第42話 容姿でもなく、学力でもなく
凪が海斗のクラスに来た次の日の昼休み。
普段なら我先にとクラスメイトが教室を飛び出して食堂に向かうのだが、今日は殆どの人が教室に残っている。
食堂組が偶々一斉に弁当へ切り替えた、などという事はなく、凪が来るのを待っているのだろう。
(頼むから放っておいてくれ……)
言えたら苦労しない意見を飲み込み、ゆっくりと授業の後片付けをしながら、視線だけで周囲を見る。
殆どの人が単なる興味本位のようだが、昨日海斗に絡んできたグループが凪に話し掛けようと意気込んでいた。
下手な事はするな、と祈りながら待っていると、廊下からざわめきが聞こえてくる。
すぐに教室の扉が開き、美しい銀色の髪の先輩が顔を覗かせた。
「海斗、来たよ」
「今行きます」
昨日は海斗が緊張で固まっているうちに収拾がつかなくなってしまったが、二度目ともなれば体はしっかりと動く。
そもそも騒動を起こさないようにするには、すぐに教室を出ればいいのだ。
反省を活かして二人分の弁当を持ち、凪の元へ向かう。
しかし海斗よりも早く、先程意気込んでいた男子達が到着した。
「西園寺先輩、ちょっといいっすか?」
「……何?」
媚びるような声に、凪が何の感情も込められていない瞳を返す。
彼女は単に海斗を待っているだけなのだが、拒絶されなかった事で彼等の顔が歓喜に彩られた。
「先輩って、美味しい飯が好きなんですよね?」
「何それ。そんなものに興味はない」
「でも天音の弁当は美味しいんでしょう?」
「友達がそう聞いてたって話ですし、間違いないですよね?」
「……」
明らかに凪は素っ気ない対応をしているのに、彼等は全く動じない。
鬱陶しく思ったのか、アイスブルーの瞳がすうっと不機嫌そうに細まった。
これは危険なサインだと、急いで凪に近寄る。
「お待たせしました、凪さん」
「……あ?」
早く凪を連れて教室を脱出したいのだが、彼等が海斗の前に立ち塞がった。
ちらりとこちらを見た男子達は苛立たし気に海斗を睨み、けれどすぐに貼り付けたような笑みを浮かべる。
「ちょっとくらい話してもいいだろ?」
「すぐに飯を食べなきゃいけない理由でもあるのか?」
「……いや、ないけど」
「ならいいよな」
出来る事なら凪を連れ出したいが、彼等を無視する事は出来ない。
内心で焦りながら答えれば、男子達が海斗と凪の間に壁を作る。
その一部始終を見ていた事で、凪のただでさえ無表情に近い顔から感情が抜け落ちた。
「それで、どうなんですか?」
「私は海斗のお弁当が食べたいだけ。邪魔しないで」
「邪魔してるつもりなんてありませんよ。俺達は西園寺先輩と話したいだけですって」
「そうですよ。西園寺先輩がどんな弁当を食べてるのか興味があるだけです」
「それを貴方達に話す理由はない。それに、仲良くしたいとも思わない」
「「「……」」」
凪の拒絶の込められた鋭い言葉が空気を凍り付かせる。
彼等の作っていた笑顔が固まり、頬が引き攣っていた。
(なるほど、本気で拒絶する場合はこんな感じなんだな)
凪は海斗や美桜、清二を相手にする際は割と和やかに会話するが、嫌だと思った相手は徹底的に拒否するようだ。
初めて見る噂通りの態度は、自らに向けられたらトラウマになるかもしれない程に冷たい。
こんな風に怒らせないようにしなければと決意しつつ、場の空気を変える為に無理矢理男子の壁に割って入る。
「……っと。早く行きましょう。昼休みが無くなってしまいます」
どうせこの場で穏便に収束させるのは不可能だ。
ならば、無理矢理にでも凪と彼等を離した方がいい。
間違いなく海斗へ向けられる妬みが増えるが、覚悟の上だと凪へ微笑みを向ける。
すると、先程までの冷たい無表情は何だったのかという風に彼女が顔を綻ばせた。
「ん、分かった。今日も楽しみにしてる」
人の温度を感じさせる笑みを見たクラスメイトが、ざわりと騒ぎ立てる。
それだけで済むならば良かったのだが、凪に話し掛けていた男子達の誰かが「チッ」と舌打ちをした。
頭の中で危険だと何かが囁き、それに従って急いで歩き出す。
「……偶々気に入られた、勉強だけが取り柄の陰キャが」
教室から去ろうとしていた海斗に、聞こえるか聞こえないかの声。
実際、聞かせるつもりはなかったのだろう。目の前で凪と親し気にされて、頭に血が上ったに違いない。
海斗の成績など興味ないと思っていたが、知られていたのは驚きだ。
しかし特大の地雷を踏み抜いた声が、海斗の隣の少女の耳にも入ってしまった。
「………………へぇ」
底冷えのする呟きを零し、凪が踵を返す。
海斗が止める間もなく彼女は教室の扉へと戻り、男子達に向き合った。
「陰キャの何がいけないの?」
「は、はい?」
「私が誰と仲良くしようと、私の自由。それを何故貴方達に咎められなきゃいけないの?」
「え? い、いやぁ、西園寺先輩、何言ってるんすか? 俺らは何も――」
「容姿や雰囲気で下に見ていいと決めつけて、勝手に人の事情に踏み込んで、何様のつもり?」
「あの、その……」
「勉強だけが取り柄? 勉強が出来る事の何がいけないの? というかそれは私も同じだし、私を馬鹿にしてるよね?」
「いや、西園寺先輩と天音は全然違うでしょう!?」
「違わない。いい加減にして」
必死に悪口を誤魔化そうとする男子達へ、淡々と、けれど冷たい怒りが込められた言葉が放たれる。
海斗が馬鹿にされたのもそうだが、凪は自らを勉強しか出来ないと自虐していたのだ。
凪にとって、彼らの言葉は決して許せるものではないのだろう。
慌てて凪を窘めようとするが、彼女の口は止まらない。
「立場の弱い人間なら何を言ってもいいと判断する。……そんな人は大っ嫌い」
澄んでいたはずの蒼の瞳は濁り、端正な顔は憎悪を露わにする。
海斗が悪口を言われて憤る姿は昨日見たが、流石にこれは過剰ではないか。
戸惑う海斗をよそに、凪が細く息を吐く。
「もしこれ以上海斗の悪口を言ったり手を出したら、絶対に許さない。どんな手を使ってでも貴方達に報復する」
温かさの消えた声からは、絶対に容赦しないという意思が伝わってきた。
彼等も冗談では済まないと思ったようで、顔を青くしながら必死に頷いている。
そんな彼等を凪はただの邪魔者としか認識していないらしく、一瞥すらせずに教室の中を覗く。
「美桜。海斗に何かあったら言って。どんな小さな事でもいいから」
「え?」
事の成り行きをひっそりと見守っていた美桜が、呆けたような声を上げて目を見開く。
その後一瞬で状況を理解した彼女は、にんまりとした笑みを浮かべた。
「まっかせてください! 凪ちゃん先輩の友達であり、私のクラスメイトである天音はちゃんと守ります!」
「お願いね」
これまで海斗と美桜はあくまでクラスメイトという間柄だった。
しかし、凪の発言で学校でも美桜と接する大義名分が出来た事になる。
明らかに楽しんでいそうな美桜に苦笑を向ければ、意地の悪い笑みが返ってきた。
その笑顔を見て大丈夫だと確信したのか、凪が小さく笑んで教室に背を向ける。
「行こう、海斗」
「は、はい」
あまりの状況の変化に付いて行けず、歩き出した凪の後を追う。
ちらりと後ろを振り返れば、自らの行動で美桜と海斗の明確な接点を作ってしまったと自覚したらしい。
がっくりと肩を落とす男子グループが見えたのだった。




