第28話 大掃除をした結果
凪が仕事をしている傍で勉強を行った次の日。
学校を終えていつも通り凪の家に着いたが、リビングの惨状に固まってしまった。
「……」
別に、部屋を本格的に片付けてからたった二日で汚部屋になった訳ではない。
多少は散らかっているが、それよりも問題なのは、無造作に脱ぎ散らかされた制服だ。
「な、凪さん」
「なぁに?」
ソファに座って本を読んでいる、この現状を引き起こした元凶に声を掛ければ、澄んだアイスブルーの瞳が海斗を見上げた。
間延びした声からは、リラックスしているのが伝わってくる。
反対に、海斗の心臓は動揺で鼓動を速めているのだが。
「あの、部屋を片付けていいんですよね?」
「勿論。わざわざ確認を取らなくても、海斗が掃除したいならいつでもしていいからね」
「…………それはまあ、ありがとうございます」
男の口から「制服に触っていいですか?」と言うのはどう考えても変態の発言だったので、口には出来なかった。
しかし、遠回しに言っても伝わらなかったらしい。
好きに部屋を触っていいのは有り難いが、凪の口ぶりからすると、これから毎日海斗は凪の制服を片付ける事になるようだ。
お世話には部屋の整理整頓も入っているし、先日服を整理した際は確かに凪の制服も混じっていた。なので、凪からすればおかしな事ではないのだろう。
それでも、数時間前まで着ていた女子の制服に触れるのは簡単ではない。
「じ、じゃあ片付けますからね。後で文句を言うのは無しですよ」
「片付けてくれる人に文句なんて言わない」
「……うっす、あざっす」
あまりに余裕がなさ過ぎて変な敬語になってしまったが、気にしてはいられない。
首を傾げる凪をよそに、彼女の制服へ触れた。
(これは片付け。そう、片付けなんだ)
頭の中で自らに何度も言い聞かせ、滑らかな制服の感触を追い出す。
行動から思考まで立派な変態だと思うが、この状況でも冷静で居られる男子高校生が存在するなら、その心意気を是非とも教えて欲しい。
残念ながら助けなど現れないので、理性を縛りつつ凪の自室に入る。
ふわりと香った桃のような甘い匂いが、更に海斗の心臓を虐めた。
「よし、さっさと済ませよう。まず制服をしまって、次は布団を敷きなおして、本は片付けてと」
考えて行動が止まるくらいなら、無理矢理体を動かした方が良い。
幸い凪の自室にはほぼ衣服が散らばっておらず、制服をクローゼットにしまう以外は、本やベッドと整頓するだけで済んだ。
妙に疲れた気がしつつもリビング戻れば、凪が「そうだ」と声を上げる。
「どうしたんですか?」
「洗濯してほしい。それと乾いた洗濯物を取り込むのも」
「……もしかして、俺が前回洗濯したからですか?」
「そう。私が取り込んでもいいけど、昨日のようになる」
凪は一度海斗が洗濯したのだから、次からしてもらえると思っているらしい。
乾いた洗濯物に関しては、昨日海斗が家に来た時に散乱していたので、凪が取り込むと同じ光景になるようだ。
洗濯もお世話の一つと言えるので、凪の態度に文句はない。
しかし、このままでは海斗の精神が持たない気がする。
「……」
「ダメ、かな……?」
単にどうやって理性を縛ろうかと考えていただけなのだが、黙り込んでいたせいで凪が勘違いしてしまった。
不安そうな上目遣いは反則的に可愛らしく、どくりと心臓が跳ねる。
必死に動揺を押し殺し、微笑みを浮かべた。
「駄目じゃないですよ。じゃあこれからは俺が干したり取り込んだりしますね」
「ありがとう、海斗」
嬉しそうに微笑む凪の姿に考えるのを止め、後の海斗に苦労を放り投げる。
どうせ、これからかなりの頻度で理性を削られるのだ。いつか慣れる時が来るだろう。
完全に思考を停止させると、凪が持っていた本を軽く揺らした。
「海斗。洗濯する前に、これの次の本取って」
以前宣言した通り、海斗が本棚を整理してから彼女は絶対に自分で本を取らない。
本を取る程度ならば先程のように理性を削られはしないので、仕事としては簡単過ぎるくらいだ。
むしろ頼ってくれるのが嬉しくて、頬を緩ませながら頷く。
「了解です。ちょっと待ってくださいね――はい、どうぞ」
「ん。ありがと」
凪が所望した本を渡せば、ふわりと柔らかな微笑みが返ってきた。
彼女は宣言通り海斗の居ない間にも本を漁るようだが、片付ける海斗を気遣っているのか、意外にも盛大に散らかしてはいない。
とはいえ引っぱり出された本は、床に積まれて置かれているのだが。
「それじゃあ洗濯しますね」
「ん。お願い」
洗濯に制服を含む衣類の片付けや、そもそもの部屋の小まめな掃除等、晩飯を作る以外にもやる事が沢山出来た。
念の為に今日も少し早めにバイトを上がったのだが、今度からもっと早く上がるか、いっそ平日は喫茶店に行かなくなるかもしれない。
美桜と会話する時間が減るのは気になるものの、タイミングが合った時にバイトの時間が短くなる事を伝えればいい。
また、清二には日曜日の段階でこれから海斗が部屋の片付けをするようになったと伝えたが、特に何も言われず、むしろ大喜びされた。
凪の下着を触っている事はバレているはずだが、何も言われないので現状維持でいいのだろう。
これからの事を考えながらも洗濯機を回しながら掃除を行い、その後洗い終えた洗濯物を干した。
「ふぅ……」
「海斗、疲れてる? 無理してない?」
女性の下着を干すという、難易度の高い依頼をこなした達成感で溜息をついたのだが、凪に勘違いされてしまったらしい。
リビングへ戻った海斗に凪が本から顔を上げて視線を向け、僅かに表情を曇らせた。
心配する必要はないと、首を振って微笑を向ける。
「大丈夫ですよ。こんなのバイトに比べたら楽勝です」
「なら、いいけど」
不安ではあるが何度も聞く気はないようで、凪が本へ視線を戻した。
洗濯物を干した事で部屋の掃除が全て終わり、次は料理に取り掛かる。
「今日は何を作るの?」
「回鍋肉ですよ。これなら多少は野菜も取れますからね。ほら、リビング戻ってください」
手際よく調理していると、いつの間にか凪が近寄ってきていた。
意外過ぎて内心で驚きはしたが、もしかすると以前断念したカレーの挽回をしようとしているのかもしれない。
とはいえ、凪に調理させるつもりはないのだが。
絶対にキッチンは譲らないと態度で示せば、凪が柔らかく笑んでリビングへ戻っていく。
「ん。今日も楽しみにしてる」
「任せてください」
料理を待ってくれている人が居るのは恵まれているなと、くすりと笑みを落として手を動かすのだった。
「よし、全部終わりと。そろそろ帰りますね」
「分かった。お風呂の後とか明日の着替え、準備してくれてありがとう」
「……部屋の片付けの延長のようなものです、気にしないでいいですよ」
晩飯の片付けを終えて海斗は帰ろうとしたのだが、凪が着替えの準備をお願いしてきた。
曰く「海斗に準備してもらった方が楽だし散らからない」との事らしい。
当然ながら、風呂上がりの衣類には下着も含まれている。
言われた瞬間は動揺したが、どうせ制服や洗濯物に触るのだ。
風呂上りや明日の着替え程度、気にしても仕方がないと引き受けた。
自分でも自棄になっているという自覚はあるが、後悔が襲ってくるよりも先に、とある無駄な閃きが海斗の理性を削っている。
(明日から凪さんの履いてる下着の色が分かるんだよなぁ……)
この事実に気付くべきではなかったと自分でも思う。
けれど、気付いた時にはこの考えを消すことが出来なくなってしまった。
あまりの情けなさに穴を掘って入りたいが、そんな事をしてもどうしようもない。
自らのみっともない感情に苦笑を落とせば、凪が首を振って淡く微笑む。
「ううん、気にする。本当にいつもありがとね、海斗」
「ホント、凪さんは狡いですねぇ……」
「そう、なの?」
「そうなんです」
単に我儘を言いっぱなしなのではない。きちんとお礼を言ってくれる。
それが純粋な思いだからこそ罪悪感が海斗の胸を刺すのだが、凪のせいではないので恨むのは筋違いだ
詳細を伝えるつもりはないので、誤魔化す為に玄関へ向かった。
海斗が凪の家で晩飯を作り始めてから、家に入る時は放置だが帰る時は玄関まで送ってくれるのが、別れを惜しんでいるようで嬉しくなる。
自意識過剰だなと苦笑を零しつつも、胸が温かくなった。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「またね、海斗」
手を振ってくれる凪に背を向け、エレベーターに向かう。
外に出れば、十月も半ばを過ぎ、少し冷たくなった空気が海斗の頬を撫でた。
「……寒いな」
ぶるりと体を震わせるが、寒いのは胸の中だ。
散々理性を削られ、心を乱されたのだが、それでも凪のお世話は充実していたのだから。
決して人には言えない関係。しかし、必要とされているのならそれで良いと思うのだった。




