穏やかな日々
ブラガンサ王家の夜会から数日後の昼下がり。
マリャル侯爵家の王都の屋敷にて。
すっかり夏の日差しが、サンルームに入り込んでいる。
明るい太陽光に照らされ、グラシエラはヘーゼルの目を細めた。
「マリャル侯爵家の王都の屋敷に潜入し始めた頃はまだ春でしたのに、もうすっかり夏ですわね」
グラシエラは初めてこの場所に来た頃のことを思い出し、懐かしく思った。
「そうだね」
アルヴァロは優しげにサファイアの目を細めていた。
「もう季節が一つ巡ったと言うべきか、まだ季節が一つしか巡っていないと言うべきか」
「色々あり過ぎましたからね」
グラシエラはアルヴァロとの出来事を思い出しながら再びクスッと笑った。
丁度その時、マリャル侯爵家の使用人により紅茶とお菓子が運ばれて来た。
「まあ……。桃とエッグタルト……」
グラシエラとマファルダの好物である。
グラシエラは思わず表情を綻ばせた。
「さあ、グラシエラ、早速食べよう」
「ありがとうございます」
アルヴァロに言われ、グラシエラはナイフでエッグタルトを一口サイズに切り、口に運んだ。
優しくまろやかな甘さが口の中に広がる。カスタードの風味も濃く、思わずうっとりとしてしまう程である。サクサクとしたタルト生地はふんだんにバターが使われており、香ばしさも口の中いっぱいに色がった。
食べる手が止まらなくなりそうである。
きっと今のグラシエラの様子をマファルダが見たら、「あまり食べ過ぎないようにするのよ」と優しく注意してくれるだろう。
「グラシエラ嬢、食べ過ぎたら大変だ。きっと夕食が入らなくなる」
アルヴァロが優しい表情でグラシエラにそう注意をした。
もういない姉マファルダの代わりに注意してくれたのだろうか。
グラシエラはそう思うのであった。
マファルダの好物を食べながら、グラシエラはマファルダのことを思い出す。
かつて、メゼネス伯爵家でのティータイムでエッグタルトが出された時のこと。
グラシエラがチラリと見上げると、マファルダは上品な淑女の笑みを浮かべていたが、その目は嬉しそうにキラキラと輝いていた。
表情を綻ばせながらエッグタルトを食べるマファルダの姿は、とても幸せそうに見えたのだ。
(マファルダお姉様……)
グラシエラはそっと目を閉じ、マファルダへの思いを馳せた。
「グラシエラ嬢。せっかくだから、君の姉君であるマファルダ嬢の話を聞かせてくれないか?」
アルヴァロの穏やかな声が聞こえ、グラシエラはゆっくりと目を開ける。
甘く優しい表情のアルヴァロが、目の前にいた。
「そうですわね。今日はそういう日でした」
グラシエラは再びエッグタルトを食べてふふっと笑う。
そんなグラシエラを、太陽光が照らしている。
この日はかつてと同じようにマリャル侯爵家の王都の屋敷のサンルームでグラシエラとアルヴァロの二人だけでティータイムなのだ。
紅茶を飲みエッグタルトと桃を食べ、そして、ヴァイオリンやボードゲームを楽しむ時間なのである。
エッグタルトを食べ終えたグラシエラは、次に桃を食べる。
柔らかく瑞々しい果肉、そして爽やかな甘さとジューシーさが口の中に広がる。
好物の桃を堪能し、グラシエラはうっとりと表情を綻ばせていた。
「美味しそうに食べるね」
アルヴァロも桃を一口咀嚼している。
「好物ですから」
グラシエラはもう一口桃を口に入れた。
「マファルダお姉様の好物のエッグタルトも、今は穏やかな気持ちで食べられますわ」
グラシエラはかつてアルヴァロと一緒に王都の隠れ家のようなカフェに行き、エッグタルトを食べたことを思い出した。
その時はまだ『王宮殺人事件』の真相が解明しておらず、まだマファルダが犯人扱いされていた。
エッグタルトを食べたことで、その時はマファルダとの思い出が溢れ出していた。
マファルダを失った悲しみと怒りが雪崩のようにグラシエラの心に流れ込み、その時は感情が涙となってグラシエラのヘーゼルの目から零れ落ちていた。
アルヴァロはそんなグラシエラの気持ちを優しく受け止めてくれたのだ。
(あの時は……『王宮殺人事件』の真相が解明するまでの関係だと思っていたから、アルヴァロ様をこれ以上好きにならないようにしようとしていたけれど……)
グラシエラはチラリとアルヴァロに目を向ける。
グラシエラの正面に座るアルヴァロは、いつ見ても端正な顔立ちである。
甘く整ったその顔立ちと、サファイアのような青い目は、思わず見惚れてしまいそうだ。
(改めて見ると、アルヴァロ様は見目麗しいわ。……もし、処刑された元王太子妃イゾルダ様を裏切った兄がいるだなんて話がなければ、きっと引くて数多だったでしょうね……)
グラシエラは、ほんの少しだけ複雑な気持ちになる。
ふと、サンルームに置いてあった鏡に映る自身の姿に目を向けたグラシエラ。
真っ直ぐ伸びた栗毛色の髪に、ヘーゼルの目。凛とした顔立ちである。
しかし、華やかさには少し欠けるかもしれないと思ってしまう。
(私は……アルヴァロ様に釣り合うかしら……?)
ヘーゼルの目を床に向けるグラシエラ。
ほんの少しだけ、自信を失くしてしまう。
その時、マリャル侯爵家の使用人が仕立て屋の来訪を知らせに来た。
「仕立て屋……?」
グラシエラはきょとんと首を傾げる。
アルヴァロは少し考えるような素振りをした後、ハッとサファイアの目を見開いた。
「そういえば、注文の品が届くのは今日だったね」
アルヴァロが仕立て屋から何かを注文していたようである。
「とりあえず、この部屋まで通して」
アルヴァロがそう指示すると、使用人は仕立て屋を連れて来た。
「これは……!」
グラシエラは目の前に広げられたドレスを見て、ヘーゼルの目を大きく見開き感嘆の声を上げる。
アルヴァロの目の色と同じ、青のスレンダードレスである。
知的でスタイリッシュな印象を与えるそのドレスは、グラシエラの好みのシルエットであった。
「素敵です」
グラシエラは思わずヘーゼルの目をキラキラと輝かせている。
「グラシエラ嬢に絶対に似合うと思って、仕立ててもらったんだ」
アルヴァロはサファイアの目を真っ直ぐグラシエラに向けている。
「髪飾りとブローチもあるよ」
アルヴァロはグラシエラに高価そうな箱を渡した。
中に髪飾りとブローチが入っているようである。
グラシエラはそっとアルヴァロから箱を受け取り、中身を確認した。
サファイアの髪飾りとブローチである。
どちらもアルヴァロの目の色と同じ宝石だ。
「アルヴァロ様……!」
「……独占欲が強いと思われるかもしれないけれど、グラシエラ嬢には僕の目の色と同じ色のものを身に着けて欲しくて。……グラシエラ嬢は綺麗だから、他の男に奪われたくないし……」
アルヴァロの頬は、ほんのり赤く染まっていた。
そんなアルヴァロの独占欲に、グラシエラは何だか嬉しくなる。
胸の奥からときめきが湧き出して来るようだ。
「アルヴァロ様、ドレスも髪飾りもブローチも、今すぐ着用してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。楽しみだ」
グラシエラは早速マリャル侯爵家の使用人に手伝ってもらい、青いスレンダードレスとサファイアの髪飾りとブローチを身に着けた。
「やっぱり、良く似合っている。仕立てて大正解だ」
アルヴァロは、新しいドレス姿のグラシエラを見て満足そうにサファイアの目を細めた。
「素敵なドレスとアクセサリーをありがとうございます、アルヴァロ様」
グラシエラはクスッと表情を綻ばせる。
少し前まで自分はアルヴァロと釣り合うのかと、少しだけ自信を失っていた。しかし今ではすっりピンと背筋を伸ばし、堂々とした様子のグラシエラである。アルヴァロからきちんと愛されており、自信を取り戻したのだ。
(私は、アルヴァロ様の隣で堂々と胸を張っていましょう。私が自信なさそうにしていたら、きっとアルヴァロ様に恥をかかせてしまうわ)
グラシエラはキュッと口角を上げた。
自信に満ち溢れている笑みである。
「喜んでくれて、僕としても嬉しいよ」
アルヴァロはとろけるような笑みをグラシエラに向けた。
その笑みに、グラシエラの鼓動は高鳴る。
自然と、アルヴァロの顔がグラシエラの顔に近付いて来る。
グラシエラは思わずヘーゼルの目を瞑った。
すると、唇に柔らかな感触があった。
アルヴァロの唇が、グラシエラの唇に触れたのだ。
そっと優しいキスである。
眩しい太陽の光が、グラシエラとアルヴァロを照らしていた。
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