第74話 言われたからではなく
「それじゃあ凪ちゃん先輩、お邪魔しました! またね、天音!」
冬にしては温かい昼下がり。美桜が凪の家の玄関で満面の笑顔を浮かべて挨拶した。
凪が布団に包まって数十分後には彼女が復活し、朝飯というには遅い時間だったので、三人で昼飯を買いに行った。
勿論、昨日の約束通りデザートの材料も忘れず、昼に作って振舞っている。
二人が目を輝かせて食べていたので、大成功だと言ってもいい。
そして流石に家に帰らなければと美桜が言い出し、今に至る。
「ん。いつでも来て」
「またな」
「また来ますね! それじゃあ!」
美桜がエレベーターに向かい、最後に一度海斗と凪に手を振って姿が見えなくなった。
すぐに家の中に戻り、ソファに腰を下ろして一息つく。
一番テンションの高い人物が居なくなったからか、部屋が妙に静かな気がした。
「何か、いつも通りって感じがしますね」
「うん。賑やかなのもいいけど、こういう静かなのもいい」
凪はとっくに普段の平静な態度になっており、朝の慌てっぷりはどこへやらだ。
海斗や先程まで居た美桜が蒸し返していないのもあるが、凪としても忘れたいのだろう。全く思い返す素振りが無い。
再び凪に暴走されても困るし、静かな雰囲気も好きなので、彼女の意見に小さく頷く。
「ですね。まあ、後は晩飯まで特に用事はありませんし、凪さんはゆっくりしてください」
「海斗はバイトに行くの?」
「はい。体を動かしてないと落ち着かないので。でも、すぐに行くわけじゃありませんよ」
凪の家で時間を潰すとなると、スマホを弄るか勉強するか、もしくは本を読むくらいしかやる事がない。
別にそれが嫌という訳ではないが、今日も含めて用事のない時はバイトに出る事にしている。
決して凪と一緒に居るのが嫌なのではないと、安心させるように微笑みながら告げれば、彼女が小さく笑んで息を吐いた。
「そう、なんだ」
安堵と歓喜の混じった微笑に、胸が温かくなる。
バイトでここを離れるのは少し申し訳ないが、一度口にした事は守らなければ。
罪悪感と後悔を胸に押し込めていると、凪が何かに気付いたように「あ」と声を漏らした。
「どうしました?」
「えっと、その……」
先程までの落ち着いた雰囲気はどこへやら。
凪が居心地悪そうに体を揺らし、視線をあちこちへとさ迷わせ始める。
明らかに何か言いたげで、けれど逡巡するような態度は珍しいが、海斗は凪が口にするのを待つだけだ。
「落ち着いて、ゆっくり話してくれればいいですからね?」
「ん。分かってる。えっと……」
理解した割には踏ん切りの付かない微妙な顔をしつつ、凪が口を開いては閉じてを繰り返す。
言いたい事は素直に言う凪の珍しい姿に、何か粗相をしてしまったのかと不安が沸き上がってきた。
しかし待つと決めたのだから言葉は曲げないと、緊張に胸が締め付けられながらも顔は微笑を作ってジッと佇む。
暫くすると「あのね」と不安と期待が混ざった声が耳に届いた。
「海斗の好きな食べ物って、何?」
「……肉料理全般ですが」
思わせぶりな態度の割には質問がありきたり過ぎて、体の力が抜けそうになる。
しかし凪の体は強張ったままなので、まだ質問は続くだろうと気を引き締めた。
澄んだアイスブルーの瞳を見つめれば、負い目があるかのように視線を逸らされる。
「じ、じゃあ、得意な教科は?」
「…………数学、ですね」
「えっと、えっと、いい天気、だね」
「………………まあ、さっき外に出た時は良い天気でしたね」
凪は他人の得意教科など欠片も興味ないだろうし、天気の話など流石に変だ。
溜息をつきつつ、けれど怒っていないと示す為に凪へ苦笑を向ける。
「したい質問ってそんなのじゃないでしょう? どうして遠回りするんですか?」
「……どうして、バレたの?」
「むしろバレないと思っていたのが驚きなんですが」
「う……」
しゅんと肩を下げる凪に肩を竦めて見せれば、彼女がばつが悪そうに顔を俯けた。
凪と話し始めたのは三ヶ月前くらいだが、それから彼女とは濃い時間を過ごしたのだ。
こんなお見合いのような、初めて会った人達が探りを入れるような会話など今更だろう。
変な質問をしてしまう程に、凪の本当にしたい質問は海斗にとって都合が悪いものらしい。
何を言われてもいいように覚悟しつつ、凪を落ち着かせる為に銀色の髪に手を伸ばす。
海斗が髪に触れた事で、凪が肩を跳ねさせた。
「な、何?」
「いきなりすみません。でも、そんなに慌てないでください。何でも聞きますから」
「ん……。分かった」
多少は怒られると思っていたが、凪は海斗の手をあっさりと受け入れる。
梳くように撫でれば、アイスブルーの瞳が気持ち良さそうに細まった。
逸る気持ちは鎮まったらしく、小さな唇がゆっくりと開く。
「……嫌だったら、答えなくていいからね」
「了解です」
「海斗はなんでバイトをしてるの?」
「実は俺、お金が無いんですよ。だからバイトしてるだけです」
あまり答えたくない質問に一瞬だけ隠すか迷ったが、それは凪への裏切りだと思いなおし、正直に告げた。
しかし凪は満足していないようで、おずおずと海斗を見上げる。
美しい顔には、海斗への心からの思いやりが浮かんでいる気がした。
「じゃあ、なんでお金がないの? ……なんで、一人暮らしなの?」
投げられた言葉の前半をそのまま受け取れば、凪が海斗を馬鹿にしていると判断出来る。
だが彼女が言いたいのはそういう事ではないと、続いた言葉と積み上げた信頼関係が物語っていた。
「――」
一番踏み込まれたくない場所へあっさりと入られた事に、体が硬直し思考が固まってしまう。
海斗の態度からデリケートな話題だと察して凪が引いてくれれば良かったのだが、彼女はジッと海斗の言葉を待ち続けていた。
「……それを、どうして知りたいんですか?」
質問に質問を返すのはマナー違反だと分かっている。それでも、尋ねずにはいられなかった。
昨日までの凪は、彼女の知らない海斗を知ろうとしていなかったのだ。
なのにいきなり変化したとなれば、その要因は想像がつく。
(でも、そんなのはどうでもいい)
美桜が入れ知恵したとしても、根底にあるのは凪の意思だ。
ならば、答えを出すのは凪の思いを聞いてからでも遅くはない。
澄んだアイスブルーの瞳を見つめれば、今までの後ろ向きな態度とは違う、真っ直ぐで眩しい視線が返ってきた。
「私は、海斗の事を少ししか知らない。どんな生き方をしてきて、それをどう思っているのか。全く知らなかった」
「別に、知らなくたっていいと思いますが」
「そうかもしれない。でも美桜に指摘されて、初めて私は他人を――海斗をもっと知りたいと思ったの」
凪が今まで抱く事がなかった、痛いほどに真摯な願い。
そんなものを向けられれば、隠してなどいられなくなる。
しかし知らなかった事を知ったとしても、決して良い結果を得られる訳ではないのだ。
凪の覚悟を試す為に、表情を消して凪を視界に収める。
「面白い話なんてないですよ?」
「それでもいい」
「知らない方が良かった、と思うかもしれません」
「そんな後悔なんてしない。海斗の事だから」
何の迷いもなく返ってくる言葉に負けを認め、大きく息を吐き出した。
「……分かりました。なら、凪さんの気になっている事に全て答えます」
「じゃあ――」
ようやく望みが叶うからか、凪が嬉しそうに表情を緩める。
そんな凪の言葉を、手の平を彼女に向ける事によって遮った。
「でもそれはテストが終わって、ある場所に付いて来てもらってからでいいですか?」
「なんで?」
「百聞は一見に如かず。というやつです。見てもらった方が早いんですよ」
決して嘘ではないものの、凪に説明する勇気が欲しいという打算もある。
凪が嫌だと言ったらどうしようかと不安だったが、彼女は満足気な微笑みを零して頷いた。
「分かった。じゃあテスト明けだね」
「はい」
テストはもうすぐ行われるので、凪の質問の答えもすぐに見せられるだろう。
その際に彼女がどんな反応をするのか、僅かに怯える海斗だった。




