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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第17章 カエサルの過去 ~幼少期Ⅰ~

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心を読む剣

アリーナの砂は乾いていた。

乾いた砂は音を立てる。

踏みしめるたびに、ざり、と小さく鳴って、緊張を数えるみたいに耳に残る。


周囲には同年代の子どもたちと、その後ろに大人の影が混じっていた。

大人は口を出さない。

口を出さないことで、子どもの勝負を“本物”にする。

本物にしたいのは、勝った時に名前が光るからだ。


貴族の息子たちは笑っていた。

笑いは軽い。

だが軽い笑いほど、人を追い詰める。

スッラの列が通ったあとの街の重さが、まだ肌の内側に残っている。

だからこの笑いが、余計に不気味だった。


一対一の三本勝負。

順番は、ルフス。

ティロ。

カエサル。


ルフスが砂へ出た。

背丈は相手とほぼ同じ。

腕の長さも近い。

見た目の条件は揃っている。

だがルフスは、カエサルに次ぐ剣の才を持っている。

カエサルは勝ちを確信していた。

少なくとも、稽古の延長なら。


相手の少年が木剣を構える。

構え方が整っている。

整いすぎていて、逆に嫌な感じがした。

剣は木だ。

だが木のはずの剣先が、陽を吸って鈍く光って見えた。


「始め」

誰かの声がして、二人の距離が縮まる。


最初の打ち合いで、砂が跳ねた。

木がぶつかる音が乾く。

一撃目。

二撃目。

そのたびに、ルフスの足が半歩ずつ後ろへ滑った。


「……え」

カエサルは思わず声を漏らしそうになって飲み込んだ。

押されている。

ルフスが押されている。

ただの押し負けではない。

剣の重さが違う。


相手の振り下ろしは、稽古の木剣のそれではなかった。

骨まで響くような、鈍い圧がある。

ルフスの受けが浅くなる。

浅くなると、次の一撃が怖くなる。

怖くなると、体が先に固くなる。


ルフスの眉が歪む。

焦りが出る。

焦りが出ると、剣が直線になる。

直線は速い。

だが、直線は読まれる。


ティロが、青い顔で口を開いた。

声が震えているのに、言葉ははっきりしていた。


「……あれ、木剣じゃない」

ティロが言う。

「鉄が入ってる」

「中に鉄を仕込んだ木製の剣だ」


周囲の貴族の子たちが、口元を歪めて笑った。

笑い方が揃っている。

揃っている笑いは、事前に相談している笑いだ。


「証拠でもあるのか」

一人が言う。

「奴隷の息子が、何を知ってる」

「怖いならそう言えよ」


ティロは言い返せない。

証拠がない。

目で見て分かっても、紙がなければ“ない”ことにされる。

フォルムで見た告発の形が、砂の上にも落ちていた。


ルフスはそれを聞いてしまった。

聞いた瞬間、余計に剣が重く見える。

重く見えると、受けが遅れる。


このままだと、一撃食らって終わる。

あるいは、木剣を折られて終わる。

折れた瞬間、勝負は勝負ではなくなる。

笑いが“正しさ”になる。


ルフスの目が泳いだ。

泳ぐ目は、剣より先に負けを作る。


その時。

カエサルが叫んだ。

喉が裂けるほどではない。

だが砂と汗の中に、一本の線を引く声だった。


「心だ」

カエサルが言う。

「相手の心の言葉を読み取れ」

「剣だけ見てるから押される」

「息を見ろ」

「足を見ろ」

「間合いの前に、相手の怖さを見ろ」


ルフスは一瞬、何を言われたのか分からない顔をした。

心。

言葉。

そんなもの、剣の最中にあるのか。

あるわけがない。

そう思ったはずだ。


だが次の瞬間、ルフスの呼吸が変わった。

焦りで浅くなっていた息を、一度だけ深く吸う。

それだけで肩が落ちる。

肩が落ちると、視界が広がる。


相手の呼吸が聞こえる。

強く吐く時に踏み込む癖がある。

踏み込む前に、剣先がほんの少し沈む。

沈むから、次は上から来る。

上から来るなら、受けるのではなく流せる。


ルフスの足が半歩、横へずれた。

後ろではない。

横だ。

押される足から、逃がす足へ変わる。


相手の剣が振り下ろされる。

重い。

重いが、重いほど軌道は決まる。

決まるなら、読める。


ルフスは木剣を正面で受けなかった。

剣先を少しだけ外し、腕ではなく腰で流した。

木がきしむ音が短く鳴り、重さが自分の体から外へ抜けた。


その瞬間。

相手の胸が空く。

ほんの一瞬だけ。

しかし勝負は、一瞬で決まる。


ルフスの木剣が、相手の胴へ走った。

乾いた音。

砂が跳ねる。

相手が息を吐いて、足が止まった。


「そこまで」

誰かが言った。

声が遅れて聞こえる。

勝負が決まる時は、いつも周りの音が遅れる。


ルフスは一歩下がり、木剣を下ろした。

肩で大きく息をしてから、ようやく笑った。

笑いは薄い。

だが本物だった。


「……今の、やばいな」

ルフスが言う。

「俺、あんなカウンター初めて決めた」

「剣が勝ったんじゃない」

「見えた」

「相手の次が、見えた」


カエサルは胸の奥で息を吐いた。

勝ちを確信していた。

だがその確信は、剣の才への確信だった。

今日の勝ちは、それより怖い。

“読めば勝てる”という種類の勝ちだ。


貴族の息子たちの笑みが、少しだけ固くなる。

固くなる笑みは、計算が狂った顔だ。

ティロの指摘が本当だったとしても、証拠がないなら“ない”ことにできる。

だが勝負が一つ付いた。

勝負が付くと、空気は変わる。

空気が変わると、言葉の刃が少し鈍る。


「一勝だな」

ルフスが砂を払って言う。

「次、ティロだ」

「……行けるか」


ティロは頷こうとして、首が動かなかった。

動かない首の代わりに、手だけが震える。

震えは寒さではない。

恐怖が手に降りてきている。


「僕は」

ティロが言う。

「僕は、剣で人を黙らせたくない」

「でも」

「黙らせないと、ずっと笑われる」


カエサルはティロの横に立ち、低い声で言った。

大声ではない。

ティロにだけ届く声。


「剣で黙らせるんじゃない」

カエサルが言う。

「剣で、居場所を作る」

「お前がここに立っていいってことを、形で示す」

「言葉は勝手に札を貼る」

「俺たちは勝手に剥がす」


ティロは唇を噛んだ。

噛んで、噛んで、それでも前へ出る。

砂の上に足跡が残る。

足跡が残ること自体が、もう一つの反撃だった。


相手の少年が出てくる。

さっきとは別の貴族の息子だ。

背は少し高い。

目が冷たい。

剣を軽く振って、わざと風を切る音を聞かせてくる。


ティロは木剣を握った。

握りが浅い。

浅い握りは震える。

震えが剣先に出る。


周囲が静かになる。

静かになると、心臓の音が大きくなる。

大きくなる心臓の音が、ティロの耳を塞ぐ。


「始め」

声が落ちた。


ティロが一歩踏み出す。

その一歩が、砂に吸われる。

吸われた一歩の先で、相手がにやりと笑った。


ここで、勝負が始まろうとしていた。

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