鎧の剣闘士
セリスィンが剣闘士になってから、半年が過ぎようとしていた。
ここまでの戦いはすべて勝利。巷では少しずつ名が囁かれ始めている。とはいえ――まだ“名指し”ではない。
「威勢のいい若造がいる」 「動きの速い少年だ」
そんな程度だ。クルスス・ホノルムだの栄光だの――その入口にすら立てていない。名前を覚えられるには、まだ時間がかかりそうだった。
次の対戦日程も決まった。午前の稽古を終え、宿舎でぼんやり過ごしていたセリスィンは、いつも通りの廊下で“見慣れないもの”を見かけた。
鎧姿の人物。
――初陣の前夜、親睦の宴で気になった、あの剣闘士だ。
(なんで、こいつがここに?)
疑問を抱きながらも、セリスィンは自然に足を向けていた。相手も歩みを止めず、こちらへ向かってくる。
すれ違う。
その瞬間、セリスィンは息を詰めた。
(……これは)
鎧の隙間から覗いた首筋の細さか、歩幅の癖か、それとも――ほんのわずかな匂いか。理屈では説明できない何かが、胸の奥に引っかかった。
セリスィンは振り返り、呆然とその背を見つめた。
声をかけたいのに、何と言えばいいか分からない。
結局その日から十日後の試合まで、セリスィンはその人物を見ることがなかった。
◇ ◇ ◇
試合当日。
セリスィンはいつも通り起き、いつも通り身支度を整え、道具を点検して円形闘技場へ向かった。
逃げようと思っても、そう簡単にはいかない。見張りがいる。契約がある。ここにいる限り“いつも通り”に従うしかない。
控え区画に入り、着替えながら準備を進める。
今日は別会場なのか休養なのか、バナンテの姿はない。剣闘士の出番は流動的だ。いちいち把握もできない。
やがて本日の組が発表された。
セリスィンは昼の部、三つ目。少し遅い出番だった。
◇ ◇ ◇
昼の部が始まり、一戦目、二戦目が終わる。
いつも通り、係の合図でセリスィンは通路へ出た。熱、砂、歓声。あの渦へ入っていく感覚は、半年経っても慣れない。
そして向こう側の扉から、対戦相手が姿を現す。
――そこで、セリスィンは息を呑んだ。
本日の相手。
それは紛れもなく、宿舎ですれ違った“鎧の剣闘士”だった。
◇ ◇ ◇
「鎧の騎士、頼むぞー!」
観客が二つ名で呼ぶ。
セリスィンの動揺とは裏腹に、相手は堂々と立っている。微動だにしない。構えに“飾り”がない。だが、動かないこと自体が圧になっている。
セリスィンは観衆の輪へ踏み込む。
「がんばれよ、ガキ!」 「いつもの速さ見せろ!」
(……だからガキでも坊主でもねえっての)
心の中で毒づき、視線を相手へ固定する。
相手が一歩進む。セリスィンも鏡のように合わせる。
間合いが詰まる。
先に動いたのは相手だった。
鋭い一太刀。セリスィンは受けた。金属が噛む音がして、腕が痺れる。模擬戦の木剣とは別物だ。
「いいぞー!」
観客の温度が上がっていく。
そして、またあの違和感が刺さる。
(……やっぱり、何かおかしい)
考えがまとまるより早く、相手が流麗に横薙ぎを放った。
しまっ――と思った時には遅い。
胴に衝撃。鎧が受け、セリスィンは後ろへよろめいた。
鎧がなければ、今ので決まっていた。
だが、困惑している場合じゃない。相手は明らかに自分より場数を踏んでいる。剣の“間”が違う。
(確実に。着実に)
セリスィンは相手の呼吸、剣筋、踏み込みの癖を探る。無駄がない。弱点が見えない。
――たとえ相手が“あれ”だとしても、ここは剣と剣の勝負だ。
相手は、自分を狩りに来ている。
セリスィンの剣が少しずつ照準を合わせていく。この半年で、戦いの恐怖に飲まれにくくなった。ちょっとやそっとでは揺るがない。
セリスィンが圧をかけ始めると、相手の動きがわずかに窮屈になった。
連撃、連撃、連撃。
後ずさった相手の足がもつれ、体勢が浮く。
「あっ――」
その瞬間、狙ったわけではない。セリスィンの剣が兜の縁を捉えた。
金具が鳴り、兜がずれる。
そして、滑るように外れた。
一瞬の静寂。
露になった顔を見た瞬間、セリスィンは確信した。
(……やっぱり、女だ)
短く刈られた髪。汗に濡れた肌。瞳の強さ。鎧の中に隠していたものが、そこにあった。




