第五話
そうして、幾日かが過ぎた。アイラが、そしてゲルダが宿に来てからは、なんだかんだと気が休まらない日が続いていた。
「隊長! 全員揃いましたぜ!」
「ご苦労様ですー。でも隊長って言うのは」
「いやでも、隊長は隊長でやすからな」
「まぁ、いいですけど」
そんなことを言って豪放に笑ってみせたのは髭面の傭兵、カメである。そう、リュング城から遅れて出た傭兵隊がようやく真珠の港に辿りついたのである。
人数が増えれば準備にも移動にも時間がかかるもので、ルリーナらが到着してからゆうに一週間も経った後の到着になる。
それでも早かったな。というのがルリーナの感想だ。兵らの様子も悪くない。少々、旅の疲れは残っているようだが、それだけだ。
「姉ちゃん、置いていくなんてひでぇぞ」
「おうおう、スリーピー、スケアリーも大変でしたね。従士くんもご苦労」
「なんで俺が馬より後なんだよ!」
「えー、だってスリーピーやスケアリーの方が仕事してますし?」
スリーピーとスケアリー、二頭のポニーは荷車を軽々と牽いていた。鼻面を擦り寄せてくるのを見ると、ルリーナのことを忘れてはいないようだ。
そんな馬車の御者台に乗ったのは、ルリーナの従士を買って出た少年。バリーである。買って出た、というよりも押しかけて来た。というべきか。
まぁ、馬の世話に武器の手入れ、長大な馬上槍の持ち運びにその他諸々と雑用をする人間が必要だからしたいようにさせているが。
当然、身の周りの世話などはニナナナがやっている訳で、従士というよりは小間使いといった様子だが。
「そういえば、ゲルダさんの従士はどうしたのですか」
「槍持ちなら、王の従士隊の所におりますが」
槍持ち、か。昨日、部屋を覗いたら、手ずから鎧を磨いていた様子だったから、殆どのことを自前でやっているのだろう。
真面目というか愚直というか。仕事をすることが好きだ、というタイプなのはなんとなく解っていたことだ。
「それで隊長、その……方は?」
「ああ、この方は、正統なる王を頂きし獅子王国の貴族に列席するノルン伯の子、ゲルダ・オブ・ブレント子爵と申します」
「はぁ。お貴族様でやすか。こりゃどうも」
自己紹介の場を奪われて、ゲルダが珍妙な表情をしている。
彼女が事あるごとにそう名乗るために、ルリーナも諳んじられるようになってしまっていた。
「こちら、私が傭兵だったころからの付き合いとなる……えーっと……カメさんです!」
「カメ、ですか。随分と変わった名前ですね」
「隊長……いや、もう慣れやしたがね」
カメ、というのは丸盾を背負った姿からルリーナがつけたあだ名であり、今では傭兵隊の中でも彼はそう呼ばれている。
今ここにいるルリーナの傭兵隊の主要隊員はカメだけだ。チョーは今頃、リュング城防衛に残った者の指導に残っているし、リョーはすっかりそこに腰を下ろしている様子。
チョーがここに来なかったのには、よくない縁があるから、ということもあるだろうが。
「そういえば、ショーさんどうしました?」
「ああ、港についたと思ったら、早々に宿を取りに行くってんで」
ついでに市場でも見に行ったのだろう。元来が商人の彼の事だ、想像には難くなかった。
「何だかんだ、強行軍だったな」
「もう足が棒みたいだ」
「ようやく、まともな飯が食えるぜ」
傭兵らは首を擦り、肩を回し、あるいは伸びた顎髭をしごきながら口々に愚痴をこぼした。
その人数は五十ばかりで、以前からルリーナの傭兵隊に居たものと、リュングの領民が半々といったところだった。
それぞれの手には長めの槍か、銃や弩といったものが握られている。人数は少ないものの、訓練されていない平民よりは働く。
それに、彼らには純粋な戦力として期待しているという訳でもなかった。
「ま、移動まで数日はあるでしょうから、その間ゆっくりしててください」
「うす。そうさせて貰いやすぜ」
「兄貴、今日ぐらいは羽目を外しても良かねぇですかね……」
「おう、そうだな。えーっと、隊長」
傭兵の一人の言葉に頷きつつ、カメが珍しくも申し訳なさそうにこちらを拝み見る。
金が欲しいという事だろう。ルリーナは財布の中身を軽く検めて、そのままカメに投げ渡した。
「羽を伸ばすのは良いですけれど、程々にお願いしますよ」
「勿論で、ありがとうございやす」
折角、街まで出てきたのに先立つものがないというのも実に寂しい話である。
まだ一仕事終えたという訳でもないが、長距離を歩いてきた労いだ。
「それじゃ、今日明日は私も見に行きませんからお任せします」
「へい。それじゃ、お暇させていただきやす」
頭を下げたカメにひらひらと手を振って返す。ルリーナが居れば落ち着くこともできないだろう。
問題は起こさないだろうとはとても言えないが、その時はその時だ。人数が増えれば何事かは起きるものだし、考えても仕方ない。
これでも比較的お上品な類ではあるのだが、血気盛んな者らが集まっているというだけで何が起きるか解らない。
「ルリーナ卿様々だぜ!」
「お嬢はやっぱり太っ腹だな」
「いやぁ、ここまで歩いてきただけでなぁ」
「そんだけ仕事しろってことだろうがよ」
早速、ぞろぞろと連れ立って騒々しく往来を歩く彼らに、通行人が眉を顰める。
どうやらルリーナの事を噂しているようだが、名前を出すのはやめてほしい。後でアイラ辺りに小言の一つも言われそうなものである。
バリーがごねそうだったのでスケアリーの尻を軽く叩いてやると、馬車は音を立てて転がり出した。慌てて彼は手綱を握る。
彼らの声が遠くなるまで見送ると、ゲルダはルリーナの方へと顔を向けた。
「随分と、部下に自由にさせているのですね」
「ええ、まぁ。彼らは傭兵ですから」
面通しついでにと、ゲルダと共に彼らと相対していたが、終始彼女は憮然とした様子だった。
その、まだ少々幼さも残る顔の眉根にしわを寄せている。
「傭兵、ですか。道理で」
「道理で?」
「いえ、その」
言葉を濁した彼女だったが、良く思っていないのは確かだった。
気持ちは解らないでもない。傭兵というやつはどうにも荒っぽいというか品がない。
戦においても、義務で戦う諸侯らと違って利益の為に働いているものだから、温度差があるのは確かだった。
「ルリーナ卿も傭兵をなさっていたのでした」
そういえばゲルダは平民が戦に関わるのにも否定的だった。傭兵ともなれば、それは好む訳もないだろう。
真面目な騎士からしてみれば、必要だから雇うが信用はできないという、ある意味で敵よりも厄介なものである。
「考えを改めなくてはいけませんね。すみません」
「いや、謝ることはありませんよ」
実際、粗野な彼らを積極的にエセルフリーダの前に連れて行こうとは思わないし、それこそアイラに近づけるなんて論外だ。
他人事のように言っているが、ルリーナ自身、いわゆる貴族といったたまではないと思っている。
半平民、といった立場だから貴族とは無関係であるとは言えないが、正直、国に対する義務だとか、貴族同士の付き合い、などというものはごめんだ。
価値観の違いというよりも、平民と貴族というのは同じ人間ではないと考えた方が実態に近いだろう。
自身の枠に収まらない生き方は容易く身を滅ぼす。平民が貴族になっても、貴族が平民になっても、待っているのは悲劇だろう。
どちらが良いという訳ではない。ただ、役割の違いだろう。だから、ルリーナは傭兵たちの行動に口は出さないし、貴族であるゲルダの思考にも理解はできる。
「ま、下賤な者というのは確かですから」
「そんな、ルリーナ卿は青い血も引かれていますし、とても彼らと同じようには」
それは贔屓がすぎるだろう。ルリーナは口にしようとした言葉を飲み込んだ。
この際、そう見えていた方が都合がいいという事もある。エセルフリーダの下に控えるのだから、最低限。
「そう言って頂けるとありがたいですね」
「失礼なことを言いました」
頭を下げるゲルダに構わない、と手を振る。
平民には平民の、貴族には貴族の、ルリーナにはルリーナの考えが、そして幸せがあるものだ。
「そろそろ、お料理できますよ。騎士様」
「おおっと、それは一大事。冷えてしまってはよくありませんね」
戸を開けて顔を覗かせたマリー。それこそ、彼女がひとつの幸福の結果だろう。
野辺に咲く花のように、純朴な笑みを浮かべた彼女を見れば、そう思えた。
「ほら、ゲルダさんも行きますよ」
声をかければ、ゲルダは気持ちを切り替える暇もなく目を白黒させたが、ルリーナの差し出す手を取った。
「今日の食事は何です?」
「斎の日だから、魚を用意しているわよ」
「ほう、それは楽しみです」
「いや、斎の日に食事を楽しむというのは……」
ゲルダが何事かを言っているが置いておいて、真珠の港は漁獲にも恵まれており、毎日のように新鮮な魚が水揚げされている。
理由はよく知らないが、漁獲というのは海さえあれば良いという訳でもないらしく、島であるウェスタンブリアであっても、どこでも魚が獲れるという訳ではない。
リュングの湖ではマスに舌つづみを打ったものだが、海魚となるとまた別口だ。
これまでは教会の教えなど気にしていなかったが今は騎士の身。一応はその習慣に従って、肉食を禁ずる斎の日だったが、ルリーナにとっては変わった食事のできる日として、寧ろ楽しみにしている節があった。
「真珠の港の舌平目は絶品ですからねぇ」
それに、二枚貝だとか。王都辺りに出てくるウナギには閉口したものだが、新鮮な魚の味はこの地に来てから知ったものだ。
勿論、川で獲れた魚などは大陸に居た頃も口にしたが、泥臭かったりといった記憶しかない。生憎と釣りもしないから、何の魚だったかは定かではないけれど。
酒場宿に入っていけば、卓にはエセルフリーダが既についていた。握っていたゲルダの手を放して、駆け寄る。
「まだ、お仕事ですか?」
「ああ。どうにも、面倒なことになっているようだな」
エセルフリーダは今も手紙、というよりも書類を手にしていた。毎日のように届くそれは、王女に関係する諸侯から送られてくるものだ。
本来ならアイラが目を通すべきなのだろうが、今は宮廷にいて話を通すことが難しい。
ルリーナはルリーナで王都に残してきた斥候のコウから送られてくる文章に目を通しているのだが、なるほど王子派の動きには不穏なものがあるようだった。
それは例えば、急に領地で食糧の備蓄を始めたりだとか。冬前ならさておき、今は春先である。収穫の時期でもないし、不自然極まりない。
「殿下は手を離せないから、仕方のないことだ」
そう半ば溜息混じりにエセルフリーダが言う。ルリーナが手渡された文章を読んでみれば、長ったらしい挨拶の口上の後に、誰々が怪しい! みたいな感情的な言葉が記されていた。
全てがこの調子ではないだろうが、こんなものばかりを見せられたら気が滅入りそうなものである。
報告は簡潔に、とは言われてないのだろうか。いや、もしかしたら本当に言われていないのかもしれない。
兎角、内容よりも文体に拘るのが貴族というやつだった。
「しかし、戴冠の儀、と言いますけれど、意味があるのですかね」
「と言うと?」
「いえ、私が王だー! って言うなら、自分の臣民の前でやらなきゃ意味がないのでは、と」
アイラがここにとどまっているのは、皇帝から王権を正式に授与されるためだ。
それは民の前で行われることなく、宮廷の中で密やかに済まされることらしい。
しかし、君主というなら、自らの正当性を広く国民に知らしめるべきで、それなら獅子王国で戴冠式でも行うべきではないだろうか。
「それはまあ、そうだが……ルリーナ、君だって騎士になるときに儀式を行っただろう」
言われて思い返せば、徹宵祈祷して騎士叙任の場に赴いたような気もする。
半ば眠りながらだったから、微妙に記憶が曖昧だ。僧侶の有り難いお言葉もすっかり右から左だった。
「そういえば、そんなこともありましたっけ」
「王権授受にしても同じことだ。形式が大事なこともある」
「ルリーナ卿は、その、言い難いのですが、即物的に過ぎるように思います……」
私が悪いのだろうか。ルリーナはそっと目を逸らした。場所も変われば風習も変わる。きっとそういう事だろう。うん。
エセルフリーダは何事もなかったように書類に目を通し続けているし、ゲルダから微妙に冷たい目で見られているような気もするが気のせいだろう。
折よく、マリーが食事を持ってきたので、そちらに向かう。どうやら、茹がいた白身の魚が今日のメインディッシュのようだ。
「今日の魚は何でしょう?」
少々強引ながら、ルリーナは逃げるように話を逸らした。