第35話 空っぽの中身
「ここまで来たら気になった事をもっと聞きたいんだけど、いい?」
「遠慮なくどうぞ」
晩飯を摂っている最中に、凪が尋ねてきた。
宣言した通り、既に口調は敬語に戻している。
凪には思いきり拗ねられたが、今回ばかりは駄目だと頑として譲らなかったら諦められた。
とはいえ「いつかもう一度やってもらう」と言っていたので、完全に諦めた訳ではないらしい。
「美桜とあんなに仲が良いなら、海斗にはもっと友達が居ないと変じゃない?」
「何でそう思ったんですか?」
「だって喫茶店での海斗と美桜は陽キャみたいだったし、学校でもそうなのかなって。なら、友達くらい簡単に出来ると思う」
「……そう言えば、そこらへんの状況を話してなかったですね」
凪に話した美桜との関係は、あくまでクラスメイトであり喫茶店で愚痴を言い合うという事だけだ。
クラスでどんな風に過ごしているかは話していないので、勘違いされるのも無理はない。
まさか海斗が「陽キャ」と言われるとは思わず、苦笑を零す。
「一ノ瀬とはクラスで全く話してませんよ。他人のフリをしてます」
「どうして?」
「あいつは人気者ですからね。それこそ凪さんと並ぶか、それ以上なくらいに」
ぱちりと瞬きを繰り返している凪に、気恥ずかしさを堪えつつ正直に告げた。
他人を寄せ付けない凪は高嶺の花として、人当たりの良い美桜は親しみやすい美少女として、男子の人気をほぼ二分している。
男の友人が居ないので詳しい事は分からないが、クラスメイトの話を小耳に挟んだ限りだと、間違ってはいないだろう。
そんな二人と友人になっているという事実に、恐れ多いなと小さな笑みを落とした。
しかし凪はあまり自覚がないようで、こてんと首を傾げる。
「美桜が人気なのは何となく分かるけど、私もなの?」
「そうですよ。じゃなきゃ告白されないと思いますが」
「…………そうだった。でも、こんな私が人気なんて変だね」
例え告白されていたとしても、勉強しか出来ない自分が人気だと認められないらしい。
凪が悲しみを混ぜた微笑みを落とした。
彼女が生活能力の無い人間だと知っている海斗であっても、凪は人気になると思えるのだが、ここで長々と褒めたら話が逸れてしまう。
せめて少しでも心を軽くしたいと、微笑みながら首を振る。
「そんな事はないと思いますが、何にせよ一ノ瀬は人気なんですよ。そんな一ノ瀬と俺が仲良く話してたら、周囲はどう思います?」
「多分、邪推する」
「そういう事です。しかも俺の容姿は平凡で、周囲と全く関わってないですからね。散々悪口を言われたり、下手をすると嫌がらせをされます」
「…………そんなので海斗と美桜が話せないのはおかしい。誰が何をしようと、それはその人達の自由」
普段ならば涼やかで凛とした声が低くなり、アイスブルーの瞳が剣吞な光を帯びた。
先程は海斗と美桜が仲良くしている事に嫉妬したのだが、それは別として凪は海斗達の理不尽な環境に怒ってくれている。
どこまでも優しい人だなと小さく笑み、憤る凪を見つめて目を細めた。
「それを分かっていても文句を言いたくなるのが、人というものです」
「だから海斗は美桜と学校で仲良くしてないの? 文句を言われたくないから?」
「ですね。まあ、俺は陰口を叩かれたり嫌がらせをされてもいいんですよ。耐えればいいだけですから」
美桜との関係を公にすると学校生活は大変になるだろうが、彼女と一緒に居る時だけは平穏に過ごせるはずだ。
後は美桜にバレないように海斗が我慢すればいいだけなので、大した事はない。
しかし、海斗が苦しむよりも許せない事がある。
とっくに決めていた事を口にしただけなのだが、形の良い眉が寄せられた。
「気になる事はあるけど、それは置いておいて。じゃあ何で仲良くしないの?」
「一ノ瀬に迷惑が掛かる事が嫌なんです。いちいち俺との関係を説明するのは大変でしょうからね」
海斗も協力するつもりだが、どちらかというと美桜に説明を求める人の方が圧倒的に多いだろう。
そして美桜の性格上、話し掛けてきた人にはしっかり理解してもらおうとするはずだ。
だが、自分が認められない者を、人はそう簡単に受け入れない。
「それだけでも一ノ瀬に悪いのに、もし俺を悪く言う奴が居たら、多分あいつは怒ると思うんです。それが、嫌なんですよ」
「美桜が怒るのは海斗が大切だからでしょ? それが嫌なの?」
「嫌ですよ。その信頼に応えるだけの力が俺にはありませんから。…………何もない空っぽです」
「空っぽ?」
「はい。見た目は普通、勉強は出来ても運動はそこそこ。クラスでは地味。そんな奴が一ノ瀬と一緒には居られないんです」
勉強は唯一誇れる事かもしれないが、それは必死に勉強したからだ。
その勉強に関してもバイト以外にやる事がなく、平均点を取って文句を言われたくないからしているに過ぎない。
そして、今更クラスメイトと仲良くなろうとも思えないのだ。
乾いた笑いを零せば、凪が勢い良く首を振ってくれる。
「そんな事ない。海斗は料理も掃除も出来る。私を気遣ってくれる。沢山良い所があるよ」
「ありがとう、ございます。でも、それは清二さんに叩き込まれたからですよ」
真っ直ぐな賞賛の言葉に、目の奥が熱くなった。
しかしそれは借り物の力でしかないと、沸き上がる感情をぐっと堪える。
「今では清二さんに太鼓判を押されるまでになりましたけど、半年前までは何も出来なかったんです」
高校生になってバイトをしなければいけなくなり、家事や料理、そして人との付き合い方は必要に迫られて覚えた事だ。
それ以前もそれなりに出来てはいたものの、決して人に自慢できるものではない。
あまり自分の事を話すのは好きではないが、凪が真剣に聞いてくれるので、つい話してしまった。
こんな重苦しい空気にするつもりなどなかったのだと、無理矢理にでも顔に笑みを浮かべる。
「という訳で、こんな俺は誰かに大切にされる資格はないんです。そして一ノ瀬はそんな俺を気遣って話さないようにしている。これは、それだけの話ですよ」
もうこの話題は終わりだと、少し冷めた晩飯を掻き込んだ。
手を合わせてきちんと食材に感謝し、海斗の食器を片付けようとする。
すると凪も晩飯を掻き込み、勢いよく立ち上がった。
「美桜と学校で話さない理由は分かった。でも、どうしても許せない事がある」
「許せない、ですか?」
「そう。何か分かる?」
「…………そう言われても、さっぱりですね」
海斗は単に事実を話しただけだし、凪も美桜の件に関しては納得してくれたはずだ。
なので、彼女がアイスブルーの瞳に怒りを込めている理由が分からない。
何かしてしまったかと首を捻ると、凪から強い圧が発せられた。
呆れたと言わんばかりの重い溜息を零し、ソファへと向かっていく。
「海斗、今日はこの後に何か予定はある?」
「特にはありませんが、いつも通り片付けを終えたら帰るつもりですね」
「じゃあそれを止めて、片付けしたら私の所に来て」
「は、はぁ……。別に良いですけど、どうしてですか?」
「秘密。さっさと片付けする」
早くしろ、という風に目を眇められ、これ以上の口ごたえは危険だと海斗の何かが訴えた。
今までほぼなかった命令口調と、ぼすっと勢いよくソファへ座り込んだ凪の様子からするに、相当お冠らしい。
「わっかんねぇな……」
女性の気持ちなど海斗には理解不能だと、肩を竦めて片付けを始めるのだった。




