第六話
「リュング卿、ブレント卿、それにルリーナ卿、久しく」
「あー、お久しぶりです。従士隊長さん」
ブレント卿とは誰かと思えば、ゲルダの事だったか。エセルフリーダとゲルダは軽く挨拶を返す素振りに留めていた。
登り始めた朝日が斜めに射し、ルリーナの愛馬であるヘイゼルの鼻息も白く、きらきらと輝いて見える。
春も終わりとはいえ、早朝は実に冷えた。今、真珠の港の中央広場には獅子王国の兵員が集合している。
王女、いや、正式に女王となったアイラの馬車を中心に、今や大所帯となった獅子王国の兵ら、そして騎馬がひしめくように展開している。
街はまだ起きる前の様子で、誰もが大声で話す訳ではないが、出立前特有のどこかざわついた空気が場を占めている。
「あれ? 従士隊の方、減りました?」
「王の従士……女王陛下の従士にしても、各個人には立場がありますゆえ」
帝都に入って以来に見た従士隊とその隊長、いけ好かない優男だったが、どうにも彼らの隊列には抜けが目立った。
「立場というと……ああ、そう言う事ですか」
獅子王国の王の従士隊というのは、選抜された諸侯の子弟からなるいわば親衛隊のようなものだ。
彼の顔にはどうにも陰があるように見える。となると、その従士隊の中からも王子派の側につき、隊を離れた者がいるのだろう。
仕方あるまい、相当数の強豪諸侯があちら側についている。ということは従士隊に所属するような者の父兄はおおよそあちら側という訳だ。
かつての仲間と矛を交えるというのは、よくある話でもあったが、気持ちの良いものではなかろう。特に、彼らのような、所属する集団に依って立っている者には。
「陛下御自ら王女殿下、いえ、女王陛下をお守りするよう命じられたにも関わらず、不甲斐無いことです」
「なるほど、それがあなた達がアイラ……女王陛下につく理由ですか」
立派な忠誠心である。あるいは、両派に分かれることでいずれが勝ったにしても家を残そうという策略か。
しかし、そうか。そうなると彼らはかつての同僚どころか、自らの生家に鉾先を向けるということになるのか。
「ところで従士隊長さんの家は」
「それは、お答えしなければいけないものでしょうか」
「いえ。少々、気になったもので」
「私の家がどうであれ、忠誠を疑うとあらば誰であれ切り伏せて見せましょう」
あはは、とルリーナは誤魔化すように笑った。従士隊長のまさに逆鱗に触れてしまったようで、彼はまなじりを決して睨めつけてきている。
どうやら本当に、彼の生家は王子派の側についているようである。それは表情も暗くなろうというものだった。
「お気に障ったようで申し訳ないです」
「……いえ、自分こそ感情的になってしまいました」
従士隊長は大きく溜息を吐くと、頭を冷やしてくる。と従者に手綱を預けて離れて行った。
いけ好かない男ではあったが、常の嫌味なまでの自信に満ちた態度がなくなってしまえば不安になるものだ。
「ケイト殿も大変そうですね」
「誰ですかそれ」
馬を寄せてきたゲルダに思わず聞き返すと、困ったような顔をされた。
彼女の騎馬は体躯こそそこまで大きくはないものの艶やかな毛並みをした鹿毛で、しなやかな肢体は走らせれば如何にも絵になりそうなものだった。
「先ほど、お話しされていたではありませんか」
「ああ、あー、従士隊長さんでしたか」
そういえばそんな名前だったか。何だかんだと闘技会の時から顔を合わせているはずだったが、今の今まですっかり忘れていた。
従士隊に所属している貴族の子弟はその名の通り従士身分だが、後々、確実に有力な貴族になることから、寧ろ騎士よりも上に扱われるところだった。
彼らはあくまでも従士然として騎士や諸侯を上に置いているが、それこそ統率の高さが窺えるところだ。
そうなると従士隊長というのは中々の身分であり、将来を約束されている身なのだろう。
まぁ、闘技会ではルリーナに惨敗したのだが。悪いことをしたと思わなくもない。大人しく槍試合にでも出ていればよかったのに。
「心中、察して余りあります」
「そう、ですかぁ」
思わず覗き込んだゲルダの目は、確かに心から従士隊長に同情しているようだった。
なるほど彼女と従士隊長には似通ったところがあると言えなくもない。というよりも、まともな貴族は皆、こんな調子なのだろうか。
「隊長、準備できましたぜ」
「了解です。では、そちらは引き続きカメさんに指揮を任せます」
「へい」
「お上品にお願いしますよ」
「了解で。いやぁ、まさか女王様と歩くことになるとは思いもせんでやしたな」
ルリーナの傭兵隊の面々を見やれば、どうにも居心地の悪そうにしている。
それも当然だろう。護衛の舞台はまさに獅子王国の精鋭が集まっており、追いついてきた歩兵隊にしても、磨き抜かれた胸甲や鎖鎧を身に着けた長弓兵や槍兵ばかり。
騎士や従士に囲まれて、如何にも傭兵然とした雑多な装備をした彼らは完全に浮いていた。
「ま、新参者ゆえに、ということで許してもらいましょう」
傭兵隊とは言ったものの、正式にはエセルフリーダの兵だ。彼女に指揮を任されているだけで、今やルリーナは彼らの隊長ではない。
エセルフリーダに集合完了の報告をすれば、彼女は一つ頷いてみせた。
「ご苦労。所定の行動に移るように」
「了解しました。しかし、随分な大所帯になりましたね」
「これでも少ない、と言わざるを得ないだろうがな」
エセルフリーダは皮肉気に笑ってみせた。数百という規模は一つの集団としてみれば確かに大規模だったが、軍としてみればその一部とはいえ心許ない。
王の軍勢というならば、千は優に超えてもおかしくはないだろう。見栄を張るにしても、数が少なすぎる。
物見高い街の住民が遠巻きにこちらを見ているが、見られる側としてはやはりここは数を見せつけたいものだ。
女王、アイラも騎馬に跨らず馬車の中だし、何とも寂しい隊列である。
「戴冠ってもっとこう派手なものだと思っていたのですが」
「拍子抜け、という所か?」
「そういう訳ではありませんが……」
いや、そういう事か。ちょっと期待していた、という所がない訳ではない。
「本来なら王都に着いたのちに、改めて諸侯を集めて式の次第、といったところなのですが」
自らの隊を見に行っていたゲルダも戻ってきて話に加わる。
そう、彼女は彼女で、ノルン卿の代理として幾らかの隊を率いているのだ。
「まぁ、今はそれどころではないから仕方あるまい」
「全ては、事が済んでから、ですか」
王都から来た便りによると、王子と前王妃を載せた馬車が隠密裏に街を出たという。
このタイミングで王都を出る、というのは勿論、考えにくかったし、何か理由があるならば堂々としていればよいだろう。
コウがどうやってそれを知ったものかは解らないが、エセルフリーダに送られて来た諸侯の手紙にもその旨が書かれていたそうだから、間違いはない。
「もう間違いようはありませんね」
「ああ。一戦、控えているだろうな」
離反である。王都に戻って前王妃が居ないとなれば、アイラの女王戴冠を認めないという意思表示となるだろう。
「皇帝陛下が確かに王権授受をなさったというのに」
ゲルダにとっては信じられないことらしい。最後までまさか、という言葉を付けていた。
「やはり、王国の諸侯に剣は向け難いですか?」
「正直に申せば……いえ、彼らは謀反人ですから」
ゲルダは迷いを振り切るように首を横に振った。
時同じくして、出発の号令が掛けられる。喇叭手の吹くそれはどこか籠って聴こえた。
ゆっくりとした足取りで二歩三歩と馬が歩き始め、蹄が石畳を踏む重い音が漆喰で塗り固められた街に響く。
周りに合わせて脚を出したヘイゼルの手綱を緩め、歩くままにしながらルリーナは振り返った。
まばらな見送りの中にマリーを見つけ、手を振って見せる。少々、遠かったがあちらもルリーナに目を留めていたらしく、手を振り返してくれた。
「また、ここからですか」
この港からウェスタンブリアに来たのはたった一年前の事だが、随分と前の事のように思える。
あの頃はエセルフリーダのことも知らなかったのだ。今更ながら考えてみれば運に恵まれていたのだろう。
「いや、これこそが運命……」
「ルリーナ卿、いかがなさいましたか?」
どうやら思わず握る手綱に変な力が入っていたらしく、横に歩みがそれていた。
後ろ目にルリーナを見るヘイゼルの目も、どこか非難するようである。
「おっと、すみません。少々考え事を」
「頭が下がります。私も何か力になれれば良いのですが」
ニナナナや、あるいはエセルフリーダならよからぬことを考えていたな、と返してくるところだろうが、声を掛けてきたのはゲルダだ。
これからの戦の事でも考えているのだろうと思われたか、どこか尊敬するような純粋な眼を向けられる。眩しい。直視できず目を逸らす。
逸らした先に見えるのは、長い街道だ。ウェスタンブリアを二分するように走ったそれは、ここ帝都の中央通りから始まっている。
全ての道は帝都に通ずる。などと豪語していたのは、大陸の帝国だが、その建築技術に関しては、今なお再現できていなかったりもする。
復古運動にしても、その偉大な帝国に戻ろうと必死に真似をしているところだ。失われた技術は、非常に多い。
「こんなに長い道をよく作ったものですよね」
諸王国に分かれ、諸侯が領地を治めている今では、これを作ることはかなわないだろう。旧帝国の遺産を整備しながら、騙し騙し使っているのが現状だった。
帝都は勿論、王都もまた、王城から城壁に至るまで帝国時代の遺物である。街を拡張するにあたって、外壁を築いてはいるが。
それが元々はただの前哨用の砦だというのだから、帝国の建築に賭ける情熱には尊敬を越えて呆れるほどだ。
隊列は、真珠の港の城門を抜ける。背後を見やれば、朝靄に霞んで王城の威容が遠く見えた。空を飛ぶカモメは、こちらを見送るように翼を振っている。
それがやがて、城門の額縁に納められ、遠く離れて行く。前に目を移せば、そこにあるのは一面緑の草原。海に流れ込む河が遠く見える。
城壁に切り取られた帝都は、その中で如何にも小さく見えた。
「さて、ここからは襲撃にも気を付けねばな」
「まさか、移動中の王の隊列を襲う者が居るとは思えませんが……」
エセルフリーダの言葉に、ゲルダが不安そうに応えた。
そう、帝都を出てしまえばここは、獅子王国の領土である。
「念には念を入れて、ですね」
アイラが移動する日程は、昨日、急に決めたことではあったが、何処から情報が漏れるとは限らない。
王都までにどうしても数日はかかるものだし、道中で人の目を避けることも叶わないだろう。
ウェスタンブリアの地には、野盗や傭兵崩れの類も溢れていることだが、この際問題になるのは、先走った王子派諸侯の軍だった。
まさか騙し打ちめいて襲撃を考える者はいないだろうが、そう思っていて裏切りによりリュング城を明け渡した事例はまだ記憶に新しいところだ。
「そうでしたね。リュング卿とルリーナ卿におかれましては実に勇敢に事を為されたと伺います」
その旨をゲルダに伝えれば、ほう、と息を吐きながらそんなことを言う。
野に下って反撃の時を待ち続けたエセルフリーダと、それを陰に日向に支えたルリーナという図式が広まっているようである。
ルリーナとしてはそれを言われると少々、面はゆいところがあるし、実際にはエレインや、ついでにヨアンの働きがあるのだが。
「因みに、ヨアン卿については」
「馬上槍試合の時に拝見しましたが……」
正直、コメントに困る。という所のようだ。さもありなん。
槍試合に関しては派手に転がされていただけだ。彼は騎士として、槍の腕はお察しの有り様である。
多少は同情しつつ、これからの活躍を期待して一言、お祈り申し上げておいた。
今頃、リュング城でくしゃみでもしているだろう。それでエレインに心配されて……想像したらイラっと来た。
「ま、私にはお姉さまが居ますからね」
「うん、何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
「そうか」
馬の蹄鉄が敷石を踏む音や、装具の擦れ合うがちゃがちゃとした音の中でも、声を聞き分けて振り向いたエセルフリーダにルリーナは満面の笑みを向けた。
その様子を見ていたゲルダは小首を傾げる。
「その、リュング卿とルリーナ卿はどういう関係なのですか?」
「えっ、それは勿論……」
勿論、人生の伴侶。とは言えなかった。幾ら獅子王国で、一応は宗教上の都合で推奨されない話である。
ぱくぱく、と数度口を開いて閉じてしてしまう。どんな言い方をしても問題になるような気がした。
「なるほど、一言では言い表せないほどに信を置かれている、という事ですね」
「そういう……ことですね?」
何かを納得したかのように頷いているゲルダだったが、下手に藪をつつくような真似はせず、好きなように思わせておくことにした。
ともあれ、何とか誤魔化せたようで一つ息をつく。王都への帰路にはまだついたばかりだが、どっと疲れが出たような気がする。
ふとアイラの乗った馬車に目を向ければ、その天幕から顔を出して彼女がこちらに手を振っていた。
その笑顔は天真爛漫、といった様子ではあったが、この人選は嫌がらせなのではないかと疑ってしまう。いや、ゲルダが悪いわけではないのだが。
これから長い付き合いになるだろうことを考えると、また一つ、溜息を吐くことになる。相手が素直で真面目であるほど、自らの歪さを見せつけられるようだった。




