、ありのままの俺を必要としてくれていますから」
海斗の上司である清二に全てを伝えるべきか迷ったが、そもそも彼には一度相談しているのだ。
隠す必要はないと、自らの想いを再確認しながら、凪への好意と昔の考えを止める事を胸を張って伝えた。
海斗の予想通り、清二の顔には歓喜のみが浮かんでいる。
「本当に変わったようで何よりだ。昔は僕の為に何が何でも働こうとしてたからね」
「……お金が欲しいのもありましたが?」
「おや? 『清二さんの役に立ちたいんです!』と意気込んでいたのを覚えてるよ?」
「あれはナシでお願いします!」
清二から様々事を叩き込まれた後、何か恩返しをしたいと、血眼になって働いていた時期を蒸し返された。
羞恥で頬が炙られる自覚をしながらも必死に懇願すれば、からからと楽し気な笑みを清二が零す。
「若いって素晴らしいね。まあ、海斗くんの場合はやりすぎだけど」
「……言い訳になりますが、仕方ないじゃないですか」
「分かっているよ。だからこそ、海斗くんが変わってくれた事が嬉しいんだ」
清二は海斗の家庭事情を知っているからこそ、自分を殺そうとするのは仕方ないと納得している。
しかし、その上で海斗が変わった事を喜んでくれた。
恩人であり父のような人の満足気な笑みに、海斗も笑みを浮かべて頭を下げる。
「心配してくれて、ありがとうございました」
「お礼を言われる事じゃないよ。それに、僕にもメリットはあるからね」
「メリット、ですか?」
海斗が前向きになり、凪との距離が縮まった事で、清二がどんな得をするか分からない。
疑問に思って首を傾げれば、何かを企んでいるような悪戯っぽい目を向けられた。
「そう。近々海斗くんに試練を与えようと思っていたからね。その試練の達成の為に、海斗くんが変わるのは良い事なんだ」
「試練ってまた物騒な……。以前のように俺に何かを叩き込むんですか?」
日常ではあまり使わない言葉に昔を思い出し、苦い笑みを落とす。
清二から様々な事を教わった際、彼は決して海斗を甘やかしたりしなかった。
勿論、かなり大変ではあったものの、海斗の力になったので不満など抱いていない。
なので同じ事をするなら喜んで受け入れるのだが、清二はゆっくりと首を振る。
「いや、全く別の事だよ。因みに内容はまだ秘密だ」
「了解です。なら、内容が分かるまでに俺に出来る事はありますか?」
清二が秘密と言うなら、ここで口を割る事はない。
詮索を諦めて何か準備する事はないかと問うと、彼が再び首を横に振った。
「特にないかな。今まで通り、海斗くんは凪ちゃんのお世話に専念してくれ」
「まあ、それでいいなら」
「それと近々とは言ったけど、多分来週の土曜日か日曜日になると思う。正確な日と時間が分かったら事前に連絡するよ」
「分かりました。じゃあ来週は予定を入れないようにしますね」
どうせ海斗の休日は凪のお世話に充てているのだ。当日でなければ時間は空けられる。
とはいえ以前凪や美桜と出掛けた事もあるので、一応気を付けておく。
海斗の言葉に満足したようで、清二が目を細めながら頷いた。
「助かるよ。それじゃあもう少しだけバイトをよろしくね」
「任せてください」
どうやら奥で何か作業をするらしく、清二が引っ込んでいく。
現在客は居ないし、仮に来ても海斗だけで十分対応出来るからだろう。
信頼に応えて清二を見送り、店内に一人となる。
「……後は、凪さんだけだな」
海斗がお世話係を続けられる条件は二つ。
今まで自分を認められなかった海斗が、凪と真正面から向き合えるまで。そして、凪が恋心を明確に自覚するまでだ。
その内の一つはもう済んでいるので、残るは一つとなる。
とはいえあくまで現状維持を続ける条件なので、この二つを解決した後にどうするかは未定なのだが。
「出来る事なら、ずっと凪さんのお世話をしたいけどなぁ」
海斗の金銭問題に凪との関係など、お世話するだけのはずなのに、一筋縄ではいかない。
それでも本心からの願いを、海斗以外誰もいない喫茶店でぽつりと零すのだった。




