第一章 雨の追放劇と、命を繋ぐ『肉椎茸の雑炊』
冷たい雨と追放、そして命を繋ぐ『肉椎茸の温かい雑炊』
「リリアナ・フォン・エスター。お前のような『植物を少し元気にするだけ』の無能な女は、次期王妃には相応しくない! よって、お前との婚約は破棄し、国外追放とする!」
豪奢な王城の謁見の間に、王太子の冷酷な声が響き渡った。
それが、公爵令嬢であった私の、人生の全てが崩れ去った瞬間だった。
私、リリアナの持つ魔法属性は『植物育成』。
華やかな炎を放つわけでも、強力な治癒の光で怪我人を治すわけでもない。ただ、土に触れ、植物の声を聞き、少しだけ彼らを元気にするという、地味で取るに足らない能力だ。
両親である公爵夫妻からは「公爵家の恥」と虐げられ、使用人たちからは冷笑される日々。それでも、いつか王太子殿下のお役に立てるよう、王城の庭園や枯れかけた農地で必死に土に塗れて花や野菜を育ててきた。
けれど、彼が選んだのは、強力な『聖光魔法』を操る華やかな男爵令嬢だった。
「出ていけ、無能! 二度とこの国にその汚らしい顔を見せるな!」
ドレスを剥ぎ取られ、みすぼらしい麻の服一枚で馬車に押し込められた私は、そのまま国境を越え、名もなき辺境の森へと放り出された。
◆◆◆
――冷たい。痛い。苦しい。
どれくらい歩いたのだろうか。
視界は土砂降りの雨で白く濁り、舗装されていない泥道は、私の素足を容赦なく傷つけていた。
ルナミス帝国と、他国との緩衝地帯にあると言われる開拓地、『ポポロ村』。
そこまで辿り着けば、何かしらの仕事があるかもしれない。そんな淡い希望だけを胸に歩き続けてきたが、ついに限界が訪れた。
「あ……」
ガクン、と膝の力が抜け、私は泥水溜まりの中に倒れ込んだ。
起き上がろうと力を込めても、指先ひとつ動かない。三日間、まともな水も食事も口にしていない身体は、これ以上の生存を諦めてしまったようだった。
(私、ここで死ぬのね……)
誰からも愛されず、誰の役にも立てなかった人生。
最後に思い出すのは、大切に育てていた王城の裏庭の、名もなき小さな花たちのことだった。あの子たちは、ちゃんと水をもらえているだろうか。
薄れゆく意識の中。
雨音に混じって、ザクッ、ザクッ、と泥を踏みしめる重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
「――おい。こんなところで寝てたら、死ぬぞ」
低く、底冷えするような男の声。
霞む視界に映ったのは、黒い革のブーツと、見上げるほど大柄な男のシルエットだった。
大きな手が私の身体を軽々と抱き上げる。その腕の、驚くほどの温かさを最後に、私は完全に意識を手放した。
◆◆◆
パチッ……パチパチッ……。
心地よい薪の爆ぜる音と、鼻腔をくすぐる、今まで嗅いだこともないような豊潤な香りで、私はゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
身体を起こすと、私はふかふかの清潔なベッドに寝かされていた。泥だらけだった服は着替えさせられ、男性用の少し大きめの清潔なシャツを着せられている。
部屋の中は暖炉の火で暖められており、雨の冷たさは完全に消え去っていた。
「目が覚めたか」
ビクッ、と肩が跳ねた。
部屋の奥、小さなキッチンスペースから声がした。
そこに立っていたのは、身長が百九十センチはあろうかという、非常に大柄で体格の良い男だった。
黒を基調とした服に、ワインレッドのタートルネック。整ってはいるが、どこか危険な香りを漂わせる鋭い眼光。まるで、裏社会の殺し屋か、凄腕の傭兵のような出立ちだ。
「あ、あの……! 私、倒れていたところを、あなたが……?」
「そうだ。店の裏口にゴミのように転がっていたからな。死体かと思ったが、辛うじて息があったんで拾ってやった」
男はぶっきらぼうにそう言うと、手元にあった何かをトントンッ、とリズミカルに切り刻んだ。銀色に輝く、刃渡りの長い美しい包丁。その鮮やかな手つきは、彼がただの粗暴な男ではないことを示していた。
「あ、ありがとうございます……あの、私、お金も何も持っていなくて……」
「金なら要らねぇよ。それより、三日ほど何も食ってないだろ。胃袋が空っぽの音がここまで聞こえてたぞ」
男はそう言うと、火にかけていた小鍋から、湯気の立つ器を二つお盆に乗せて、私のベッドの傍らにある小さなテーブルに置いた。
「食え」
短く命じられ、私はおずおずとその器を覗き込んだ。
そこにあったのは、透き通った琥珀色の出汁に浸かった、とろとろの雑炊だった。
上には、お肉のように分厚く切られたキノコのようなものと、青々とした刻みネギ、そして細く切られた海苔が乗っている。
「これは……?」
「『肉椎茸』と『米麦草』の雑炊だ。胃が弱りきってる時は、これくらい消化に良くて出汁が効いたもんが一番いい。……食わないのか? 毒なんて入れてねぇぞ」
男の鋭い視線に気圧されつつも、私はゆっくりと木のスプーンを手に取った。
ふうふう、と少し息を吹きかけて冷まし、一口、口へと運ぶ。
「――っ!」
目が見開かれた。
口の中に入れた瞬間、ブワッと広がったのは、極上の旨味だった。
ただのお湯や塩味ではない。肉椎茸から出た濃厚なキノコと肉のハイブリッドのような出汁が、ふっくらと炊き上げられた米麦草の一粒一粒にしっかりと染み込んでいる。
それに、少しだけ垂らされた『醤油草』という調味料の香ばしさと、ワサビのツンとした爽やかな辛味が、絶妙なアクセントになっていて、味が全くぼやけていない。
肉椎茸を噛み締めると、ステーキのように肉厚でジューシーな旨味が溢れ出し、シャキシャキとした刻みネギの食感が、食べる手を止まらせなかった。
「……おいしい」
ポツリと、声が漏れた。
美味しい。本当に、とんでもなく美味しい。
王城の華やかなフルコースなんかよりも、ずっと、ずっと。
冷え切って、死にそうになっていた身体の芯に、温かい出汁が染み渡っていく。
枯れ果てていた私の心という土壌に、優しい雨が降り注ぎ、命が芽吹いていくような感覚。
スプーンを動かす手が、止まらなくなった。
熱いのも気にせず、夢中で口に運ぶ。
無能だと罵られた記憶。
誰からも必要とされなかった孤独。
雨の中を歩き続けた絶望。
その全てが、この一杯の温かい雑炊によって、ゆっくりと溶かされていくのがわかった。
「……っ、うっ、ひっく……」
ふいに、視界がぼやけた。
スプーンを握る手が震え、ポロポロと、器の中に涙が落ちていく。
一度溢れ出した涙は、もう止めることができなかった。
「ごめ、なさい……すごく、おいしくて……っ、温かく、て……っ」
ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、私は子供のように泣きじゃくった。
強面なこの人を怒らせてしまうかもしれない。不快にさせてしまうかもしれない。そう頭ではわかっているのに、心が言うことを聞いてくれない。
男は、泣き崩れる私を見て、大きなため息をついた。
そして、ポケットから銀色の四角い箱――真鍮製のオイルライターを取り出し、親指で弾いた。
カチッ……シュー……カチン。
心地よい金属音が部屋に響き、彼は『マルボロ』というタバコに火をつけた。
紫煙を細く吐き出しながら、彼は私の頭に、ポンと、乱暴だがひどく優しい手つきで、その大きな手を乗せた。
「……泣きたい時は、泣けばいい。飯ってのは、生きてる証拠だからな。美味いと思って食えたなら、お前はまだ死なねぇよ」
ぶっきらぼうなその言葉の裏にある、不器用な優しさ。
頭を撫でる彼の手は、彼の作る料理と同じくらい、信じられないほど温かかった。
「お、おいしいです……っ、うわぁぁぁんっ!」
私は、彼の前で声を出して泣いた。
それが、私――無能と追放された令嬢リリアナと、後に伝説の処刑人だと知ることになるポポロ村の小料理屋のマスター、鬼神龍魔呂との、最初の出会いだった。
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