第40話 不満を言い合う仲
校舎内にベルの音が鳴り響き、授業の終わりを知らせる。
その後、学級委員が号令によって一日の終わりを締めくくると、教室内の空気が弛緩した。
帰り支度をしながら、海斗は細く息を吐き出す。
「疲れた……」
昼休みの騒動は確かに大変だったが、それにしても疲労が大きい。
その理由は、午後の休憩時間の度に海斗へクラスメイトの視線が向けられていたからだ。
日頃寝て過ごしているので机に突っ伏しても何も言われなかったものの、視線が痛くて一睡も出来なかった。
今もちらちらと視線が向けられており、この場に居ても良い事はないと、帰り支度を終えて席を立つ。
「おい天音」
気配を消して退散しようと思ったのだが、昼休みの最後に話し掛けてきた男子達が海斗を呼んだ。
気付かないフリをして逃げたくはあるものの、実行すれば明日から教室内に海斗の居場所は無くなるだろう。
緊張に弾む鼓動を意識から外し、彼等に微笑みを向ける。
「どうした?」
「そう言えば聞きたい事があるんだけどよ。お前、西園寺先輩と知り合いだって事は、一ノ瀬とも仲が良いのか?」
「一ノ瀬? ……ああ、そういう事か」
唐突に美桜の名前が出て来て困惑したが、凪が海斗のクラスに来た際、彼女は美桜と親し気に話していた。
海斗と凪が教室を出てから美桜はクラスメイトに質問攻めにあっていたようだが、尋ねられたのは凪と美桜の関係だけだったのだろう。
結果として、凪経由で海斗が美桜と仲を深めているのか、あの場では誰も気にならなかったらしい。
しかし、時間が経って万が一の可能性に気付いたようだ。
(……気持ちは分かるけど、露骨に警戒し過ぎだろ)
クラスメイトである美桜はもちろんの事、凪と親しくなりたい人は沢山いる。
しかし凪は噂もあって近付けず、彼等も今まで諦めていた。その代わり、美桜とは積極的に話していたに違いない。
そんな中、教室内で歯牙にも掛けなかった男が急に凪と親し気になった。
これで美桜とまで親しかったら、彼らは海斗に憎悪を向けるだろう。
実は美桜と親しい関係なので、既にグレーゾーンどころかレッドゾーンなのだが。
「クラスメイトはクラスメイト。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「それは本当か?」
「嘘だったらただじゃおかねえぞ?」
「まあ、凪さ――西園寺先輩経由で少し気にしてもらってるかもしれないけど、俺は詳しい事なんて知らない」
つい癖で「凪さん」と呼んでしまいそうになり、慌てて訂正した。
海斗が凪を名前呼びしていると既に彼等は知っているかもしれないが、余計な火種は無くしておくべきだろう。
ほんの少しだけ親しいという可能性を述べれば、不満そうに鼻を鳴らされた。
「そういう事かよ。ならいいや」
「おこぼれをもらってただけだな」
「そりゃあそうだよな。はー、無駄に気にしちまったぜ」
気に食わないが、かといって目の敵にする程ではない。
そんな風に納得した彼等が、海斗の傍から離れていく。
最後にちくりと悪意の棘で刺してきたのは、牽制だろうか。
流石に悪く考え過ぎだと苦笑を零し、教室を後にする。
正門を出て数十分。凪の家へゆっくり歩いていると「天音」と穏やかな声が掛かった。
有り得ないと思って振り向くと、美桜が柔らかく笑んで近付いて来ている。
「……皆にバレたら何か言われるぞ」
「大丈夫だって。人が居ないのは確認済みだし、私は凪ちゃん先輩経由で天音を気にしてるんでしょ?」
顔を引き攣らせて注意するが、美桜はにやりと意地の悪い笑みを浮かべて言い返してきた。
先程の男子達との会話の際に美桜も教室に居たので、聞き耳を立てていたのだろう。
今更離れろと言う訳にもいかず、溜息をついて肩を落とす。
「そういう事にしてくれ。嘘をついて悪かったな」
「謝るのは私の方だよ。助けに行けなくて、ごめん」
「気にすんな。一ノ瀬の立場は分かってるつもりだ」
「……ありがとう」
普段の少し面倒くさい美桜からは考えられない、しゅんと眉を下げた素直な謝罪に目を見開く。
それほどまでに、何も出来なかった自分を情けなく思っているのだろう。
今回の件は凪と海斗が勝手に始めた事なので、美桜に非は一切ない。
何とかして元気を出してもらわなければと「ハッ」と鼻に掛かった笑い声を漏らした。
「あいつら陰キャの俺の発言を一々気にしてたんだよな。情けないと思わないか?」
「ふ、ふふっ、そうだね。私にどれだけアプローチしても駄目だったからって、天音を目の敵にしてた」
海斗は聖人ではないので、非難の言葉が口から遠慮なく出る。
元々、他人からの悪意を黙って耐える気は全くないのだ。
そういうものは右から左へと流せばいいし、流す作業も慣れているのだから。
単に、多少の苦労で波風が立たないなら、あの場だけ我慢すればいいと思って行動しただけでしかない。
海斗の思惑が美桜に伝わったようで、彼女の口からも遠慮のない言葉が出る。
「大体さぁ、あいつら毎回アプローチが露骨過ぎるんだって。下心あるのが丸分かりなの」
「お? モテて嬉しくないのか? 人気者さんよ」
「人気者言うな!」
「あだっ!」
ワザと怒らせるように揶揄えば、美桜が学生鞄の角で殴ってきた。
勢いはなかったので怪我はしないが、微妙に痛い。
顔を顰めて睨むと、不機嫌の色を隠さない瞳に見つめ返される。
「私は単に、私を救ってくれた人に誇れる人でありたいだけ。その為に大勢の前で胸を張ってるだけだよ。それを周囲が勝手に持ち上げただけなんだから」
「へぇ……。一ノ瀬を救った奴が居るんだな。どんな完璧超人だよ」
容姿に学力、更に家柄と、欠点のない美桜を救える人が居たらしい。
恐らく、単に愚痴を聞くだけだった海斗よりも、その人は具体的な方法で美桜の支えになっているのだろう。
ならばその人に愚痴を聞いてもらえばいいのではと思ったが、何か特別な事情があるのかもしれない。
美桜との関係は気に入っているので、無くしたくはないと尋ねる言葉を飲み込んだ。
すると、何故か美桜がじとりと目を細める。
「何だよ」
「……はぁ。何でもない」
「さいですか」
理由は分からないが、呆れられたようだ。
どうせ聞いても答えてくれないので、肩を竦めて流す。
美桜も引き摺るつもりはないのか「そう言えば」と明るい声を発した。
「最近は凪ちゃん先輩のお世話に掛かり切りなんだよね?」
「ああ。バイトに出るのは土日くらいだな」
「ふむふむ。そんなにバイトの頻度が減るって事は、順調に仲良くなってるみたいですなぁ」
「何だよその言い方。まぁ、それなりに仲良くなったし、気にしてもらってるよ」
そうでなければ学校で弁当など渡さないし、凪が海斗の陰口に怒りもしない。
十分に恵まれていると微笑みを落とすと、美桜がびしりと海斗を指差した。
行儀が悪いので止めさせたいが口で言っても駄目だろうし、指を掴む訳にもいかないので諦める。
「なら、ちゃんと凪ちゃん先輩を頼んなさいよ。抱え込むのはナシだからね」
「わーってる。一ノ瀬も溜め込むなよ。バイトの時間は確かに減ったけど、お前の愚痴ならいくらでも聞くからさ」
海斗はたった一日注目を集めただけで疲れたし、男子達と話す言葉にも気を遣った。
ならば、普段の美桜はもっとストレスを感じているだろう。
決して美桜を蔑ろにはしていないと胸を叩けば、彼女がブラウンの瞳を大きく見開き、それから嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。
「じゃあ今度の土曜日に早速聞いてもらおうかな。もう溜まりっぱなしでさ」
「おうおう。時間と清二さんが許す限り聞いてやるよ」
気兼ねのない、軽口を叩き合う関係。
たったそれだけなのに、こんな時しか実現しない関係に少し寂しさを覚えるのだった。




