第12話 晩飯の献立
凪に昼飯を渡して図書室に戻り、黙々と本を読んでいると彼女が帰ってきた。
普段通りの無表情のはずなのに、どことなく不満の色が見える気がする。
「何かありましたか?」
「……天音がくれたご飯なのに、あんまり美味しくなかった」
「俺が作った訳じゃないですし、そりゃあそうでしょう」
どうやら、海斗が買ってきた焼きそばの味に納得がいかなかったらしい。
凪の口ぶりからすると、彼女の中では『海斗が渡す料理=美味しい物』という図式が出来上がっているようだ。
それほどまでに気に入ってくれているのは嬉しいが、今回ばかりはどうしようもならない。
緩みそうになる頬を抑えて苦笑を作ると、凪がほんのりと唇を尖らせた。
「今日の晩ご飯、焼きそばがいい」
「え? 一日に二回も焼きそばを食べて平気ですか?」
これまでリクエストなど一度もされた事がなく、驚きに目を見開く。
普通は味に飽きるので昼と夜で同じ料理を食べない。
しかし、凪はそんなの当たり前だと言わんばかりに真剣な表情で頷いた。
「大丈夫、平気」
「それは良いですけど、念の為に塩焼きそばにでもしますね」
出店のものは普通のソースだったので、味を変えればある程度は飽きが来ないだろう。
食べ比べをしたくてソースが良いと言われたら、流石に止めさせるべきだ。
そうはならないでくれと内心で祈っていると、凪が小さな微笑みを落とす。
「ん。期待してる」
「それじゃあ腕に縒りを掛けて作りますよ。でも野菜たっぷりにしますから、ちゃんと食べてください」
三週間も料理を作っていれば、凪がお礼を言う際に僅かな変化があるのが分かり、嫌いなものだけでなく好みも把握出来た。
ピーマン等の苦い物が嫌いだと言っていたが、彼女はそれ以外にも野菜をあまり取ろうとせず、肉料理を好むのだ。
なので、最近は意識的に野菜を取らせようと料理を吟味している。
念の為に釘を刺せば、しゅんと眉を下げて上目遣いされた。
「う……。お肉は?」
本人からすれば海斗の様子を窺っているだけなのだろうが、あざといとも言える姿は心臓に悪い。
これならいっそ美桜のように自覚があった方が良いと、負けを認めて苦笑を浮かべる。
「多めに入れます」
「流石天音。分かってる」
「そう言われるのは複雑だなぁ……」
満足げな笑みを零した凪の姿に、ひっそりと呟きつつ溜息をついた。
駄々を捏ねる子供のような態度を取られても、本来は毅然とした態度で接した方が良いのは分かっている。
それが出来ない時点で、海斗は流されているのだろう。
意思が弱いのを自覚しつつ、凪がまだ野菜を取る努力をしてくれているのでセーフだと自らに言い聞かせた。
「なら買うのは――」
何はともあれ、晩飯で悩まなくていいのは非常に助かる。
頭で帰りに買う食材をリストアップしていると「ねえ」という不安げな声が耳に届いた。
「はい?」
「もしかして、食べたい物を言った方が楽?」
「まあ、そうですね。西園寺先輩はなんだかんだで食べてくれますから、普段は割と悩みがちです」
凪は野菜をあまり取ろうとしないが、かといって今まで残されたり不満を言われた事はない。
勿論作り手として嬉しい事ではあるものの、何でもいいというのは困る時があるのだ。
嬉しい悩みだと肩を竦めれば、凪がポケットに手を入れてすぐに引き抜く。
真っ白で滑らかそうな手には、淡い青色のカバーのついたスマートフォンがあった。
「じゃあ連絡先を交換する」
「……いや、どういう流れでそうなったんですか?」
海斗の高校は、授業中に使わなければスマホは持ち込んでいい決まりだ。
そして文化祭中は原則使用禁止なものの、ここで咎めるつもりはない。
しかし晩飯から連絡先へ話がすっ飛んだ事で、頭の中が疑問符で占められた。
凪はというと、どうして分からないのかという風にきょとんと小首を傾げている。
「交換してると、これからすぐに伝えられるから」
「ほぼ毎日図書室に来ますし、その時に話してくれればいいんですが」
「夕方になったら気が変わるかもしれない」
「……それはそうかもしれませんけど、俺が悪用するとは思わないんですか?」
あまりにもあっさり連絡先を交換しようとする凪が危なっかしくて、つい釘を刺した。
人と関わりを持とうとしない凪だが、それでも彼女は有名人だ。
美少女で頭も良く、それでいてお嬢様と噂されているのだから、むしろ有名にならない方がおかしい。
そんな凪の連絡先が欲しいという男子は山程居るだろう。
これで「やっぱり止めた」と言われるとそれはそれで傷付くので、覚悟を決めて凪の反応を待つ。
すると、アイスブルーの瞳がぱちりと瞬きをした後に和らかく細まった。
「思わない。天音は大丈夫」
「……そこまで信用されてるのはちょっと意外でした」
「天音は私との関わりを秘密にしてくれてる。そんな人を信用しない方がおかしい」
美しい微笑には、海斗への不信感など微塵も込められていない。
連絡先の交換を止めるかもしれないと考えていた海斗が責められているみたいで、申し訳なさに視線を逸らす。
「そう、ですかね」
「そうだよ。それに、天音は私を気遣って距離を保ってくれてる。いつもありがとう」
「……っ」
そんな事ない、と言えばいいだけなのに、胸に込み上げる熱いもののせいで咄嗟に言葉が出なかった。
沸き上がった熱と、凪の嬉しさが滲み出たような微笑が頬を炙る。
何か返さなければと、激しく鼓動する心臓を自覚しながら口を開く。
「晩飯を持って行ってるだけです。気遣いも何もないでしょうに」
「ううん、そんな事ない。天音は変だね」
「……もう変でいいです」
凪の言葉は以前図書室で言われたものと全く同じだったが、今回は声に歓喜が込められていた。
そのお陰で前とは違って心が沈みはせず、それどころか凪の顔を見られない程に海斗の体を熱が満たす。
逃げ場のない熱を逃がすように、凪との会話で止まっていた読書を再開した。
つっけんどんな言い方になってしまったが、特に動じる事なく彼女も読書を再開する。
それが仲を深めた証のように思えて、どうにも落ち着かない海斗だった。