12:錆びついていた鍵
それ以来、三人はよく集まって勉強するようになりました。大体はヨシコがユウを連れて、タカシを図書館に呼んで、集まっていました。(タカシは学校の講習を取っていませんでした)。
最初の図書館以来ですが、特にユウがとても真剣に、タカシに色々な数学の問題を聞いていました。実際、タカシは人に教えるのがとても上手で、授業中の先生の説明で分からなかったことが、タカシの論理立った説明でたちまち理解出来るのが、ユウには凄く楽しかったのです。
もう夏休みの終わりに近い日、その日ヨシコは都合で来れないということで、二人で集まって図書館に行きました。
「じゃあこの参考書の最後のページに付いてる実力テスト、コレ一緒にやろうよ。で、一緒に答え合わせしようか」
「え〜……数学だから勝てないよ」
「勝負勝負」
そして時間を見て、同時にテストを始めました。
数十分後。答え合わせ。思わず叫び合った声。
「凄いね、全問正解だね。最終問題なんてあたし全然分かんなかった……」
「コレはラッキーだよ、この前の塾でほとんどソックリの問題解いたんだ。コレ難しいよね〜最初は全然分からなかった」
「どうやって解くの? あたしはこの点とこの点を繋いで……」
「あー惜しいね、ほとんどそれで正解。あとはここを……」
二人は真剣に言い合いました。何しろ、ユウは数日後に、夏期講習の総まとめのテストがあり、この成績如何で、志望校をどうするか等をはかるため、非常に大事な意味を持っているのです。図書館の閉館の放送が鳴るまで、二人は机にかじりついて勉強していました。
結局、最後は司書の人に言われるギリギリまで、集中して勉強していました。特にタカシが、どうしても解けない問題に四苦八苦して、悔しそうに歯ぎしりしてまで必死に解こうとしていたので、放送が鳴ってもユウはジッと待ってあげたのですが、ついに司書さんの「もう閉館しますので……」の一言で、半ば追い出されるようにして外に出ました。
「あ〜分かんなかった。あ〜悔しい……」
「また明日、一緒に参考書とかで調べてみようよ」
「ウン、そうだね。……アッ!」
「どうしたの?」
「あ〜……クソ、あの司書官め」
タカシは鞄の中を覗き、まさぐって、悪態気に舌打ちをしました。
「参考書忘れた〜、慌てて片付けたからなぁ……図書館の本と混ぜて置きっ放しかも」
「今すぐ取りに行けば間に合うと思うよ。あたし、行ってこようか」
「ああ、自分で行ってくるよ。あ、じゃあもうここで分かれようか」
「あ、あの……」
「ん?」
「この近くに美味しいケーキ屋さんがあるんだけど……良かったら……あの……食べに行かないかなって……思って……あの……夏休み中、色々勉強教えてもらったし……その……凄く美味しいんだよその店……その……もし時間があったら……あの……その……」
「行く行くッ、俺甘いのスゲー好きだからッ、ちょっと待っててッ、すぐ取ってきまーす!」
タカシは妙に浮かれた調子で、即座にそう答えて、凄い勢いで図書館の中へと入っていきました。
ユウは詰まった喉に息をゆっくりと入れていって、震えている膝に手を当てました。
思い出してみれば、あのお兄ちゃんの死後、それは無意識の内だったのか、小学校の時も、中学に上がってからも、男の子と遊ぶことはおろか、クラスメイトと話をすることもあまりありませんでした。口数自体が減ってしまって、いつも机に座ってノートを開いて勉強しているか、図書館で一人本を読んでいるか、学校ではいつもそんな調子でした。
その中に、ヨシコが入ってきて、少し変わり始めたようでした。彼女はユウに気さくに話しかけてきました。色々面白そうな店を教えては、そこへ連れて行ったり、勿論勉強も一緒にしたり。ヨシコはユウとは違って……むしろ反対に、沢山の友達がいました。彼女が部活で、バスケットボール部の部員だったこともあるでしょう。他のクラスにも沢山の知り合いや友達がいて、学年の中でも彼女の存在は少し有名なほどでした。ユウは、その内の一人として、誰にでも仲良くしていたのかもしれません。しかし、それでもユウに大きな影響を与えました。彼女が普段は口を塞いで飲み込んでいること……お兄ちゃんのこともそうですし……好きな本や音楽のこと……思っている気持ちを唯一伝えていた友達でした。ヨシコはどんな話も、まじめに、真っ直ぐこちらを見て聞いてくれました。唯一の、安心して“心の会話”の出来る人だといえました。
それがまた一人、タカシのことも、その内の中に増えるかもしれないと感じました。誘いの言葉は、最初の、入り口の勇気でした。そこからがスタートでした。数年前の夏以来、気持ちが塞ぎ込むうちに、何に対しても引っ込み思案になってしまった彼女の、ようやく開きかけた扉でした。
やがてタカシは駆け足で、出口の自動ドアを出てきました。
「タカシくん」
そういえば、この時にユウは初めて彼の名前を呼んだかもしれません。それまでは「あの」とか「ねえ」とか言って、彼の肩を叩いて話しかけていました。
「お待たせ〜」
妙に軽い調子で返事すると、そのまま先頭に立つように一歩前に出て、前に指差し言いました。
「さ、早く行こうか」
「ウン」
といっても店の場所はユウが知っているので、彼女が先に立って、歩いていきました。図書館の前の寂しい田舎道を通り過ぎて、左右に広がる畑の道を越すと、車の通りの多い道路に出ました。そこから道沿いに、数分歩いたところにお店はありました。
その間、タカシが取ってきた参考書を両手に開いて、睨むようにまた考えていました。ユウもそれに加わるように、後ろの方から少し遠慮気味に目を向けると、気付いたタカシが彼女に見易いように横にずらしてあげました。
また二人は目の前の問題にのめり込んでしまって、視線が手元に釘付けに……信号の前で立ち止まって、その時、横から走ってきたトラックのクラクションの音に、ユウの意識がハッと戻り、気付きました。
「ご……ゴメンナサイ……通り過ぎてた……」
ユウは顔を真っ赤に、俯いて言いました。