1.鳴実と修一郎
✵ ✵ ✵ ✵ ✵ ✵ ✵
銀の星が瞬く夕刻。更待月は まだ空に昇ろうともしていない。
「鳴実くんさ、こんな怪しげなバイト、よく引き受ける気になったよね。未だに思うよ」
8畳くらいはある広めの洋室。グレージュのドレープカーテンは閉め切られ、温白色の柔らかな灯りが部屋全体を照らす。
真っ白なシーツに覆われたセミダブルのベッドに座っている人物から、そう声をかけられた影本 鳴実は、母親の一存で決められてしまったバイトを2週間前からしている。
「⋯⋯怒りましたよ。人助けだから、とか言って勝手に話進められてて⋯⋯ほぼ事後報告」
「そりゃあ『何してくれてんの!?』って、なっちゃうかもねぇ」
「バイト、確かに探してはいましたけど⋯⋯」
近所にあるレンガに囲まれた庭付きの邸宅で、家族の介助を頼める人を募っていた。塀に貼り紙という古風な募集の方法と、時給は高いが[仕事内容:介助]という以外の詳細は不明という不気味さ。
応募者が殆どなく困っているらしい⋯⋯という噂を聞き、交流など無かったにも関わらず、鳴実の母が 「ウチの息子はどうか」と、しゃしゃり出た。その結果、お願いしたい という流れになり、たちまち話は まとまって現在に至る。
バスタオル、フェイスタオル、洗面器⋯⋯ 清拭に必要な物の準備をする黒Tシャツに黒デニムの服装の上に紺色のエプロン姿の鳴実。重めの黒い前髪の隙間から声の主に視線を向ける。
「俺の、前のバイト先が倒産したばかりだったから良かれと思って⋯⋯というのも、あったみたいで。せっかくだし、ちょっとくらいは試してもいいかな と⋯⋯ 一応、そういう資格も取ってますから。仕事内容が[介助]というのだけは、 わかってたので」
「へぇ、資格なんて持ってるんだ」
鳴実は、着替え用のパジャマを取り出して、クローゼットの扉をパタンと閉めた。
「まぁ⋯⋯こんなに若い人のお世話だとは、思ってなかったですけど」
今までの施設でのバイトのイメージから、てっきり年配だという先入観を持ちながら来た初出勤の日。簡単な面談をしたあと、通された部屋にいたのは自身と さほど変わらなさそうな歳若い青年だった。
今はベッドに腰掛けながら、準備を進める鳴実の様子を笑顔で眺めている。
壱波 修一郎は、この家の長男で23歳。父親は長期の海外出張中で不在。現在、自宅に暮らしているのは修一郎と母親の2人である。
「鳴実くんと おれ、年3コしか変わらないもんね」
色白の肌に、耳に半分かかる少し長めの淡い金のような蒸栗色の髪。黒い瞳に柔和で優しい顔立ち。その眉目秀麗な独特の雰囲気をひと言で表現するなら〝儚い〟。それが鳴実の修一郎への第一印象だった。
右脚の膝下から つま先までのギプス、それから左の手首から先、手の平から指まで全体を覆うように包帯が巻かれ固定されている。
「その資格ってさ、何で取ろうと思ったの?」
「ばあちゃんの⋯⋯ あー⋯⋯いや、祖母の介護を高校生の時に経験して⋯⋯亡くなったあとに、自分にもっと何か出来たんじゃないかと思って」
「ああ⋯⋯そうなんだ⋯⋯」
「親とも相談して、専門的な知識や技術を身につけられて資格も取れる研修を受講したんです。今は、大学でもそんな関係のを⋯⋯」
「おれは今 休学中だからなぁ⋯⋯入ったのも遅いし。
エライよね、鳴実くんは。あと、おばあちゃん子だったっていうのも わかった。だから、優しいのかな」
微笑まれながら そんな風に言われ、湯を張った洗面器から立ち昇る湯気の側で、鳴実はプイと顔を横にそむけた。
常に柔らかい笑みを浮かべる修一郎。年齢差が僅か3歳とは思えない年上の余裕を感じさせる。その穏やかな口調と声色にも、鳴実は若干だが苦手意識を持っていた。
温度計で洗面器内の湯の熱さを確認し、タオルを浸した。それから、修一郎にシャツを脱いでもらおうと促すが⋯⋯
「じゃあ、いつも通り上半身から⋯⋯」
「鳴実くん、手伝ってよ。片手じゃ ボタン外しづらい」
「修一郎さん⋯⋯ほぼ毎回言ってますよ、それ。ゆっくりでも大丈夫です」
「このパジャマ、新しいからボタン固いんだって。時間かかったら、お湯が冷めちゃうんじゃない?」
「ポットに差し湯は入ってますし⋯⋯ ⋯⋯あぁ、もう⋯⋯この やり取り、何度目ですか」
鳴実は、はぁ⋯⋯と息を吐き、装着しようとしていたゴム手袋を一旦置くと、渋々といった態度でベッドに座っている修一郎の前で膝をついた。水色の薄手のパジャマのシャツに長い指先を伸ばし、両手を使ってボタンを上から手早く外していく。
「結局やってくれるよね。 やっぱ優しいな〜 鳴実くん。ありがと」
「⋯⋯俺は雇われてる側なので」




