レッドオーシャンの泳法
今回は、戦国転生ものをいくつかハシゴしながら「史実を外れた戦い(とそれに関連する主人公の選択肢)」について考えてみたいと思います。
ふたつ前の第69部分「てんこ盛りと胃の重さ」で取り上げた『斎藤義龍に生まれ変わったので、織田信長に国譲りして長生きするのを目指します!(巽未頼)』では、斎藤・織田同盟といくつかの協賛大名家が概ね豊臣秀吉の天下統一コースに近い経緯をたどり、九州へは大友家を主な敵として2ヶ所同時上陸作戦をかけます。既に硝石確保で優位に立ち、安宅船と大筒でも圧倒的な火力を持っていますが、ふたつの上陸船団は連絡艇でつながっているだけで、情報共有に時間がかかります。水際で粘られる戦域も出て、曲折を経て概ね戦力比通りに大友家の敗勢がはっきりします。斎藤義龍として発動を始めた早い時期に(老境の)北条氏綱と面識を得て、ゆるやかな友好関係を保ったまま天下統一の最終局面に立ったとき、明治維新を模倣して斎藤・織田・公家連立政権が広く会議を興し万機を公論にかけ始めたとき、北条家は立ち位置に苦しむことになって、それは現在も本編完結後の続編として語られ続けています。
SLG的なフレーバーの『斎藤義龍』に対し、第70部分「 あっ俺は転生者じゃないんですよ」の『信長の庶子(壬生一郎)』は信長一族や家臣・同盟者との人間関係に重きを置きます。あらゆる「無条件に理想を追求する聖戦」が「狂信的な紛争処理」に傾いてしまうのと同様に、家族愛・忠誠心もまた、それを絶対だと受け入れてしまうと、極端・残虐な手段も選択肢に入ってきます。元亀の信長包囲網は史実通り一族を苦しめ、犠牲者も出ますが、帯刀は思い切った行動で歴史を塗り替えます。ロジックと言うよりパトスの作劇ですね。いきなり結果を突きつける場面が何度かありますが、感情の起伏を中心としたドラマでは、ロジックが欠けた偶然の介在は不快ではありません。
さて、今回新たにご紹介するのは、この作品です。
豊臣を嗣ぐもの ~名宰相・豊臣秀長の息子による滅亡回避の戦国記~(丸三)
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戦国・初期江戸時代史研究者だった主人公は、研究熱心の果てに過労死して、羽柴秀長の長男に転生します。史実で夭折した長男とは名前も違い、母の「お初」は架空の人物と作中に明記があります。生まれて間もなく、周囲で秀長の睡眠不足や不規則な食事を心配する声がするのを幼名・竹若は聞きつけます。竹若は秀長を長生きさせ、豊臣秀次を粛清から守り、一族を円満に保つことを志します。
ここからしばらく、竹若は色々と前世知識を発揮して神童扱いされ、色々と戦国なろう小説あるあるな要素が持ち込まれて、かつての山岡荘八『徳川家康』『伊達政宗』を思い起こさせます。艱難辛苦は降るのですが、それをさばいていく調子が、何というか都合が良いのです。ちょっと食傷して、しばらく読むのをやめておりました。
最近未読がたまったのでどうなったかなと読んでみると、小牧長久手の戦いから(軍事面で)大きく史実と離れていきます。これが実に、山岡荘八的なテイストとマッチして、面白いのです。部隊が史実と異なる進路を取ることが増え、輸送手段や道路状況を考えると大丈夫かな、これは可能かなとも思いますが、まあこの、周囲から主人公をほめ、おだてつつ「最後には何とかなる」テイストなら大丈夫だろうと思ってしまうのです。
小牧長久手といえば、豊臣秀次(この作品では理由あって、まだ羽柴を名乗らず三好孫七郎信吉)が大失態を演じて秀吉との仲がこじれたタイミングです。竹若あらため源一郎秀成は、これが孫七郎の良いところなしの失策にならないようにあちこちに耳打ちし、自分の裁量できる部隊にも行動させます。その結果色々と変わってしまい、まあ尽力して結果を良くしたのは源一郎だと衆目は一致しましたから、助かった諸将を中心に感謝と評価も受けます。もちろん信雄や家康の状況も変わり、その後は将棋倒しにいろいろ起きていくのです。とはいえ大名としての所領や家臣・秀吉が付した年寄衆については、今のところ、概ね豊臣秀次のそれをなぞっています。もちろん史実での失脚時点までは、それはまさに天下人後継者コースなのですが。
『斎藤義龍』で描かれる武将たちの人物像はシンプルです。夢や望みがひとつだけですから、それをかなえてくれる主人公には簡単に服従報恩の姿勢になります。『信長の庶子』では一部の人々が、秘された思いや理想像を持って表向きの態度と葛藤し、ときには主人公を危機に陥れます。昔からの「明朗時代劇」ドラマはだいたい前者ですよね。そして『豊臣を嗣ぐもの』も今のところ前者です。山岡荘八的に明朗なのはそれも一因です。これはまあ「小説に何を求めるか/作者は何が得意なのか」であって善悪で斬れることではありません。




