指名手配 。そして、動き出す世界と、古龍の予感
聖騎士団が王都へ引き揚げていく姿は、征討軍のそれとは程遠いものだった。
鎧はカビて朽ち、剣は鞘から抜けない。だが、四百名の兵士たちの表情には、敗北の悲壮感よりも、どこか晴れやかな「余韻」が漂っていた。
「……なぁ、団長。俺、あの黒い酒の味が忘れられねぇんです」
シャツ一枚の若い兵士が、未だにスタウトの香りが残る喉をさすりながら呟いた。
「……馬鹿者が。我々は敗れたのだぞ」
ガストン団長は厳格に答えたが、その手には、ウィルが「旅の餞別」として持たせた小さな樽が大切そうに抱えられていた。
「……だが、あの男が言った『発酵は、停滞を打破する命の脈動だ』という言葉。あれは、教会の教えよりも深く、私の魂に響いた」
彼らが王都に持ち帰ったのは、敗北の報告だけではない。
「不浄の醸造師が造る酒は、神の雫を凌駕する」という、教会にとって最悪の「福音」だった。
数日後。王都アルバードは、建国以来の激震に揺れていた。
騎士団の無惨な姿と、民衆の間に広がる「ビールの熱狂」。これに激怒した枢機卿は、ついに最後の一線を越える。
王都の至る所、そして近隣諸国のギルドに、一枚の「黄金の羊皮紙」が貼り出された。
> 【世界指名手配:不浄の醸造師ウィル・ロット】
> 罪状:国家反逆、禁忌発酵による武装破壊、聖女誘拐、及び民衆の煽動。
> 生死を問わず。報奨金:金貨五万枚(一国の国家予算に匹敵)。
> さらに、奴の所有する『鉄の馬車(大樽号)』の奪還、及び醸造レシピの提出者には、王国の終身貴族の地位を約束する。
>
「金貨五万枚だと!? あの不浄の男一人に、それだけの価値があるというのか!」
宿場町の冒険者たちが、色めき立つ。
「いや、狙いはレシピだ。あの酒を独占すれば、世界の流通を握れる……。これはただの処罰じゃない。**『ビールの覇権戦争』**の始まりだぞ!」
枢機卿の狙いは明白だった。ウィルを「世界の敵」に仕立て上げることで、彼の醸造技術を奪い、教会の管理下に置くこと。
この瞬間、ウィルの旅は、単なる放浪から「全世界の賞金稼ぎと権力者を相手にする逃亡劇」へと格上げされた。
一方、そんな喧騒を余所に、大樽号の車内では優雅な(?)反省会が行われていた。
「五万枚……! 私の首、いつの間にそんなに高級品になったんですか」
ウィルは、リネットがどこからか持ってきた自分の懸賞状を見て、苦笑いした。
「すごいじゃない、ウィル様! これでもう、宿屋に泊まる必要もないわね。どこに行っても『歩く金山』として大歓迎(襲撃)されるわよ!」
リネットは楽しそうにナイフを弄んでいる。彼女にとっては、敵が増えるほど「仕事」が増えて退屈しないのだ。
「笑い事じゃないわ。……枢機卿、本気ね」
エルザは、地図の上に指を置いた。
「騎士団が敗れた今、王都は正規軍ではなく、もっと狡猾な『外部の力』を使ってくる。……それに、ウィル。あなたの右腕の傷、まだ癒えていないわ」
ウィルの右腕には、インペリアル・スタウトの極限発酵で刻まれた「焦げ茶色の紋章」が深く残っていた。それは魔力を過剰に喰らう、呪いにも似た進化の証。
「……この腕を癒し、さらに上の醸造を目指すには、人間の知識だけじゃ足りない。……バルカンさん、例の場所へ行けますか?」
バルカンが、重厚なハンドルを握りながら頷いた。
「がっはっは! 合点承知じゃ。……このまま北へ向かう。そこには、世界で最も『古く』、最も『芳醇な』空気が流れる場所がある」
「北の……『忘却の雲海』ですね」
大樽号が北へと進路を取り、標高数千メートルの高地へと差し掛かった頃。
周囲を包む霧が、不自然なほどに「甘い香り」を帯び始めた。
カイルが異変に気づき、剣を抜く。
「……待て。風向きがおかしい。……上だ!」
雲を割り、巨大な影が音もなく舞い降りた。
それは、伝説に語られる古龍――『大気の発酵者』エクリプス。
その鱗は深みのある真鍮色をしており、翼を羽ばたかせるたびに、空気中の水分が微かに発酵し、周囲に花の蜜のような芳香を撒き散らす。
古龍は、巨大な瞳を大樽号に向けた。
その視線には、獣の凶暴さではなく、数千年を生きる知的存在特有の「退屈」と「渇望」が宿っていた。
『……人間共。……先日の、あの「漆黒の揺らぎ」は、貴様らの仕業か』
古龍の声が、直接脳内に響く。
その「漆黒の揺らぎ」とは、間違いなくウィルが放ったインペリアル・スタウトの魔力のことだった。
『我が眠りを妨げたのは、数百年ぶりの「本物の香り」であった。……不浄の男よ。貴様の造るものが、我の渇きを癒す「神酒」か、それともただの「腐敗」か。……我自ら、試飲させてもらおう』
古龍は、戦うためではなく、「一杯の酒」を求めて、地上へと降り立った。
ウィルは、古龍の圧倒的な圧力を前にしながらも、静かに一歩前へ出た。
右腕の紋章が、共鳴するように熱を帯びる。
「……最高の審査官ですね。……エルザさん、バルカンさん。……これまでのレシピは、一度すべて忘れてください」
ウィルは不敵に笑った。
「相手は、世界の歴史を知る龍だ。……こちらも、世界を丸ごと樽に詰めるつもりでいかないと」
黄金の懸賞金、動き出す暗殺者たち、そして目の前の古龍。
ウィルの醸造は、ついに人知を超えた「神話的発酵」の領域へと足を踏み入れる。




