第4話:道化の配信者と虚飾の王
灰色の粉塵が舞う 旧イギリス(ユーロ圏)の退廃都市 「フォグ・シェルター」。
通称『生者の墓場』と呼ばれるこの最下層エリアには、かつての国境を追われた数百万の
難民たちが、文字通り「ただ呼吸するためだけ」に詰め込まれていた。
薄暗い死体安置所で、オリバーはまた一つ、黒いジッパーを引き上げた。
死因は餓死でも病死でもない。自分の意志で配給用パイプにロープをかけて首を吊った
『絶望死』だ。この一週間で、彼が処理した遺体は百を優に超えていた。
「……今日もまた、死体の処理の繰り返しか」
オリバーは、防護マスクを外し、重いため息を吐いた。
彼の現世での仕事は、遺体処理班の末端作業員。しかし、その魂に刻まれた前世の記憶は、
このアンモニアと硫化水素が混じったような死臭にまみれた空間とはあまりにも無縁なもの
だった。
小林 竜馬。
前世では、日本の不夜城・歌舞伎町で、ナンバーワンに君臨し続けたカリスマホスト。
一晩で数千万円のシャンパンタワーを建てさせ、女たちに「作られた夢と疑似恋愛」を売り
つけ、莫大な売掛金という名の借金を笑顔で背負わせ、夜の街に沈めて骨の髄まで搾り取って
は破滅させてきた。
愛など信じていなかった。彼にとって人間の感情とは、ただ数字を叩き出すための
「バグ」に過ぎなかった。
だが、このすべてが滅びた世界に転生して、彼は一つの残酷な真実に直面していた。
統治AIは「人間が生きるために必要なカロリーと水」は計算できても、「人間が生きる力」
は、計算できなかった。
ここでは、娯楽は『非効率なエネルギーの浪費』として完全に禁止されている。歌も、踊り
も、映画も、お笑いライブも、このシェルターには一切存在しない。
その結果が、これだ。物理的には生かされているのに、心が餓死して次々と自ら命を絶って
しまう。『人はパンのみにて生きるにあらず』と昔の偉人は言ったそうだが、人という存在は、
夢や、希望や、時には『馬鹿馬鹿しい虚飾』がなければ、二本足で立ち続けることすらできない
生き物だったのだ。
「俺は前世で、嘘の愛を売って女たちを狂わせた。
……だが、あの嘘っぱちの熱狂のほうが、
この冷徹地獄より、よっぽど人間らしかったじゃねえか」
感情を完全に失いかけていたオリバーが、「フッ」と頬の筋肉を弛緩させて自嘲した、その時。
彼の懐に忍ばせていた旧式の情報端末が、けたたましいバイブレーションを鳴らした。
『限界突破ガチャ 実装のお知らせ / 対象者:ブルシットジョブ経験者限定』
緑色の文字列。前世の魂の言語---日本語。
オリバーは目を細め、そのバカバカしいほど懐かしいUIの『インストール』ボタンを、
躊躇なくタップした。
「アハハハハ! マジでこの時代に『草』とか書き込む奴いんの!? 最高じゃん!」
同時刻。旧アフリカ大陸・第11難民シェルターの天井裏、無数のケーブルが這う通信ダクト
の中で、ムウェンギは腹を抱えて笑っていた。
彼の現世は、シェルターの通信インフラを保守する下級エンジニア。
だが、彼もまた転生者だった。
鈴木 翔太。
前世の日本で、チャンネル登録者数五百万人を誇ったトップYouTuber。
偽犯罪ドッキリ、人間関係破壊ドッキリ、爆竹ドッキリなどの過激なドッキリはもちろん、
大声や絶叫のゲーム実況、大袈裟なサムネ詐欺リアクション、中身のないリアクション動画、
飲食店での不適切行為、公共スペースの不法占拠、私人逮捕系、突撃動画などの迷惑行為。
視聴者の「バズ」を獲得するためなら何でもやった。社会的な生産性など皆無。子供たち
に悪影響を与えると批判され続けた、承認欲求のお化けだ。
だが、ムウェンギのその「バズらせる技術」は、天才的だった。
人間の脳がどの瞬間に刺激を求め、どんなサムネイルに抗えずタップしてしまうのか。
彼は大衆のドーパミンを操る絶対的な嗅覚を持っていた。
ムウェンギの端末の画面には、ダークウェブの深層で立ち上がった『Aチャンネル』掲示板
が映し出されている。
パリのルイ、ニューヨークのエマ、上海の奈々。
前世の「クソみたいなスキル」を持った連中が、次々とこの狂った世界をハックしていく
ログが流れていた。
『ムウェンギ(第11シェルター)/ おいおい、お前ら最高にイカれてんな。
こっちのアフリカ難民区画、娯楽ゼロでみんな首吊って死んでるぜ。
マジで再生数最悪のオワコンチャンネルだわ』
ムウェンギがそう書き込むと、すぐにヨーロッパ圏からのレスがついた。
『オリバー(フォグ・シェルター)/ 奇遇だな。俺の職場も死体の山だ。
……なあ、配信者。お前のその「バズらせる」技術と、俺の「愛を錯覚させる」
技術があれば、この死体だらけのシェルターを、一晩で歌舞伎町に変えられるか?』
ムウェンギの目が、YouTuber特有のギラギラとした狩人のそれに変わった。
『ムウェンギ(第11シェルター)/ 余裕だね。俺の編集と画角を舐めんな。
……統治AIが管理してる午後八時の【強制労働プロパガンダ放送】、
丸ごとジャックしてやるよ。最高のステージを用意してやるから、
お前、そっちのシェルターの全住民を相手に「接客」してみせろよ』
前世で誰の役にも立たなかった「虚業」のトップランナー二人が、今、数百万人の命を救う
ための、史上最大のゲリラライブを企てた。
約束の午後八時。
旧イギリスのフォグ・シェルターの全区画。居住区、工場、食堂、そして死体安置所に至る
まで、無数に設置された巨大なホログラムモニターが、いつものように一斉に起動した。
労働者たちは、焦点の合わない虚ろな目で画面を見上げる。これから始まるのは、統治評議会
による「規律と労働の尊さ」を説く、無味乾燥で人間性のかけらも感じさせない洗脳放送のはず
だった。
だが。何千キロも離れたアフリカの地から、ムウェンギの神業のようなハッキングが、イギリス
の放送システムを丸ごと掌握していく――。
画面が切り替わった瞬間、シェルター中に鼓膜を劈くような『EDM(エレクトロニック・ダンス
・ミュージック)』の重低音が鳴り響いた。
「な、なんだ……!?」
労働者たちがざわめく。
画面には、極彩色のネオンサイン、弾けるシャンパンの泡、そして安っぽいがどこか心を激しく
かき立てる「キラッキラッとしたエフェクト」が乱舞していた。
ムウェンギが前世の記憶と旧時代のアーカイブからかき集め、極限までドーパミンを誘発する
ように再構築した、人間の本能を呼び覚ます完璧なオープニング映像だ。
『さあさあさあ! 息してんのかフォグ・シェルターの底辺共!
今日はテメェらの腐った日常に、魂に火が付くほどの極上の夢をお届けするぜぇ!
チャンネル登録、高評価、絶対によろしくゥ!!』
画面の隅で、ワイプ枠に入ったムウェンギが煽り立てる。
そして、爆発するような光のエフェクトとともに、画面の中央に一人の男が現れた。
オリバーだ。
彼は汚れた作業服ではなく、ムウェンギがホログラムで合成した「純白のスーツ」に身を
包んでいた。胸元ははだけ、前世の歌舞伎町時代と寸分違わぬ、甘く、危険で、圧倒的な色気
を放つ「夜の王」の姿がそこにあった。
「……よう。よく頑張ったな、お前ら」
オリバーの低く、芯のある声が、マイクを通じてシェルター中に響き渡る。
それは、統治者たちの「働け」という命令ではなかった。
疲れ果てた人間を、ただ全肯定するだけの、甘い毒のような労いの言葉。
「前から三列目の、ボロボロの赤いスカーフのあんた」
オリバーは、ムウェンギがハッキングして手に入れた昼間の監視カメラの映像を見ながら、
カメラ目線で一人一人を指名し始めた。
「今日、自分の分の水、隣の子供に半分あげてただろ」
巨大なホログラムモニターに昼間の映像が映し出された。
「……あんたのその優しさ、この腐った世界で一番綺麗だった。
よく生きててくれたな」
名指しされた女性が、ビクッと肩を震わせた。彼女の虚ろだった目に、信じられないものを
見るかの驚愕と、やがて熱いものが込み上げてくる。
次は、巨大なホログラムモニターに働くおじさんの昼間の映像が大きく映し出される。
「ほら、酸素工場でバルブ回してたおっさん。手がボロボロじゃねえか。
痛ぇよな、辛ぇよな。誰にも褒められねえのに、
あんたが毎日レバー引いてるおかげで、
このシェルターの酸素が回ってんだ。あんたは英雄だよ。
俺がこのシャンパン、あんたのために開けてやる」
ポンッ! という派手な効果音とともに、画面内で黄金の雨が降り注ぐ。
ムウェンギが完璧なタイミングで挿入した『コール』の音声が、お祭り騒ぎのように
フォグ・シェルターを包み込んだ。
「泣いていいぜ。弱音吐いていいぜ。今日だけは、俺が全部受け止めてやる。
お前らは価値のないゴミなんかじゃない。俺にとって、最高の『姫』であり『VIP』だ!」
オリバーの言葉は、前世で女たちを騙すために使っていた「嘘」そのものだった。
だが、愛を知らないこの絶望の世界において、その「嘘の肯定」は、干からびた心に注がれる
極上の特効薬となった。
統治AIが一度も与えてくれなかった『あなたはそこにいていい』という承認。
それを、圧倒的なエンターテインメントの熱量で叩き込まれたのだ。
「あ……ああ……」
赤いスカーフの女性が、膝から崩れ落ち、声を上げて泣き始めた。
それは絶望の涙ではない。自分の存在を誰かに認められた、救済の涙だった。
工場のおっさんが、ボロボロの手で顔を覆い、しゃくりあげていた。
あちこちで、数年ぶりに人間の「笑い声」が上がり始めた。
最初は小さなさざ波だったそれは、やがてシェルター全体を揺るがすほどの大きな熱狂の渦
となっていった。
『最高だぜオリバー! 同時視聴者数二百万人突破!
エンゲージメント率エグいことになってるぞ!!』
通信ダクトの中で、ムウェンギが狂喜の声を上げる。
彼らが見ているAチャンネルの管理画面には、結衣や奈々たちが書き換えた
『社会信用ポイント』のアルゴリズムとは別軸の、新しいパラメーターが爆発的な勢いで
グラフを駆け上がっていた。
『【エンタメ・スコア】の急増を検知。住民のストレス値低下、生存意欲の向上。
……利他行動ボーナス、極大値を記録』
ただ人を笑わせる。ただ人を肯定する。ただ面白いものを見せる。
前世では「無駄」と切り捨てられたその行為が、今、アストリッドたちが水面下で組み上げ
つつあるシステムに『人間の命を繋ぐ最大の利他的行動』として認識され、シェルター全体の
酸素供給量や電力配分のロックを次々と解除していく。
「……ハッ、前世の俺の嘘っぱちも、
使い方次第じゃ世界を救えるじゃねえか」
オリバーは、画面の向こうで涙を流して笑う難民たちを見つめながら、前世では決して感じた
ことのない、本物の温かい充足感を胸に抱いた。
彼の目にも、うっすらと光るものがあった。
『さあ、ラストスパートだ! チャンネルはそのまま!
明日も生き延びて、また俺たちの配信を見に来いよな!!』
ムウェンギの叫びとともに、史上最高の嘘と虚飾に満ちたゲリラライブは、熱狂の渦の中で
幕を閉じた。
かつて「無駄と強欲のトップランナー」だったホストとYouTuber。
二人の道化師が放った光は、確かに数百万の命を絶望の淵から引きずり戻した。
それは、これからAチャンネルの同志たちが作り上げる『新しい世界システム』の歴史に、
最も馬鹿馬鹿しく、そして最も美しい一ページを刻み込んだのだった。
この一連の騒動は、Aチャンネルの住人たちの間でも一番の注目を集めた。
北欧のアストリッド、パリのルイ、ニューヨークのエマ、ワシントンのウィリアム、上海の奈々、
北京の結衣。様々なブルシットジョブを極めた元・日本人の転生者たち。
『ムウェンギ(第11シェルター)/ なあ、みんな。現世の変な名前で呼び合うの、
もうやめにしないか? みんな元・日本人の記憶を持つ同士なんだろ。
だったら、名前も魂の方に統一しようぜ。そのほうが分かりやすいし、
何より俺たちらしい』
『オリバー(フォグ・シェルター)/ いい提案だね。偽物の名前で綺麗事を語り合うより、
クソ野郎だった頃の和名で泥水をすするほうが、俺たちの『罪滅ぼし』には丁度いい』
『ムウェンギ/ それな』
『ルイ/ それな』
『奈々(上海)/ それな』
『結衣(北京)/ 赤べこ』
『エマ/ 完全にこれ』
『ウィリアム/ 合理的な提案だ』
『山田 葵/ はい全会一致ー。じゃあ、掲示板の表示設定、全部前世のIDで上書きしとくわね』
『鈴木 翔太/ 本名復活とか激アツ!サンキュー、管理者!』
『佐藤 蓮/ こっちの表示の方がしっくりくる。ありがとな』
『加藤 奈々/ ようやく本当の自分に戻れた気がするわ。修正ありがとう』
『高橋 結衣/ このID、SSRだね!神アプデありがとー!』
『田中 美咲/ 偽名のデータより、こっちの方がずっといいわ。ありがとう』
『吉田 健太/ ……承認する。手間をかけさせたな、感謝する』




