第39話 不穏な空気
「はぁ……」
凪と一緒に海斗が普段昼飯の時に使っているベンチへ辿り着き、溜息をついた。
人通りが少ないので利用しているのだが、今日は隣に凪が居るので、その僅かな人から興味の視線を向けられている。
凪が海斗のクラスに来る時も色んな人に見られていただろうし、下手をすると学校内で海斗が有名になるかもしれない。
勿論、悪目立ちという意味でだが。
「海斗、疲れた? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
形の良い眉をへにゃりと下げて覗き込んできた凪に、微笑みを返す。
多少苦労するのは覚悟の上だったのだ。疲れた姿を見せて、凪をこれ以上気遣わせる訳にはいかない。
「さてと。俺のクラスで結構話しましたし、早速食べましょうか」
「ん。そうしよう」
凪と共に、持って来た弁当箱を開ける。
中身は厚焼き玉子に昨日の晩飯の残りである唐揚げに、少な目ではあるがサラダだ。
事前に凪には確認を取っており『残り物でも良い』と言われている。
「「いただきます」」
手を合わせて昼飯を口に含めば、清二に叩き込まれたいつもと変わらない味が口に広がった。
満足のいく出来に小さく笑みを零し、凪の様子を窺う。
彼女はというと、美しい無表情を和らかく緩めていた。
「お昼に海斗のご飯を食べれる。幸せ」
「こんなの幸せでも何でもないでしょうに。昨日の残りだって入れてる手抜きですし」
「私にとっては幸せなの。それに、朝起きてお弁当を作るのは大変なはず。これは手抜きじゃなくて、工夫なの」
「そう、ですか」
凪の言葉が真っ直ぐ過ぎて、素直に受け止められない。
沸き上がる羞恥を誤魔化すように、顔を俯けて弁当の中身を突く。
海斗の内心は見抜かれているようで、くすりと軽い笑い声が耳に届いた。
「お願いした私が言うのも何だけど、海斗は凄い。毎日お弁当を作るなんて、私には絶対に無理だから」
「弁当を作る理由なんて、なるべく節約しようと思ったからですよ」
「それでも、だよ。海斗は偉い、頑張ってる。そんな海斗の弁当を食べられるんだから、私は幸せなの」
「……っ」
凪は毎日晩飯を摂っている際にお礼を言ってくれる。
その度に胸が温かくなるが、今回は熱いものが込み上げてきた。
凪の世話を辛いと思った事はない。しかし、これまでの苦労が報われたような気がしたのだ。
黙ったままでは駄目だと、引き攣りそうになる喉から必死に声を発する。
「ありがとう、ございます。そんなに喜んでくれるなら、今日の晩飯は豪華にしましょうかね」
「こんなの当たり前だと思うけど、海斗がそう言うならオムライスが食べたいな」
「オムライス、好きですよねぇ」
凪と一緒に晩飯を食べ始めて、もう少しで一ヶ月が経つ。
毎日欠かさず何を食べたいか聞いているが、一番リクエストが多かったのがオムライスだ。
豪華にして良いと言った割にはいつも通りの凪に苦笑を零す。
本人としては大真面目なようで、真剣な顔で頷かれた。
「うん。風邪の時は別として、海斗と一番最初に食べたご飯だし、凄く綺麗だったからお気に入り」
「そんな理由で気に入ってたんですね。ありがとうございます」
「お礼を言われる事じゃない」
初めて凪に作った際に滅茶苦茶感動されたので、気に入ってくれたのは分かる。
しかし、もう一つの理由は正直なところ意外だった。
嬉しさに頬を緩めながら、いつも通りも味気ないなと思考する。
「そうだ。凪さんには悪いんですが、今日はビーフシチューにしませんか?」
「……別に、いいけど。どうして?」
十一月に入って一段と冷えて来ているし、ビーフシチューは体も温まるはずだ。
しかし初めてリクエストが通らなかった事で、凪がしゅんと肩を下げた。
それでも文句を言わない姿に、決してリクエストを無下にした訳ではないのだと口を開く。
「今日はビーフシチューだけを楽しむんです。それで、ワザと残した物を有効活用するんですよ」
「有効、活用?」
「はい。食べたくないですか? 半熟卵のオムライスに、ビーフシチューを掛けた物を」
「…………っ!」
ある意味で奇跡のコラボレーションと言える料理が想像出来たのだろう。
凪がびくりと体を震わせ、澄んだ空のような蒼い瞳に輝きを宿した。
「食べたい! すっごく食べたい!」
「という訳で、今日はビーフシチューにしたいんです。いいですか?」
「うん。それなら喜んでだよ!」
「なら安心しました」
説明しただけで待ちきれないのか、凪がそわそわと体を揺らす。
喜ぶ際は子供っぽくなる凪に目を細め、納得してくれた事に胸を撫で下ろすのだった。
凪と昼飯を摂った後はいつも通り図書室へ向かい、仮眠を取る。
受付の教師が一緒に入ってきた海斗と凪へ生温い笑みを向けたものの、特に説明はしない。
そして予鈴が鳴ってから図書室を退室し、教室へ向かう。
海斗が悪口を言われたらどうしよう、と思って凪は付いて来ようとしたが、流石にお断りした。
辿り着いた教室の扉に手を掛け、思いきり開ける。
昼休みに居なかったクラスメイトも他の人から話を聞いたのか、大勢の目が海斗に向けられた。
「……」
注目の的になったからといって、海斗のやる事は変わらない。
自分の机に座り、次の授業の準備をする。
準備を終えて普段通り机に突っ伏そうとすれば「なあ天音」という声が耳に届いた。
声の方を向けば、クラス内でいつも盛り上がっている男子達が近付いて来るのが見える。
美桜から聞いた話だと、それなりに容姿が整っている人達ではあるものの、女子への馴れ馴れしい発言で少し浮いているグループだったはずだ。
凪が来た際には教室を出ていたので、おそらく他人から聞いた話を確かめたいのだろう。
「天音って西園寺先輩と知り合いだったのか?」
「そうだよ。ちょっとした事で弁当を気に入られて、作ってくれって言われたんだ」
「へぇ……」
ジロジロ、と値踏みするような視線が海斗の体を這い回る。
内心では「何でこんな奴が」とでも思っているのかもしれない。
空気を悪くしたくないのか、それとも騒ぎを起こしたくないのか、悪口を言われないだけまだ救いがある。
「もしかして、付き合ってんのか?」
「まさか。単に弁当の味を気に入られただけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
いくら凪のお世話を続けたいと思っているとはいえ、今の関係は偶然が重なった結果でしかない。
流石に詳細を言う訳にはいかないが、付き合うなど絶対に有り得ないだろう。
敵対する気はないと微笑を浮かべれば、面白くなさそうに彼等の瞳が細まった。
「つまり飯が上手いからって事か。だったら俺らでも西園寺先輩と関われるよな?」
「それはあの人に聞いてみないと分からないよ。今度来た時に聞いてみればいいんじゃないか?」
空っぽの海斗でも、清二に叩き込まれた物には胸を張れる。
少なくとも、一朝一夕で作った料理には負けない。
とはいえ、ここで言い返せば印象が悪くなるのでお茶を濁した。
そもそも海斗は凪を独占している訳ではないし、明日も弁当を取りに来るので話す機会はあるのだ。
好きにすればいいと伝えれば、凪と関わるチャンスが見つかったからか彼等が満足そうに笑う。
「ならいいや」
彼等が去っていき、ホッと胸を撫で下ろす。
いくら孤立しているとはいえ、一部ではあるがクラス内の集団を敵に回して嫌がらせを受けたくはない。
授業に集中出来ないほどに酷くなるのは面倒だし、何より凪が気付いた際が怖いのだから。
「……」
割って入る事が出来ず心配そうな顔で海斗を見ていた美桜に、一瞬だけ微笑みを返す。
こういう時に女子が、しかも人気者である美桜が海斗を庇えば、より海斗が悪目立ちをするだけだ。
それを分かっているからこそ、何もしなかった美桜が頼もしい。
休日の夕方はバイトをしているので、その際にでもお礼を言おうと思うのだった。




