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第七話

「ねむい」


 軍馬に乗っているとはいえ、集団で動くとなれば自然、足の遅い者に合わせることになる。

 隊列であれば言うまでもなく、これは歩兵だ。あるいは馬車も歩みは遅いが。

 単調な道をゆらりゆらりと常歩で行く馬の背に揺られていると、油断をすれば居眠りでもしてしまいそうだ。

 あるいは、実際に居眠りをして脇に逸れていく者も見られた。その度に気づいた者がその肩を叩いて目を覚まさせていたが。

 馬の方でも時折、ぼんやりしていて道に脚を取られるような始末。よく晴れ渡った空からは穏やかに陽が射していて、昼寝日和には違いなかった。

 ふと横を見れば、がっくんがっくんと船を漕ぎながら寝ているゲルダの顔があった。

 如何にも間の抜けた様子で、しばらくそれをぼんやりと見ていたが、後続の騎士も多いここで落馬でもしたら大変だ。

 ルリーナ自身も、判断が遅れたというのは半ば意識が飛んでいたのかもしれない。


「ゲルダさん、ゲルダさーん」

「はっ! 失礼しました!」


 がばっと顔を上げたゲルダは、危うく拍車を踏み外して鞍から滑り落ちかけた。

 慌てたのは彼女だけでなく、その乗馬である。いきなり手綱を引かれ驚き、抗議の嘶きを上げた。


「すみません。どうにも気が緩んでしまい……」

「口元口元」


 キリッとした顔をして見せた彼女だったが、その頬にはよだれが垂れている。

 またも慌てて口元をごしごしと擦ると、頬を赤く染めて首を縮めた。鎧の首当ての中にでも隠れたいようだった。


「恥ずかしいところをお見せしました」

「いえ、こうも平坦な道が続くと眠くもなりますよね」


 景色も代り映えしない草原だ。青々とした草が風に吹かれてそよいでいる。


「もうそろそろ休憩のはずですから、もうひと踏ん張りです」


 後ろを見れば、そろそろ歩く者たちの歩みも鈍ってきたようだ。

 騎士たちも馬に乗っているから楽、という訳でもない。移動中とはいえ臨戦態勢で重い装具を身に着けていることもあり、鞍に触れた尻や腰が痛みを訴えてきている。

 前を行くエセルフリーダなどは何でもないような顔をしているが、疲れが溜まるのは確かだ。


「今日はどこまで行けますかねぇ」


 王都へはかつてルリーナが通ったように、深き森の街を経由して向かうことになる。街に止まる時間もなく、本当に経由するだけになるが。

 とは言え、途中途中で村に立ち寄っては宿を借りてはいた。ルリーナら騎士や兵はともかく、仮にも女王が毎日野営、というのも無理があるだろう。

 実際に話してみればそんなことを忘れてしまうものだが、アイラは間違いなくまだ幼い少女でもある。体力的に厳しいはずだ。

 滅多に見ることもない君主が立ち寄るということもあり、ついでにお金を落としていくのだから、村からの受けは良かった。


「そういえば、この辺りは王女派の領地なのですか?」


 休憩に入るまでの暇つぶし、ということでゲルダに尋ねた。


「ええ。おおよそ、王子派は竪琴王国との国境側に集まっていますね」

「ふーむ。帝都に近い方に有力な諸侯は居そうなものですが」

「と、言いますと?」


 国の立ち上がりを考えれば、帝都に近い方がより古い家あるいは影響力を与えられる場所に思える。

 そう述べれば、ゲルダは考え込むように顎に手を当てた。


「なるほど。そのような考え方もあるのですね」

「獅子王国では違うのですか」

「ええ。古くは異民族との戦いのために北の方へこぞって集まっていましたし……」


 近くは、国境を守るためにリュング付近に居る。それも、常に戦争状態のため有力な諸侯とはすなわち武功の著しい者であり、それは古い家系に限らない。

 となると、野心的な者も増える訳で、それがリュング辺境伯領の分割統治であったり、今回の王位継承争いに繋がる訳か。

 先王がそれらをまとめる紐帯となる一方、その字句通り締め付けていたのだ。野心を持つ者にとっては今はまさに箍が外れた状態だ。

 アイラが嫌われるのにもそれが関係するだろう。戦場での実績もあり、その意見は頭ごなしに否定できない。

 その上、明らかに自らの派閥を強化するように新貴族を次々手元へと置いていく。

 王権が強ければ強いほど、アイラを嫌う者たちには不都合な訳である。

 それで、まだ物心ついていない王子を擁立しお飾りに仕立て上げようとして、その実母である王妃を唆したのだと考えれば、状況は解りやすい。


「まったくややこしい話ですね」


 つまるところ、完全なる内輪揉めだ。

 ゲルダが問いかけるような視線を向けてくるのに、何でもないと首を横に振る。

 彼女に聞かせる話でもなし。あるいはどう思うのか気になるところではあったが、面倒そうなのでやめておいた。

 先導の騎士が止まったようで、次々と騎馬が足を止めて行く。どうやら、休憩場所まで辿り着いたようである。


「じゃあ、私は隊の方を見に行きますね」

「ああ、任せた」

「それでは私も……」

「ゲルダさんもちゃんと休んでくださいね」


 真面目というより緊張しているといった様子で、どうにもゲルダはちゃんとに休めていないような気がする。

 慣れない者にはよくある話で、気を抜くところでそれが出来ていないのだろう。

 釘を刺しておいたところで直るものでもないだろうから、気休め程度ではあった。


「どうですか? 調子は」

「いやぁ、何も起きようもないでやすなぁ」


 手綱をバリーに預けて、傭兵隊が屯して休憩する場に顔を出せば、彼らは眠そうな顔を並べていた。

 

「平和なのは良いことじゃないですか」

「とは言いやしても、ここまで何もないってなると」


 なぁ。と、カメは左右の傭兵らと目配せをした。


「何だかんだ、前は色々ありやしたからな」

「盗賊に襲われたりな」


 言われてみれば、確かに道中何事もなく、というのは久方ぶりの事に思える。

 街でも特に荒事に巻き込まれることはなかったし。


「ま、どうせ暫くすればまた忙しくなりますから」

「それはそれで嬉しくないんでやすがね」


 カメは大きく溜息を吐いた。傭兵隊にはこれからの作戦について説明はしていなかった。

 どこから話が漏れるか解らないということもあり、必要でない所は教えることもないだろう。

 彼らを信用していないという訳ではないのだが、人の口に戸は立てられないと言うように、ちょっとしたことで悪気なくこぼしてしまうものだ。


「姉ちゃん、馬の世話終わったぜ!」

「とう」


 大声を上げて駆け寄ってくるバリーの頭頂に、鞘ぐるみに抜いた剣を見舞う。


「痛ってぇ! 何すんだよ」

「姉ちゃん、じゃないでしょう。従士くん」


 叩かれて赤くなった額を抑えながら、ぐぬぬ、とバリーは声を上げた。

 恨みがましい目をルリーナに向けつつ、それでも素直に言い直す。


「ルリーナ卿、馬の世話終わりました……?」

「よし、ご苦労。ちゃんと休憩も取るんですよ」


 言葉遣いも態度もまだまだ、という所だが、まぁ、よく働いてくれてはいる。

 剣や乗馬についても暇を見て教えていたが筋は悪くなかった。運動が得意なのだろう。

 体が出来ていない分まだ頼りないところで戦列に加える気にもならなかったが、将来は良い兵にはなると思えた。

 本人は騎士になるんだ、と息巻いているが、それについては何ともいえない。


「なあなあ、まだやることはねぇか?」

「おう坊主、良い心意気だが今はねぇぞ」

「休むのも仕事の内だぜ」


 傭兵の輪にもすっかり馴染んでいる様子で、隊の弟分、といったところだ。

 今回の出陣に少年団はついてきていない。というよりも、部隊を一部抽出して最低限の構成にしている。

 少年団は今はリュング城に置いてきたのだが、彼ら彼女らも幼いながらよく働いてくれていた。

 特にリョーの手伝いをしている子らは大人顔負けの料理を作ってみせるものだ。


「ぬぅ、あの子は連れてきたいところでしたね」


 リョーは元々、大陸の宿で厨房を任されていたとかで、今ではすっかりリュングの料理人である。

 せめてその補佐をしている少女を連れてきたかった。野営の食事は日持ちが優先されてどうにも味気なくていけない。

 とにかくしょっぱいだけの干し肉は表面に塩が浮いて見えるほどで、二度焼された堅いパンは釘が打てそうなもの。

 そうでもなければ味のないどろりとした麦粥だったりで、移動続きでお腹が空いていても、どうにも喉を通らない。

 一応はところどころで手に入る食材と共に煮たりはするのだが、料理というにはほど遠かった。

 白いシーツと温かい料理。まだ数日しか経っていないが、宿が恋しく思える。


「ま、ないものねだりしても仕方がありませんか」


 傭兵達が特に不自由している様子のない事を確かめた後、彼らの下を離れる。

 休憩のために荷物を広げた軍団の中を歩いていくと、休む姿勢も、隊によってさまざまである。

 傭兵らは靴や兜を放って寝っ転がっている様子だったが、王直轄の兵ともなれば、襟をくつろげることすらしていない。

 数人の諸侯が連れている領民からなる兵は、元が農夫であったりと、行軍に慣れていないものだからげっそりとした様子を見せている。

 武器に体を預けて座り込んでいる彼らは、慣れていないからこそ、せめて靴は脱いでおいた方がよいと思うのだが、その余裕もないようだ。

 一方それらの中に混ざっている長弓兵は余裕のある顔をして、弓の弦や矢羽を確かめていたりする。


「よし、いっちょ賭けをするか」

「おう。やってやろうじゃねえか」


 一体、何の話をしているものかと思えば、どうやら長弓兵の一人が弩を手にした傭兵に力試しを挑んだものらしい。

 本当に、随分と余裕があるものだ。ルリーナは興味を惹かれてそちらを覗いてみる。

 何か揉めているものかと、従士隊が寄ってきたが、状況を見て静観することに決めたらしい。

 喧嘩事でもないし、これくらいなら親睦を深めるレクリエーションのようなものだろう。

 面白そうなことをしている、とあっという間にその長弓兵と弩兵の周りには野次馬が壁を作り始めていた。


「ぬぬぬ、見えませんね」


 身長が足りない。常にはほとんど気にしないそれだったが、こうして兵に囲まれると否が応にも意識するしかなかった。

 ちょっと悔しい。体を滑り込ませるようにして、何とか人混みから首を出した。途中、鎧が引っ掛かって、苦情の声が上がった気がしたが、仕方あるまい。


「って、アレ、うちの弩兵じゃないですか」


 今や互いの言い合いは熱くなり、喧々諤々の口論の様相となっていた。

 口角泡飛ばして弩の有利性を語るのは、ルリーナの傭兵隊の一人だった。手には、金属弦の強力な弩弓を持っている。

 易々と騎士の鎧も射抜けるだろうそれは、完全に彼の趣味で持っているもので、前回の戦の際に見て随分と個性的だと思ったものだ。

 正直、アレで射られたくはない。しかし、本当に好きで弩を握っていたのだな、と熱弁する彼に微妙な苦笑いに口元が歪んだ。

 面倒ごとは起こさないで欲しいものだが、彼を止めるのは気が引けた。後ろから射られそう。


「じゃあどっちが遠くまで飛ばせるか勝負だ! おい、お前ら!」


 傭兵らが走って数歩ごとに目印を立て始めた。これでどこまで飛ぶかを競おうという訳だ。

 弩は強力で真っすぐに遠くへ飛ばせるが、短いボルトは弓なりに飛ばすのには向いていない。一方、長弓は長い矢が真っすぐに飛ばせば落ちるが、宙に向けて放てば弧を描いて遠くへと届かせることが出来た。

 とはいえ、傍から見ているルリーナからすると、結果は火を見るより明らかだった。

 長弓の射程は、それを扱う人間によって変わるとはいえ、前回の戦で大体のところは掴んでいる。

 そう、一度弦をセットして引き鉄を引けば同じだけの威力を発揮する弩と違い、弓は一つ一つが個人に合わせてあり、扱う者によって随分と勝手が変わる。

 具体的に言えば、弦を引く重さはそのまま威力や射程といったものに関わり、それは直接、弓手の筋力に因った。

 もちろん、思ったところへ矢を送るというのは熟練が必要で、だからこそ毎日、長い時間をかけてそれを引き続けた弓兵というのは、換えの効かない戦力となるのだ。


「じゃあ、俺から射させてもらうぜ」

「おう。見ていてやろうじゃねえか」


 巻き上げ機を用いて弦を引き、そっとボルトを弩のくぼみへ置いた弩兵が真っすぐに弩を構えた。

 改めてその様子を見て、長弓兵の表情も硬くなる。一般に使われる弩弓に対して、それは余りにも大きい。

 弦が唸る音は、重く鋭く凶悪なものだった。風を切って飛ぶ重いボルトは目で追う事すら難しく、野次馬も思わず口を開いてそれを見ていた。


「何だありゃあ」


 と、思わず呟いた一言が、皆の思いを代弁していただろう。

 矢の飛ぶ先で、どこまで飛んだかを確認するために立っていた兵が慌てて当たるまいと頭を下げた。


「何歩くらい飛びましたかねぇ」


 軽く三十歩を数えた目印を飛び越えて、遥か遠方にボルトは消えていた。

 弩を下ろした傭兵は満足げにそれを下ろすと、長弓兵に向き直る。


「どうだい。その長弓でこれ以上に飛ばせるかい」

「いやぁ、すげぇもんだな。ちょっとこれは無理かもしれねぇが……」


 ちょっと見ていろ、と言った弓手は、仲間内から一番大きく作られた弓を借りた。

 先ほどの光景を見ていたものだから、諦めるものだろうと思っていた野次馬も何を始めるのかと目を見張っている。

 それを横目に長弓兵は悠々と準備を進め、弓を撓めると弦を強く巻いた。


「よっし、少し離れてな」


 何を思ったか、彼は地面に仰向けに転がった。そのまま、膝を折り曲げると足の裏で弓を支え、両手で弦を持つ。

 足に固定した弓を膝の力で伸ばし、両手と背中で弦を引き絞る。例えて言えば、体全体を弩にした形だ。

 弦か弓か、限界まで引き絞られたそれからは、軋む音が聞こえる。


「それ、行くぞ!」


 気合と共に放たれた弦は鋭く空を割き、矢は遥か空の向こうへ消えたように思えた。


「ま、曲芸射ちの類だがな」


 彼が立ち上がって、服に着いた砂を払うのに十分な時間が経ったころ、ようやく矢が落ちてきた。

 それもまた、三十歩を軽く越えた先に落ちたが、どうやら弩兵のボルトよりは手前のようである。


「いや、驚いた。長弓でもここまで飛ばせるものなんだな」

「そっちこそ、竪琴のやつらが持ってくるおもちゃとは大違いだったな」


 今や互いに睨み合っていた男たちは手を握りあい、互いの健闘をたたえていた。

 周囲の野次馬が喝采を浴びせる中、ルリーナは暑苦しい展開に溜息を吐いた。


「納まるところに納まって良かったですけれど」


 これで刃傷沙汰になっていれば、面倒なことは避けられなかっただろう。


「でもよ、この勝負は負けちまったが、弓には弓にしかできねぇこともあるんだ。おい」

「あいよっ!」


 長弓を持った彼が声を掛けると、仲間内の一人が木の皿を二つ宙に投げた。

 いつの間に矢をつがえたものか、瞬きの瞬間に一つ、二つと放たれた矢は、その皿が地に着く前に見事、その中心を射抜いていた。


「確かに、弩じゃあそんな芸当無理だな」

「長弓が負けている、なんて思われたんじゃ立つ瀬がねぇからよ」

「いや、今はそんなこと考えちゃいねぇよ」

「意地だ、意地。頼りにしてるぜ」

「おう。なんだ、すまなかったな」


 強力な金属弦を使う弩の巻き上げには、巻き上げ機を使って一分ほどの時間が必要で、その間に長弓は何回射ることができるものか。

 そもそも、比べることが無意味だったのだと、とんだ茶番劇を見せられた気分である。


「まぁ、でもあの曲芸射ちは良かったですね」


 まさか、足を使って射るという手があるとは思っていなかった。

 盛り上がる野次馬を今一度すり抜けながら、ルリーナは独り言ちた。

 休憩中の余興としては面白かった。これに銃を加えてみれば、などという話にならなくてよかったとも思う。

 そんなこんなとしているうちに時間は確実に経っていて、どうやら出立の時間もほど近い。


「長く感じるものですねぇ」


 何もない道のりは、まだまだ続きそうだった。

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