第13話 友達
凪に心を乱された事で連絡先の交換を忘れていたが、思い出して交換した。
そして改めて本を読み始めて十分程が経ち、ようやく気持ちが落ち着いてくる。
ページを捲る音が時折聞こえるだけならば、今が文化祭だという事すら忘れてしまいそうだ。
しかし外から僅かに聞こえてくる賑やかな声が、海斗を現実に引き戻す。
ただ、その一番の要因は今読んでいる本にあった。
「……っ」
緩みそうになる頬を抑えきれず、手で抑えつける。
喉からは今にも笑い声が出てしまいそうだ。
小説を読んでいるのに一人で爆笑する人物など、不審者でしかない。
なので必死に我慢しているものの、そろそろ限界に近かった。
本を読んで想像を膨らませ、笑いそうになって現実へと引き戻される。
そんな風に一人で悶えていると、凪が微笑を浮かべて海斗へ視線を移した。
「面白い?」
「はい。ライトノベル、でしたっけ。これって面白いものなんですね」
「その本が特別なだけ。普通のライトノベルはそんなに笑えない」
「そうなんですか。という事は、西園寺先輩の本を選ぶセンスが良いんですね」
「……そんなに褒めても何も出ない」
薄っすらと頬を染め、恥ずかしそうに瞳を伏せる姿は反則的に可愛らしい。
まさかそんな態度を取られるとは思っておらず、どくりと心臓が跳ねた。
「べ、別に何かが欲しい訳じゃありませんって」
「ならいい。……その本はお気に入りだから、天音が楽しんでくれて良かった」
余程気に入っているのか、凪がくすっと肩を震わせて、両目を細めて優しい笑みを浮かべる。
好きな物を共有出来た事が嬉しいと言わんばかりの笑みに、どんどん海斗の頬が熱を持ち始めた。
すぐに顔を逸らしたかったのだが、凪は海斗の様子に気付いていないらしい。
食い付くようにテーブルに肘を乗せ、距離を詰める。
普段は何も浮かんでいないアイスブルーの瞳が、今は輝いている気がした。
「ねえ、どんな所が面白かった?」
「え? そ、そうですね。呼び出した使い魔、でしたっけ? あれの強さがテストの点数で変わる所ですかね」
凪の勢いに押され、真剣に考える。
学園での話ではあるが、その内容があまりに意外過ぎてすぐに話に引き込まれた。
もちろんそれだけでなく、面白い要素が沢山あるのだが。
「それと、話の途中に挟まれる先生と主人公達の一問一答ですかね。あれが面白過ぎて笑い声が出そうになりました」
「あれがこの小説を読む醍醐味と言っても過言じゃない。天音はよく分かってる」
単に感想を言っただけなのだが、凪は嬉しさが溢れ出したかのような微笑を浮かた。
しかし、その笑顔に羨望のようなものが混ざる。
「……あんな学校生活を送れる人は凄い」
「別に、西園寺先輩なら同じ事も不可能じゃないでしょう?」
いくら他人を寄せ付けない凪とはいえ、彼女の容姿からお近付きになりたいという人はいる。
流石に一緒に居る人は吟味する必要があるし、凪の性格だと馬鹿笑いは出来ないかもしれないが、充実した学校生活は送れるだろう。
彼女の表情が気になってつい口にしてしまったが、海斗の発言は明らかに踏み込み過ぎていた。
傷付けたり嫌がっていたらどうしようかと不安になって、凪の顔色を窺う。
彼女は失敗したという風に視線を逸らしたが、その表情には海斗への怒りが見えなかった。
どうしたものかと悩んでいると、凪が視線を戻しておずおずと口を開く。
「どうして、そう思うの?」
「俺が西園寺先輩と話してると楽しいからですね」
「それは天音が話を合わせてくれてるだけ。私は、勉強しか取り柄のない人だよ」
くすり、と凪が小さな笑みを落とすが、それは自らを傷付けるような痛々しいものだった。
凪の言葉から察するに、おそらく彼女は自分が嫌いなのだろう。
もしかすると、それが他人を遠ざける理由なのかもしれない。
詳しく聞きたいとは思ったが、今の海斗ではそれなり程度の信頼しか築けていないと、ぐっと欲望を押し込める。
代わりに、自分を卑下する必要などないと笑みを向けた。
「俺はそうは思いませんよ。そういう意見の人も居るって事は、知って欲しいです」
「…………私は他人から向けられる感情が、特に恋愛感情がよく分からないような人なのに、それでも話していて楽しいって言える?」
そう言いながら、凪が先程まで読んでいた本を小さく振る。
どうしてこのタイミングで本を見せるか分からずに首を傾げれば、彼女の顔に引き攣ったような笑みが浮かんだ。
「これは恋愛小説なの。でも、私には登場人物の感情が少しも分からない。海斗の読んでる本も面白いと思えるけど、恋愛話になるとさっぱり。……それっておかしいでしょ?」
凪はくすくすと軽やかに笑うものの、その笑い声には感情がこもっておらず、図書室に虚しく響く。
沈痛な表情と言葉からすると、恋愛感情を知らない自分を卑下しているのだろうが、そんな必要は全くない。
「別におかしいとは思いませんよ」
「…………え?」
ぱちくり、と何度も瞬きする凪が可愛らしく、海斗の唇が弧を描く。
「だって、恋愛感情を知るのが高校生でなければならない、なんて決まりは無いじゃないですか」
高校生でも恋愛をした事がない人は居るだろう。
しかしそんな人達が浮いているかと言えば、そうではないはずだ。
「それに、恋愛感情を知らないと周囲と話せないってのは違うと思います」
「そう、かもしれない、けど……。でも告白してくれる人の感情が分からないのが申し訳なくて。クラスの女子がそういう話をしてるのに、何が楽しいのか分からなくて……」
どうやら、凪のクラスメイトは恋愛話で盛り上がっているらしい。
高校生らしいとは思うが、全く共感出来ないせいで凪は苦手意識を抱いてしまったようだ。
単に凪が物静かで、周囲のテンションの高さに付いて行けないのと合わさっている可能性もあるが。
図書室にこもっている理由である「陽キャの中に突っ込みたくない」のも単に彼女の性格がゆえだろう。
しかし、他人を拒絶する理由にしては弱い気がするので、もしかすると自らを卑下する別の理由があるかもしれない。
今でも十分に自分の事を話してくれているので、これ以上はマナー違反だと少し話題を変える。
「……告白された事、あるんですね」
凪の容姿なら、間違いなく告白された事はあるだろうと思っていた。
とはいえ、今までの話の流れや凪の普段の生活からすると、恋人が居ないのは分かりきっているのだが。
ただ、恋愛感情が分からないなら、断るのにも相当苦労したのだろう。
苦笑しながら呟けば、特に動じる事なくいつも通りの無表情で頷かれた。
「うん。天音と初めて会った時も、告白された後だった」
「ああ、そういう……」
どうしてあんな人気のない場所に居たのか分からなかったが、告白されたなら納得がいく。
告白の真っ只中に出くわさなくて良かったと、安堵の溜息を零した。
「まあそういう事で、別に誰かを好きになった事がなくても、その感情を知らなくてもいいんじゃないですか? 少なくとも、俺はそんな西園寺先輩と話していて楽しいですよ」
「……ありがとう、天音。ちょっとすっきりした」
「なら良かったです」
胸のつっかえが取れたような柔らかな笑みに、海斗も胸が軽くなる。
少しでも凪の悩みが解決出来たのなら誇らしい。
話が一段落したので読書に戻ろうとすると「あ」という声を発して再び凪の顔が曇った。
「重い話をいきなりしてごめんなさい」
「わざわざそんな事気にしなくていいですよ。……友達、でしょう?」
自分から言うのは恥ずかしいし、凪とはある意味で雇い雇われの関係だ。
しかしだからといって友人になれないという理由はない。少なくとも、海斗は凪を友人だと思っている。
恥ずかしくてそっぽを向きながら告げれば、凪の顔が無邪気な笑みへと変わった。
「なら、天音が私の始めての友達だね」
「そりゃあ光栄ですね」
これまでの凪の言動で、友人は居ないだろうなと思っていた。
なので彼女の発言はおかしなものではないはずだが、どうにも心がざわついてしまう。
どくどくと早まる心臓の鼓動を意識しながら、平静を取り繕う海斗だった。




