08 ヤモリ驚異のメカニズムと、清楚美人がガニ股で壁に張り付く可能性について
放課後、俺は学園の訓練施設に足を踏み入る。
この施設は昼間こそ授業で目一杯使われているが、放課後は曜日ごとにクラス単位で開放されている。今日は俺たちのクラスということだ。
わざわざこんな大がかりな訓練場にやってきたのには、ちゃんとした理由がある。
海外でヒーロー仕様のガジェットの開発や研究をしている父と母から、新しいガジェットが送られてきたのだ。
ヒーロー仕様のものは、とにかく出力が違う。そこらの一般住宅や空き地で安易にテストをしようものなら、壁を突き破るなどして器物損壊の罪に問われかねない。
その点、ここなら頑丈な防壁がすべてを吸収してくれるのであるッ。
「見た目は普通にカッコイイ手袋と靴だな」
──バイオミミクリーを活用したガジェットで、ヤモリのように壁に張り付く手袋だ。
手袋と靴の表面に、目に見えない数百万本の極細カーボンナノチューブが植え付けられている。これは物質の表面でファンデルワールス力が働き、どんな垂直な壁でもピタリと吸い付くことが可能になる──
という、ちょっとよく分からない説明文付きで送られてきた。
接着剤の付いてないシールのようなものらしい。
「バイオミクリリーにフォンデルワーデル力ね。ま、なにはともあれ試してみようか。ガーァァルズフーォォムッ!」
俺は偽装用ムキムキモードに変身する。
なお、掛け声も偽装のためのものである!
気分がいいからではないのだよ? 決して。
手袋と靴を装着し、俺は訓練場の高強度のコンクリート壁に向かった。
「とぅっ」
俺は力いっぱいジャンプ。壁に手のひらを付けた。
「おおっ、すげえ、本当に吸い付くみたいに固定されたぞ」
これならライブ配信できなかったヒーローたちにも、迫れるかもしれないな!
もっとも高層ビルのような背の高い建造物は必要になるが。状況次第とはいえ、不可能だったことを可能にしてくれるガジェットに、俺は興奮していた。
「うーん、足はどうやったらくっ付くんだ?」
足の裏側ではないようだ。
そして手が離れない。
「うーん……」
さらなる高みを目指して気付いた。う、動けない。壁から手を引き剥がそうと力を込めるが、ガジェットはびくともしない。ヤモリの驚異のメカニズムは伊達ではなかった。
「ぬおおオオオオオッ!」
必死にもがいていると、訓練場の重い扉がガコーンと音を立てて開いた。
「おーい、アニキー! 説明書忘れてってる!」
やってきたのは、元気いっぱいに手を振る妹のカグヤ。そしてその後ろから、ちょこちょこと付いて来たクラスメイトの姿があった。
戦術系能力者の、陣内こよみさんだ。
「カグヤの……兄…………兄!?」
どうして陣内さんがここにいるのかと一瞬疑問に思ったが、カグヤの楽しげな様子を見てすぐに納得した。カグヤは周囲の庇護欲を激しく刺激する、いわゆる魔性の小動物系だ。
そんなカグヤに釣られる形でここまで着いて来たのだろう。俺とカグヤの関係を知らないのは、写真を見せたあの日、陣内さんはいなかったため。風邪でしばらくお休みされていたからな。
ヒーローとはいえ、健康には気を付けなければなりませんぞ、お嬢様!
陣内さんの固有能力は、戦況図解という極めて優秀な戦術系能力だ。様々な情報が彼女に集まり、それを分析、指揮するタイプのヒーローである!
RTSみたいに戦場を俯瞰できるそうだぞ。
本当に凄いッ。
まあ……それゆえに俺が彼女の側をウロチョロしてしまえば、陣内さんの邪魔になってしまうため、ライブ配信はできないのが残念なところなんだよな。俺の情報も収集され続ければ銀髪=俺という事実に辿り着く可能性もあるし。
そう考えると、俺のクラスメイトで対エネミーの現場に出るヒーローは、ライブ配信に向かないヒーローばかり。鳴神さんの魅力しか世界に紹介できていないのだ……。
俺の能力が低いばかりに……くっ、無念ッッ。
例えば、加速系能力者の速水リンさん。
彼女の瞬駆動は移動速度が速すぎて、視聴者はもちろん、ヒーロー撮影用の高性能ドローンすら置き去りにしてしまう。
画面に映るは残像のみ!
俺も彼女の姿は捉えられても、着いて行くことは不可能だ。
ゆえに俺では役に立てないっ!
そして飛行系能力者の風波つばささん。
彼女の空潜行は空に潜っている間、ステルス性を発揮するコッソリ系の能力だ。
しかも常に上空を飛んでいるため、望遠やドローンで撮影する公式配信のほうが、彼女を世界にちゃんとお届けできる。
近くでお届けできない俺に、存在価値などない……。
だが!
この新型ガジェットならば!!
だがしかしぃっ?
そんな考察を脳内で展開している間にも、俺の両手は壁に張り付いたまま。
「外れぬっ!」
「角度を変えたらくっ付いたり離れたりするってさ!」
下からカグヤがスマホで説明書を見ながら、気楽な声でアドバイスを投げかけてきた。
「角度ってどっちだよ。上がらないし引けないぞ? むんっむんっ!」
「違うってーの、アニキ」
壁の上で無様に手足をジタバタさせている俺を見て、カグヤが仕方ねーな―と笑う。
「おっけー、じゃあウチがちょっと手伝ってあげるわ」
カグヤが俺の側までやって来た。
「飛ぶ能力、貴重」
「ンー、ウチのは飛ぶっていうわけじゃないんだー」
その様子をじっと見つめていた陣内さんが、ぽつりと呟いた。
「教えてくれてもいい」
感情の薄い彼女の表情は、どこかウキウキしているようにも見えた。
だよね!
ヒーローの能力というのは、心が躍る!
「ウチのはねー」
カグヤの能力は月の都の御出迎え。
「月の方向に対象を移動させんだよ☆」
宙に漂いながら、ヒーローたちを虜にするであろうウィンク敬礼を決めた。写真だけでアレだけ騒ぎになったんだ。目の前で見た陣内さんが受ける衝撃は計り知れない。
と、思われる。
その瞬間、陣内さんの能力が瞬時に計算を完了したのだろう。
抑揚のない淡々した声色で、事実を告げる。
「今14時ころ。南南東の空、高い位置、上弦の月。対象はほぼ真上方向に移動する」
「陣内さん、すっご。そゆのも分かんだ? 戦術系はコレだから憧れちゃんだよね!」
カグヤが目を輝かせて褒めちぎると、陣内さんは少しだけ頬を赤く染め、トコトコとカグヤに歩み寄った。
「……頭、なでてもいい」
そう言って、自分の頭を小さく差し出す陣内さん。
「お、おぉ……その発想。ウチにはなかったなー。カワイイ」
嬉しそうに陣内さんの髪を優しくなで回し始めるカグヤ。……我が妹殿がまたひとつずる賢くなってしまった! いかんぞ陣内さんっ。そいつは見た目通りのピュアな中学生じゃない、手強いギャルだ!
しかし、陣内さんもカグヤと同じ、どこか周囲の庇護欲をそそる小動物系のタイプだったか。類は友を呼ぶとはこのことかもしれない。
「? その出力強度、しょ、小学生じゃない……?」
「ウチ、中2だよ?」
陣内さんが固まった。
戦術系能力者のヒーローまでたばかるとは、さすがのカグヤトラップだ。
「ところで外れぬっ」
陣内さんのところにカグヤが行ってしまったので、俺はいまだ虫のように藻掻くだけの矮小な存在。
陣内さんが呆れたような視線を俺に向けてくる。
「カグヤの兄、地に足を付けて実験すべき」
「いやいや、高みは目指さねば!」
「アニキは脳筋だかんね! こうだよ、こう。エビ反りにする感じね」
カグヤに言われた通りにすると、あれほど頑固だったカーボンナノチューブの結合が嘘のように、するりと壁から離れた。
「おおっ! なるほどな」
ようやく自由になった俺は、深く息を吐き出した。上手く使いこなせばこれ以上ない武器になる。この新しいガジェットの可能性に、俺は密かに胸を躍らせた。
なお──靴のほうは足の内側がくっ付く面だった。
清楚タイプではやらないほうがいいか?
ガニまたで壁に張り付く清楚美人。
一旦特殊な癖か……。




