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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第19章 カエサルの過去 ~青年期Ⅰ~

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文と約束

朝。

カエサルは机に向かった。

蝋板ではなく、紙を選ぶ。

紙は残る。

残るものは、いつか刃にも盾にもなる。


筆先が一度止まる。

止まってから、動く。


――キンナ殿。

――先日の件。

――私は婚姻の話を前向きに考えたい。

――ただし、条件がある。

――今一度、コルネリア殿と二人で話がしたい。

――彼女の意思を、この耳で確かめたい。


言葉は丁寧に整えた。

だが、整えすぎない。

整えすぎると、逃げ道に見える。

逃げ道は、相手に踏み台を与える。


書き終えると、封蝋を押した。

熱い蝋が冷えていくのを見ながら、胸の中の熱も同じように固まっていく気がした。


ティロが戸口で腕を組んでいる。


「書いた?」

「書いた」

「条件つけた?」

「つけた」

「いいじゃん。たまにちゃんと賢いよね」

「たまにって言うな」


使いの者が走り、返事は思ったより早く戻った。

承諾。

ただの承諾ではない。

整った承諾だ。

条件を飲むことで、こちらの誠実を引き出し、同時に主導権の形を崩さない。

キンナはやはり上手い。


夕方。

カエサルはティロと共にキンナの屋敷へ向かった。

門をくぐると、空気が家の匂いから政治の匂いに変わる。

同じ香でも、ここでは意味が違う。


案内され、広間ではなく小さな回廊の先へ通された。

“二人で話す”ための場所が用意されている。

用意されている時点で、すでに流れは整えられている。


そこにコルネリアがいた。

前よりも一段、綺麗に見えた。

衣の色が似合っているからだけではない。

目の落ち着きが、前より強い。

覚悟の落ち着きだ。


カエサルは礼をして、すぐに本題へ入った。

遠回しは、ここでは弱さに見える。


「……後悔はないのか」

「もし、俺と結婚して」


コルネリアはまっすぐにカエサルを見つめた。

目が逸れない。

逸れないまま、言葉だけを選ぶ。


「後悔はありません」

「あなたが大切にしてくださるのであれば」


その言い方が、家の娘の言い方だった。

自分の気持ちだけでは言えない。

家の形と一緒に言う。

それでも、嘘ではない声だった。


カエサルは息を吸った。

正しい答えを返せば、正しい婚約が進む。

でも、それは自分の言葉ではない。

自分の言葉で言ってしまえば、危うい。

危ういのに、言わずにはいられなかった。


「俺は今、家が一番大切だ」

「ユリウス家が、まず先だ」


コルネリアの瞳が一瞬だけ揺れた。

それでも、逃げない。


カエサルは続ける。


「だけど」

「好きな女に、嘘はつけない」


言った瞬間、自分の心臓の音が少し大きくなる。

剣の稽古の時の鼓動とは違う。

当てにいく鼓動ではなく、当たってしまう鼓動だ。


コルネリアは俯いた。

頬が赤くなる。

赤くなって、言葉が一瞬遅れる。


その遅れを見て、カエサルは初めて思った。

この場で、自分が少しだけ優位に立てた。

政治の話ではなく、人の話で。


コルネリアは小さな声で言った。


「……それなら」

「私も、嘘は言いません」

「怖いです」

「でも、あなたが嘘をつかないなら」


カエサルは頷いた。

頷きが、契約みたいに重くなる。

それでも、重くていいと思えた。


その夜。

キンナに報告が渡り、アウレリアにも話が届く。

承認は淡々と進む。

家と家の決裁は、感情より先に動く。


婚約が進められることになった。

進められる、という言い方が正しかった。

二人の意思は確かにある。

だが意思だけでは進まない。

紙が要る。

人が要る。

順序が要る。


準備が始まる。

衣装。

家。

持参金。

家人の再配置。

護衛。

門の見張り。

出入りの帳簿。

贈り物の記録。


それは婚礼準備という名の、戦の準備にも見えた。

結びつくということは、守る範囲が増えるということだ。

守る範囲が増えれば、狙われる範囲も増える。


噂は街を走った。

走る速さだけは、いつだって正確だ。


「ユリウスはキンナに付いた」

「若造が売った」

「家長の席が、金で釣られた」

「いや、生き残る気だろう」


言葉は人の口から口へ渡り、形だけが増えていく。

形が増えるほど、真実は薄くなる。


カエサルは噂に目を向けなかった。

向ければ、足を取られる。

足を取られれば、椅子から落ちる。


彼はただ、まっすぐに自分の道を歩いた。

歩く速さを、他人の声で変えない。

変えるのは自分の決裁だけだ。


門を出る時、ティロが横で言った。


「噂、えぐいな」

「放っとけ」

カエサルは短く言う。

「俺はもう、歩くって決めた」


ティロは一度だけ頷いた。


「なら、僕も横で歩く」

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