息抜き
「いざレアル伯爵家を調べようとはしましても……」
「……僕達にはほとんどツテがない」
グラシエラとアルヴァロはガックリとため息をついた。
「兄の元婚約者のイゾルダ王太子妃殿下。彼女の生家はレアル伯爵家だから色々と聞こうとしたけれど、追い返されるし手紙も読んでもらいない状態だ。密偵とかを忍ばせようとしても上手くいかなかった」
アルヴァロは眉間に皺を寄せている。
恐らく事件当初からレアル伯爵家に知っていることを聞こうとしていたのだろう。
「密偵……」
グラシエラは苦笑した。
まさかアルヴァロがそこまでしていたとは思っていなかったのだ。
「私も、レアル伯爵家の方々が参加する夜会に出席しようとしましたが……レアル伯爵家の方々がいらっしゃる夜会には招待すらしていただけませんので……」
五年前の『王宮殺人事件』に関する資料を破いて破棄していたレアル伯爵。彼は『王宮殺人事件』に関わりがある可能性がある。
しかし現在グラシエラとアルヴァロには、レアル伯爵家の者達を調べようにもその手段がない。
ほとんど手詰まりの状態で数日が経過した。
「早くマファルダお姉様の無実を証明したいのですが……」
時間ばかりが過ぎ、グラシエラの表情からは焦りと苛立ちが見えた。
「気持ちは分かる。僕も、五年前の真相を知りたいさ。でも、今の状態ではどうすることも出来ない」
アルヴァロは再びため息をつき、ソファに深くもたれかかった。長い足が放り出されている。
そして、ゆっくりと姿勢を戻しグラシエラの方を向くアルヴァロ。
「グラシエラ嬢、まずは少しだけ休んで息抜きするのはどうだろうか?」
「息抜き……。時間がもったいないと思いますが」
アルヴァロの言葉に、グラシエラは眉間に皺を寄せていた。
「でも、きっと今の精神状態では打開策もきっと思い浮かばないだろう。そんな状態で動いても、あまり良いことはないと思う」
アルヴァロは苦笑しつつも、グラシエラを見るサファイアの目は少しだけ優しかった。
「……そうですわね」
確かにアルヴァロの言うことも一理あると思うグラシエラ。
ため息をつき、一旦アルヴァロの言葉に従ってみることにした。
「ですがアルヴァロ様、息抜きと言っても一体何をしますの?」
グラシエラは相変わらず眉間に皺を寄せながら首を傾げた。
「じゃあ、君の姉君マファルダ嬢や、僕の兄ペドロの話とかはどうだい? ついでにボードゲームや思い出の品で遊んでみたりとか」
「マファルダお姉様との思い出……」
グラシエラの眉間の皺が、少しだけ浅くなった。
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マリャル侯爵家の王都の屋敷のサンルームにて、グラシエラはヴァイオリンを演奏していた。
「その曲、デニウソン・コスタ氏のヴァイオリン独奏曲だね」
「ええ。マファルダお姉様がよく演奏しておりました。ヴァイオリンはお姉様の趣味でしたの」
グラシエラの脳裏に浮かぶのは、マファルダとの穏やかで楽しかった思い出。
グラシエラは五つ上の姉マファルダにいつもついて行き、彼女のヴァイオリンをすぐ側で聴いていた。
「マファルダお姉様は、ヴァイオリンの演奏が身内贔屓なしで見ても本当に上手でした」
マファルダのことを思い出しながらヴァイオリンを演奏しているグラシエラ。
ヘーゼルの目は、穏やかだった。
サンルームに入って来る春の日差しは、暖かく柔らかい。
「グラシエラ嬢も、中々の腕前だと思うけど」
アルヴァロはフッと口元を緩め音もなく紅茶を啜る。
「ありがとうございます。でも、マファルダお姉様には及びません。マファルダお姉様が演奏するヴァイオリンは、しなやかでずっと聴いていたくなるような音でした」
ヴァイオリンを演奏しながら、グラシエラはマファルダとの思い出話を続ける。
「私も、マファルダお姉様とよく一緒にヴァイオリンを演奏しました。お姉様は私に優しくヴァイオリンを教えてくださったのです。それに……」
グラシエラはクスッと笑う。
「時にはマファルダお姉様と二人で自由にはちゃめちゃに楽しくヴァイオリンを演奏して、二人揃って顔をシワシワにして涙が出るくらいに笑い転げることもありました」
その時のことを思い出しているグラシエラは、鈴の音が鳴るような声で笑っていた。
マファルダとの思い出が、鮮明に蘇っているのだ。
「それは楽しそうだ」
アルヴァロにもその様子が想像出来たのか、サファイアの目を細めていた。
グラシエラはヴァイオリンの演奏を終える。
「アルヴァロ様はいかがです?」
「ヴァイオリンかい? 嗜む程度には演奏出来るけど」
「いえ、そうではなく、お兄様であられるペドロ様との思い出話です」
「ああ、そうだね。じゃあ今度はチェスやボードゲームをしながら話そうか」
アルヴァロは使用人に頼み、サンルームまでチェスなどのボードゲームを持って来てもらった。
「グラシエラ嬢、ルールは分かるかい?」
アルヴァロは目の前にチェス盤を広げた。
「チェス……数回しかやったことがありません。ルールもよく覚えていませんわ」
グラシエラは目の前にある白と黒の駒を手に取り苦笑する。
「じゃあ説明するよ。この駒はポーンと言って、動き方は……」
アルヴァロはグラシエラに丁寧にルールを説明してくれた。そのお陰でグラシエラはすぐにチェスのルールを理解出来た。
グラシエラは腕を組み考える素振りをしながら目の前の盤上をじっと見ている。
(目の前にあるアルヴァロ様の黒のポーンを私の白のナイトで飛び越えたら……一気に攻め込まれるわ。だとしたら……)
グラシエラは少し考えてから、白のルークを動かして黒のポーンを取った。
「なるほど、そう来たか」
アルヴァロはニヤリと口角を上げ、余裕そうな表情で黒のビショップを動かした。
「やってみると結構チェスも奥が深いだろう?」
「ええ、そうですわね。数手先まで読んでコマを動かす。自分の策略が上手くいくとなると、面白いでしょうね」
グラシエラは考えながら白のポーンを動かした。
アルヴァロはどこか楽しそうな表情で黒のクイーンを動かす。
(……アルヴァロ様、そんな表情もするのね)
グラシエラはヘーゼルの目を丸くした。
どこか冷たく、ミステリアスで考えを読ませないアルヴァロしか知らなかった。
しかし、今のアルヴァロはサファイアの目を楽しそうに輝かせている。表情も今までの中で一番明るく、年相応の十八歳のものに見えた。
グラシエラは少しだけ表情を和らげていた。
グラシエラとアルヴァロのチェスは、中盤まで互角だったが終盤からアルヴァロが攻め込み、グラシエラはチェックメイトになってしまった。
「アルヴァロ様、お強いですね」
グラシエラは白のキングをつまみ、ため息をついて降参したように笑う。
「初めてチェスをした時は弱かったよ。五つ上の兄にルールを教えてもらいながらやったけれど、兄には勝てなかった」
アルヴァロはサファイアの目を左上に向け、懐かしそうな表情をしていた。
「ペドロ様はチェスがお強かったのですか?」
「うーん……まあまあってところだったかな。兄に教えてもらうにつれて僕もチェスが強くなって、次第に兄を超えていたよ」
「そうだったのですね」
「兄は僕までチェスが強くなって拗ねていたけれどね」
アルヴァロは少し困ったように苦笑する。しかし、その表情は穏やかである。
「アルヴァロ様まで……とは?」
グラシエラはアルヴァロの言葉にきょとんと首を傾げた。
「実はさ、当時兄と婚約していたイゾルダ王太子妃殿下。彼女はチェスが兄より強かったみたいでね。彼女に勝てなくて悔しいって言っていたよ」
「そうだったのですね」
「兄は……イゾルダ王太子妃殿下にコンプレックスを抱いていたらしい。彼女は七年前の海を挟んだ大陸から入って来た疫病騒ぎの時、疫病の特効薬とワクチンの入手ルートを確立したのは知っているよね?」
「七年前……確かに、その話は聞いたことがあります」
グラシエラも七年前のことは何となく覚えている。
グロートロップ王国に海を挟んだ南の大陸由来の疫病が入って来て大変だった。
初期症状は咳のみ。そして次第に全身に水痘のような発疹が見られる。大抵の場合はこの段階で完治するが、重症化して亡くな場合もあった。また、完治した人の中には運悪く痘瘡が残ってしまう場合があったのだ。
グラシエラも両親からは疫病に感染しない為にもあまり外出をしないようにと言われ、マファルダや三つ上の兄と共に領地にあるメゼネス伯爵城にこもり切りの日々だった。
「イゾルダ王太子妃殿下は、医学や薬学に強いナルフェック王国が開発した特効薬やワクチンをグロートロップ王国にもスムーズに入るよう、取りなしてくださったと。グロートロップ王国は科学的な分野がまだ発展しておりませんから」
「その通りだよ。イゾルダ王太子妃殿下は、とても優秀だ。……兄は婚約者だった彼女が自分よりも優秀であるから、複雑だったらしい。でも、だからと言ってフロール嬢と浮気して良い理由にはならない」
アルヴァロは呆れたようにため息をついた。
グラシエラはどう声をかけたら良いか分からず、黙ってアルヴァロの話を聞いていた。
「だけど、やっぱり僕にとってペドロは……チェスやボードゲームを教えてくれたりして……優しい兄だったんだ。世間がどう言おうとね」
アルヴァロのサファイアの目からは、懐かしさと悲しさが感じられた。
グラシエラは何も言わず、そっとアルヴァロの手を握った。
「グラシエラ嬢……」
やや戸惑うアルヴァロ。
グラシエラはヘーゼルの目を真っ直ぐアルヴァロに向けている。
(上手い言葉が見つからないけれど……アルヴァロ様の気持ちは痛い程分かるわ)
マファルダに対する事実無根の誹謗中傷。聞いているだけでどうしようもない怒りと悲しみが湧き出す。
同じように浮気したペドロは殺されるだけの原因があった碌でなしと言われ、アルヴァロもきっと傷付いたのだろう。
「グラシエラ嬢、ありがとう」
アルヴァロの表情は少しだけ和らいだ。
グラシエラはその表情を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「グラシエラ嬢は凄いと思う。マファルダ嬢の無実を証明する為に、マリャル侯爵家に乗り込んで来るのだから」
フッと目を細めるアルヴァロ。そのサファイアの目からは、グラシエラに対する尊敬の念が感じられた。
思わずグラシエラはドキリとする。
ほんの少しだけ心臓が高鳴った気がした。
気分はまるでサンルームから見える空に浮かぶ、ふわふわとした白い雲のようだ。
「そう……でしょうか……? アルヴァロ様も、色々と五年前の事件を調べようとしていたではありませんか。アルヴァロ様だって、凄いと思います」
思わずアルヴァロから目をそらすグラシエラ。
「ありがとう、グラシエラ嬢」
アルヴァロは穏やかに微笑んでいた。
二人の間に、少しの沈黙が流れる。
春の穏やかな日差しがサンルームに入り、少しだけ気温が上がったような気がした。
「ところでさグラシエラ嬢、五年前の事件で亡くなった兄の浮気相手のフロール嬢。彼女の生家、ピント男爵家については調べたのかい?」
アルヴァロからそう聞かれ、グラシエラは首を縦に振る。
「はい。最初はピント男爵家の方に潜入しようとしていましたが、ピント男爵家は既に取り潰されていて、男爵家の方々も消息が掴めなかったのです」
正直な話、グラシエラの生家メゼネス伯爵家よりも高位のマリャル侯爵家に潜入するより、ピント男爵家に潜入する方が簡単だと思っていたのだ。
しかし、ピント男爵家は五年前の『王宮殺人事件』以降取り潰されていて調べようにも調べられない状況だった。
「そっか。……とにかく、僕達は五年前の『王宮殺人事件』の真犯人を、真相を突き止める必要がある。レアル伯爵家のことも気になるし」
「そうですわね」
グラシエラはヘーゼルの目を真っ直ぐアルヴァロに向けた。
その時、グラシエラはハッとあることを思い付く。
「アヴィス王家主催の夜会……!」
「王家主催の夜会がどうしたんだい?」
アルヴァロは不思議そうに首を傾げている。
「王家主催の夜会なら、基本的にグロートロップ王国内の全貴族が参加します。そこならば、レアル伯爵家の方々とも接触が可能かと」
「そうだね……! 失念していた」
アルヴァロはサファイアの目を見開いていた。
そんなアルヴァロに、グラシエラは思わず笑ってしまう。
「私も失念しておりました」
アルヴァロもクスクスと声を出して笑った。
「いやあ、でもこれも息抜きの効果かもしれない」
「そうかもしれません」
「あのさ、グラシエラ嬢。王家主催の夜会のことだけどさ、レアル伯爵家に無理に接触しようとするのはやめないかい?」
「……どうしてですか?」
アルヴァロからの提案に、グラシエラは首を傾げる。
五年前の『王宮殺人事件』に関わっている可能性があるレアル伯爵家。接触しないわけにはいかないと考えているグラシエラである。
「本当にレアル伯爵家が事件に関わっているのだとしたら、警戒されたりはぐらかされるに決まっている」
「確かに……」
アルヴァロの言う通りである。
しかし、グラシエラの中にはマファルダの無実を証明したいという思いがある。
「では、どうしたら良いのです?」
「例えば、僕達が楽しそうにしていたら良いんじゃないかな。僕達はただでさえ社交界で話題になる。五年前の事件関係者の家族だからね。周囲はきっと僕達の様子に興味を持つはずだ。レアル伯爵家が本当に五年前の事件に関わっていた場合、きっと僕達の様子は気になるだろうね」
ニヤリと企むような表情のアルヴァロ。
「なるほど……」
グラシエラは一理あると納得した。
「それにさ、君とのこの息抜き、結構楽しかったんだ。こんなに穏やかで楽しかったのは本当に久々だ。せっかくだし、他のボードゲームもしないかい?」
アルヴァロは表情を和らげた。
サファイアの目は、優しげにグラシエラの方を向いている。
「アルヴァロ様……」
思わずグラシエラの鼓動は高鳴る。
グラシエラも、表情を和らげた。
「……私もです。少しだけ……負の感情から離れることが出来ました。では、他のボードゲームもやりましょう」
思い出してみれば、マファルダを失った悲しみや周囲の心ない声による怒りでグラシエラは負の感情に支配されることが多かった。
しかし、アルヴァロとの息抜きの時間は負の感情を忘れて穏やかに過ごすことが出来たのである。
負の感情から離れられ、アルヴァロのことも知ることが出来た。
グラシエラにとってこの時間はとても有意義なものだったのである。
サンルームには穏やかな春の日差しが再び入り込み、外に見える庭園の色とりどりの花々は優しい風に揺れていた。
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