スパルタクスの反乱
「調子がいいみたいじゃないか」
女騎士との一戦が終わり、ある日のこと食堂でご飯を食べているとシリアスが隣に座ってきて声をかけてきた。
「どうも」
セリスィンは簡単にお辞儀した。
「はれて剣闘士になったってんのになかなか一勝できないやつもいればお前みたいに立て続けに連勝するやつもいる。どちらかと言えば前者が多い中でお前はよく頑張っている方だと思う」
と健やかにシリアスは笑って見せた。
「あっ、シリアスさん」
すると元気のいいセリスィンと同じくらいの背丈の若者が近づいてくる。
彼は確か……。
「ピメル。相変わらずだな」
シリアスはそう青年に笑って見せた。セリスィンはピメルという青年に馴染みがあった。何度か闘技場で顔を見たことがあり、甲高い声のため記憶についていた。
「もちろんっす。とりあえず元気だけは誰にも負けない信条なんで!」
ピメルはそういって豪快に笑った。
「そいつは結構なことだ。セリスィンこいつのこと知っているか?」
シリアスがセリスィンに話題を振ってくる。
「はい。一応」
セリスィンがそう言うと、ピメルは、
「おお、俺のこと知ってんのか!?」
とセリスィンの手を握り盛大に上下に振った。その瞬間セリスィンはピメルが自分の苦手なタイプだと思った。
「俺もお前のこと知ってるぜ。剣を落とした挙句獣のように大地を駆け回り引き分けに持ち込んだ男。全裸での戦いかけて腕相撲して相手を骨折させた男。据え膳食わぬはなんとやらで女がそこかしこにいるにもかかわらず木の実や酒があればそっちに流れていく男」
そういってピメルは楽しそうに笑った。最後の話はよく分からないがピメルにとってはセリスィンはある意味目立つ存在であったらしい。しかしやはり彼の歯に着せぬ物言いはセリスィンの癪に障った。
「無茶苦茶な評判じゃねぇか」
二人を繋いだシリアスが申し訳なさそうにセリスィンに謝ると、
「そういえばお前らはどういう経緯で剣闘士になったんだ?」
と、彼自身が気になっていることで話題を変えピメルとセリスィンの二人に尋ねた。
「確かセリスィンは半年前。ピメルはもうすぐ2年くらいになるよな? 俺が剣闘士になったのは6年前だからそこら辺の背景も違うんじゃないかと思ってな。確かピメルは平民の出だったよな?」
「おうっす。俺はこのカプアの街の平民出身から英雄を目指して剣闘士になったんだ」
そういってピメルはどんどんと自分の胸を叩いた。
「なんつってもよ。やっぱり男なら一度は腕っぷしだけで頂点を目指してぇじゃねーっすか。それならってんで俺はとにかく剣の研鑽を重ねて剣闘士になったんだ!」
そうまごうことなく答えるピメルにセリスィンは呆れを通り越して感心さえも覚えた。
「ははっ、お前らしいな」
シリアスは笑って、
「で、セリスィンの方はどうだ? そういえば出自もよく知らないが」
聞いてきたためセリスィンはどう答えるか考えがあぐねた。
「俺も気になるな。ぜひ教えてくれよ!」
とピメルはかなりの前のめりで食いついてくる。
「俺は……」
そう言ってセリスィンはあの時のことを思い浮かべる。少年とその母親の事件、その発端を引き起こした連中と戦っていた中で現れたジムージーという男。そして彼にのされて地下室で話した一連の会話。
それらが走馬灯のようにセリスィンの頭に駆け巡る。
うまく説明できる自信がなくセリスィンは、
「たまたまだ。孤児で過ごしていたら変な奴に目を点けられてここにきた。路上生活よりはましだと思ってな」
と、説明を大きく端折ってそう答えた。
「なんだよそれ凄い気になる!」
ピメルがさらに目を輝かせて迫ってきたためセリスィンは「また今度な」と優しく諭した。
「お前はどうにも謎に包まれているところ多いな」
シリアスはそう答えながらも微笑んで見せる。
「そういうあんたはどうなんですか? シリアス」
と今度はセリスィンからシリアスに向けて話題を振った。
「俺か?」
突然のフリに少し呆気に取られるシリアス。
「確かに! 気になる!」
と、ピメルが今度は別の玩具を見つけた赤子のように関心を移した。
こいつはなんでも食いつくな。悪魔と契約してきたと言っても信じて輝きの目で話を聞いてくるだろうとセリスィンは思った。しかし一方でセリスィンもシリアスが剣闘士になった理由には興味があった。この半年間で分かったがシリアスはそこら辺の剣闘士とは少し気質が違った。周囲との和を慮る点、困っているもの弱っているものには積極的に声をかけて助けようとするリーダーとしての素質。それでいてただ優しいだけではなく筋が一本通ったブレなさを持っている。彼が皆に好かれ場を統括する役に抜擢されたのもすごく納得がいく。それであるが故になぜカリスマ性の高いシリアスがわざわざ奴隷や捕虜が多い剣闘士のような草の根的な職を選んだのかセリスィンには見当がつかなかった。
「俺が剣闘士になった理由を語る前に俺がお前らと同じくらいの年子だった時の話、20年くらい前になるがその時の話をしよう」
シリアスは持ち前の清流さで話を始める。
おおよそ想定はついていたがセリスィンはシリアスが自分やピメルたちより20歳年上ということを初めて知り、興味の度合いがさらに高くなった。
「今でこそだいぶ剣闘士の立場も確立されるようになってきたが、昔は剣闘士のことをよくないと思う輩がたくさんいた。そもそも剣闘士は使い捨ての民衆の娯楽のための玩具のイメージを持つ人が大半だった」
と、シリアスは語り出す。
「俺もピメルと同じく平民出身で両親は鉄器製作を行う鍛冶屋の職人一家で育った。小さい頃から弟と二人で遊んでいたりしたが、まぁ取り立てて貧しいわけでもなく普通の家庭で育った普通の男の子ってのが俺の半生だ」
そこからはシリアスが丁寧に当時の情勢も絡めて身なりの話に華を添えた。ミトリダテスでの戦に勝利したスッラがギリシアの地から戻りそこにポンペイウスが加わり無敵の状態であったこと、そして今やポンペイウスと並ぶ統制者の当時若かりしカエサルがそのスッラに危うく殺されかけた話。そのどれもがセリスィンにとっては新鮮でまるで物語の中を歩いているかのように聞いていて心地よいものであった。
「そして、13年前あの有名な事件が起きた」
その空気を割くかのようにシリアスが口調を変えて話題を転換する。
「今から13年前に起こった3度目の奴隷戦争、剣闘士の反乱。このカプアの地でスパルタクスを筆頭に70名もの剣闘士が寮から抜け出しヴェスヴィウス山に立て籠ったことをきっかけに最終的に数十万もの群に膨れ上がりイタリア全土を襲撃した事件。当時20歳くらいの俺も近場で起こった大事件に恐れ慄き気が気ではなかった」
そう言ってシリアスは珍しく陰った顔でセリスィンたちを見つめた。
いつも爽快さという言葉が似合う彼らしからぬ表情にセリスィンだけでなく調子者のピメルも黙って話を聞いていた。
「本当にスパルタクスの軍は凄かった。討伐隊やローマ軍の兵団さえも退けこのイタリアの地で彼らのことを知らないものはいなかった。まるで今まで動物のように見世物として扱われていた剣闘士たちが見る見るうちに一国を揺るがす大勢力に変わっていく姿は御伽噺のそれを見ているかのようだった」
セリスィンはにわかにその話が信じがたかった。スパルタクスという人物はなんとなく聞いたことがあったし彼が重度な悪者であったことは周りの会話から察しがついていた。しかし実際に自分がこうして剣闘士になった今セリスィンは彼がやった悪行だけではなく、それを実際にできたことに対するある意味畏怖の念さえも感じていた。こうして何気なく自分の生計のために剣闘士をやっている自分とは比べられない生き方、仲間の命を背負っていることにセリスィンはどうしても反感以外の感情が湧き立つことを抑えられなかった。
「ここまでの話だと尚のことなぜ俺が剣闘士になったってなるだろ?」
ここでシリアスがいつもの微笑みを二人に投げかける。
「この反乱は形を変えて結局2年間くらい続いたんだが、それに終止符を打ったのが今やポンペイウス、カエサルに並ぶもう一人の政職筆頭人が一人クラッスス。彼は時には自分の兵に刑罰を与えるなど下の者から恨まれることもあったがついに2年間勢力を増し続けたスパルタクスの反乱軍を鎮圧した」
最もその時に残党兵をポンペイウスが討伐してその功績を奪い取ったってんで二人の仲の確執は決定的なものになったっていうエピソードもあるんだが、とシリアスは付け加えた。
「スパルタクスはどうなったんだよ?」
ここでピメルが口を開いた。
「スパルタクスは残念ながら最後の戦い-シラルス川の戦いの最中に戦死したとされている」
シリアスが答える。
「彼の遺体は見つからなかったらしいが死んだことはほぼ間違いないとされている。そしてあろうことかクラッススに捕まった総勢6000もの捕虜はローマからこのカプアの地まで続くアッピア街道沿いに十字架に磔にした。本当に恐ろしい光景だったよ」
「えっ実際に見たのか?」
ピメルが前のめりで尋ねる。
「ああ、そうでなくても近場ってんで見にいく輩や通りすがりの商人なんかは嫌でも目に入ったもんだ。丘の上に住んでいるやつなんか遠くの方まで連なっているのが毎日見えて参ったらしい」
シリアスの話にうへぇと舌をだすピメル。毎日起きる度にその光景が目につくのはそれはそれで嫌だなとセリスィンは思った。
「そこで俺は思ったよ。彼らのような人生意味があったのかと」
シリアスは淡々と述べる。
「解放と自由のために戦った挙句最後は虚しい最期を迎える。当時20そこらの一青年にとっては初めて人生とは空虚なものなのかと心病んだものだ」
シリアスの言葉にセリスィンも同感した。自分も流浪の身であったことはよく感じたことであった。地べたで寝ている時に死んでいる虫を蟻が運ぶ光景に自分を重ねて自分もいつか誰からも見守られることなく静かに息を引き取ると考えただけで心の底から寂しさが湧き上がったものだ。
「本当に意味なんてものはない。ただあるのは結果と現実だけ。そう思うと俺は今のままの生活で何不自由なく暮らすのが一番だと思うようになっていた。そんな時だった。ある話が耳に舞い込んできた」
シリアスはここでニヤリと笑い、
「今回の反乱を機に貴族たちが奴隷たちの処遇を見直し始めているってものだった。噂話で具体的にどんな話だったかは省略するが各方からそうした話が聞こえてきたよ」
そう語った。湧き立つようなシリアスの様子にセリスィンは驚いた。
今まで笑顔を絶やすことがなかったシリアスだったが、今までの中で最も心が躍っているようにようにセリスィンには思えた。
「今まで絶対的であった奴隷の階級制度が、だ。こんなことはロムルス王がこの国を作り制度が生まれてから奴隷制度ができてから今の今まで一度もなかった」
「すげぇ」
ピメルの素直な感嘆の声に、「だろう?」とシリアスが笑った。
「意味があったんだ」
シリアスは呟いた。微笑みを浮かべた紳士の佇まい。思い出を噛み締めるかのように彼は笑っていた。
「志半ばで死んだスパルタクス、磔にして見世物にされた奴隷や剣闘士たち。それでも彼ら、彼女らの人生には大きな意味があった。後続の、後継の子孫たちにつなぐ意思という名の刃。一人一人の意思が、行動が世の中に小さいが、だが確実に影響を与えているんだ」
「でもまぁ、貴族たちがまた反乱が起きるのを恐れたんでしょうね」
どこかいつも以上に真面目なシリアスに茶々を入れたくなりセリスィンはそう口を開いた。
シリアスは目をパチパチさせ、「それもそうだ」と声に出して笑った。
「けど、かっこいいぜそれは憧れるな!」
ピメルの言葉にシリアスは頷く。
「そう。だからその生き様に憧れた俺は剣闘士になった。なんてことはないことかもしれないが今まで親の家業を引き継いで普通で平凡な一生を送ると思っていた俺だったが、その温風の影響を受けていてもたってもいられなくなった。そしてまんまと感化された俺はこうして剣闘士の道を歩んだってわけだ」
シリアスがそう語り終えた時にはセリスィンもスパルタクスを始めとする剣闘士たちを素直に尊敬に値する人物たちと思うようになっていた。そしてシリアスが剣闘士になった理由にも納得が行った。優秀で温厚でカリスマのある彼がある意味でそうした自分が持っていない泥臭くそれでも輝きを放つ男に強く惹かれる。それは彼が最も欲しかったものだったのかもしれない。
「とまぁ剣闘士になったんだがこのままだと特に何事もなく剣闘士としての一生を迎えそうだな」
話している内容とは裏腹にシリアスは生き生きとしている。
どういう形ではあれ自分が納得する生き方ができているのだろう。
セリスィンは半ば剣闘士しか選ぶ道しかなかった自分と比べ自らの意思でここに居るシリアスに嫉妬混じりの敬意を感じる。
「うぉー俺もスパルタクスみたいになるぜ!」
と真っ直ぐに言葉を吐くピメルに「お前は単純だな。野垂れ死ぬなよ」とシリアスは苦笑した。




