第80話 生まれてきたから出来た事
「それじゃあ、失礼しますね」
罪悪感を押し込め、笑顔を浮かべてベッドにきちんと入る。
柔らかなベッドに横になると、桃のような甘い匂いが強く香った。
凪の匂いに心臓の鼓動が早くなり、頬へと熱を送り出す。
とはいえ落ち着かないのは一人だけではないらしく、凪も白磁の頬を赤く染め、はにかみにも似た微笑を浮かべていた。
「……海斗の顔、すっごく近い」
「一緒のベッドに居ますからね」
凪のベッドは大きく、二人で寝ても十分にスペースがある。
窮屈な思いはしないが、普段よりも凪の顔が近いのは間違いない。
そのせいで艶のある銀糸に柔らかそうな頬や、吸い込まれそうな程に綺麗なアイスブルーの瞳やそれを覆う長い睫毛など、彼女の顔がバッチリと視界に入ってしまっている。
素っ気なく答えたが、頬の熱さで海斗の内心はとっくにバレているらしく、凪が楽し気に笑う。
「ふふ、そうだね。ねえ海斗、今日一日お世話されてどうだった?」
「そうですね……。凄く、凄く幸せでした。お世話されるって、いいですね」
空っぽの海斗を、ひたすらに気遣ってくれる凪。
そんな人に嘘をつくのが申し訳なくて、海斗の胸に泥のように溜まっていた醜い本心を、少しずつ口にしていく。
「本当は今日のように、誰かに気にして欲しかったんですよ。出来る事なら、母親に」
「それは――」
「不可能なのは分かってます。……でも、だからこそ、俺はそれを別の形で実現したかった」
今更母親と仲良く出来るとは思っていないし、期待もしていない。
しかし清二から知識を得ていくうちに、海斗にある考えが芽生え始めたのだ。
一瞬だけ顔を曇らせた凪だが、海斗の言葉を受けて首を僅かに斜めにする。
「違う形って、どんな風に?」
「誰かに必要とされる存在になれば、俺の中身が空っぽであっても、誰かに気にしてもらえるという風にですよ」
何せ、血の繋がった親にすら受け入れられなかったのだ。
無償の愛など存在しない。本当の海斗は誰にも受け入れられない。そう考えなければ、やっていけなかった。
だが、海斗の有用性が証明されたら話は違うのではないか。
その想いを自覚してから、より一層清二から学んでいった。
結果として清二から太鼓判を押され、凪に必要とされるようになったのだから、大成功と言っても良いだろう。
苦笑を作って告げれば、凪の顔が気まずそうに歪む。
「それは、矛盾してる。本当の海斗を誰かに受け入れて欲しいのに、海斗はそれを切り捨ててる」
「分かってますよ。それでも、どんな形であっても良かったんです」
与えられたものではあるが、海斗の力を必要としてくれるのなら、何だって、誰だって構わない。
例え、本当の海斗が必要でなくともいいのだ。海斗という存在が認められているのには変わらないのだから。
凪の指摘を真正面から受け入れ、ふっと力のない笑みを落とす。
「必要とされれば、俺にも生まれてきた意味があったと思えますから」
空っぽの海斗が、自らに価値を見出そうとした結果がこれだ。
だからこそ、寝ながらではあるが凪へと頭を下げる。
「こんな形でお願いしても説得力はないと思いますが、俺の力を必要としてください。そうでないと、俺がここに居る意味がなくなってしまう」
凪がぐうたらでも構わない。以前のように凪の生活の殆どを海斗がお世話してもいい。
こんな姿を見たくないと言うなら、ひたすらお世話に徹しよう。
みっともないと自覚しつつも懇願すると、凪がゆっくりと首を横に振った。
「そんなの嫌。私は海斗の力だけが必要なんじゃない。ありのままの海斗が必要なの」
海斗の本音を知りながらも、そんなのは求めていないと凪は真っ直ぐに海斗を見つめる。
一番欲しい答えを得られた事で、目の奥が熱くなった。
「いいん、ですか?」
「勿論。いつもお世話されてばかりの私だけど、私がそう思ってるのは忘れないで」
「……ありがとう、ございます」
凪の温かい言葉が胸に沁み、感情をこらえきれなくなる。
一日に二度も想い人の傍で泣くのは情けないと、顔を隠すために背を向けようとした。
しかし細くしなかやな手が海斗の頬へと伸びてきて、動けなくなる。
「だから、海斗が辛い時はいつでもこうしてあげる」
暗闇の中ではあるが、それでも分かる程に頬を真っ赤に染めた凪が、頬を一撫でしてから頭に腕を回した。
そのまま思いきり引き寄せられ、凄まじく柔らかいものに頭を埋めさせられる。
素晴らしい感覚と甘く濃ゆい匂いに、心臓が壊れそうな程に脈打ち始めた。
「な、凪さん? 何してるんですか?」
「ん? 美桜に抱きつきながら寝た時に凄く落ち着いたから、海斗にもしようと思って」
「ああ、そういう……」
どうやら実体験を元にしただけらしく、海斗を癒す以外の意味はないらしい。
それでも照れていたのは、海斗を意識しているからだろう。
にも関わらず海斗を癒すのを優先するのは優しい凪らしいが、海斗の理性に悪過ぎる。
「恥ずかしいなら、止めてもいいんですよ? 普通じゃない事くらい、分かりますよね?」
「何となく分かるけど、止めない。海斗を癒す方が大事」
「……そんな言うと、甘えますよ?」
これが恥ずかしい事だと、友達がやる事ではないと分かっていながら、それでも凪は続けようとする。
あまりにも海斗に都合の良い展開に口を滑らせたが、返ってきたのは「いいよ」という嬉しさが溢れた声だった。
「その為にこうしてるんだから、遠慮なく甘えてね」
「じゃあ、今日だけ」
遠慮するなという風に頭を撫でられ、抵抗を諦める。
凪の善意に甘えた海斗には、いつか罰が下るのかもしれない。
それでもいいと、凪の胸に顔を埋めた。
「私のお世話をしてくれてありがとう。私を受け入れてくれてありがとう。海斗が側に居てくれて、私は幸せだよ」
「俺の方こそありがとうですよ。…………生まれてきて、良かった」
大した年月を生きていないが、それでも海斗にとって辛い日々だった。
しかし、こんなにも優しい人と巡り合えたのなら、親にすら必要とされなかった海斗の人生にも意味があったのかもしれない。
心を満たす幸福感にぽつりと呟けば、凪が海斗の頭を思いきり抱き締めた。
「ふふ。生まれて来ないと、こういう事は出来ないからね。作戦大成功、かな?」
「はい。完敗です」
凪が事前に宣誓していた事を心から思ったのだ。
素直に負けを認める事しか海斗には出来ない。
凪に抱き締められながらも肩を竦めれば、再び頭を撫でられ始めた。
海斗を寝かしつけるような優しい撫で方に、夕方寝たにも関わらず眠気が襲ってくる。
「……すみません。このまま寝ても、いいですか?」
「勿論」
あれほど緊張する要素だった凪の柔らかさや匂いは、いつの間にか海斗の心を落ち着かせる要素になっていた。
あっさりと許可されて目を閉じれば、少しずつ意識がなくなっていく。
「おやすみ、海斗」
海斗を包み込むような優しさに満ちた声を最後に、海斗は意識を手放したのだった。




