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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
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22

「どうした、イリス。そんな顔をして」


 廊下の隅で、部隊長がうつむくイリスのほおをなでる。

 つめたい。

 部隊長の手も、イリスのほおも。


「俺は、ルカを……殺したくない、んです。こんなことを思うのは、初めてで」

「そうか」

「そういう対象として、見ることができない。どうして……俺、こんな俺なんて、玩具ですら、ない……」

「……イリス……、お前、薬飲んだか?」


 耳もとでつぶやいた部隊長の問いに、イリスは軽くかぶりをふる。

 そういえば、飲んでいない。

 忘れていたわけではないが。


「だめじゃないか。ちゃんと飲まなければ」

「……はい。部隊長、あの」

「ん? どうした」

「俺を、まだ、抱きしめられますか」


 むかしのように。

 子どもではなくなった、この体を。

 ただただ、無償の愛の、ように。


 部隊長は、わずかに苦笑して、イリスを見据えた。

 きれいな、色。

 それでも、その眼の奥。心の奥は、けっして見せないひと。


「もちろんだ。俺の愛しいイリス」


 彼はためらうこともなく、イリスを抱き込んだ。

 なんのにおいもしない、けれど。

 部隊長の体温を、憶えている。

 体に、刻みこまれている。


 部隊長に、抱かれたことがあった。

 もう、5年も前だ。

 ちょうど二十歳のとき。

 その一年間で、10回ほど。

 傷だらけで、やけどの跡がある体を、部隊長は「うつくしい」と言った。

 その言葉はきっと、女に言うものなのだろうけれど、イリスにとって――そう言われたことは、最大の誇りだった。

 部隊長の硬くなった手が、イリスの身体にふれたこと。

 くちづけを、おくられたこと。

 あいしている、と。

 そう言ってくれたことを。

 イリスは、憶えている。


「部隊長……」


 にじんだ声が、出た。

 泣くのかもしれない、とも。

 けれど、涙はもうでない。


――泣く資格なんて、ないだろう。

――泣いたって、殺した人間は戻ってこない。その人間を愛した人間の、心の傷も癒されることはない。 


「俺、ちゃんと、死ねますか」

「お前の働き次第だ」

「ちゃんと……殺して、死ねたら、あなたは」

「ああ、褒めてやる。よく、がんばった、と。お前は、俺の誇りだと」


 身体が離れる。

 部隊長はいつもと同じように、やさしい笑みを浮かべていた。

 その笑みに、いつも、いつも助けられてきた。

 ただしいことなどしていない。

 それでも、これ(・・)が自分のすることなのだ、と。

 自分たちにしかできないことなのだと。

 そう思うことで、何とか均衡を保っている。


「大丈夫だ」


 あやすように、あくまでやわらかな口調で。


「お前は強い。シグリのなかでも一等、強い子だ」


 こくり、と頷いたイリスの背を、そっと押す。

 ルカが待っているだろう、と。

 部隊長は言った。

 はい、とイリスは再びうなずいた。


「ルカ、待たせた」


 部屋に入ったふたりは、イリスのベッドにすわっている彼のそばに寄る。

 赤い目が、部隊長の目を見上げていた。


「あんたは、イリスが死んだら、どう思う」


 突拍子のない質問に、けれど部隊長はこう答えた。


「それは辛いし、哀しい。シグリの子たちが死んでいくのは、辛く哀しいことだ」


 それきりルカは何も言わず、ただ視線をおとしていた。


「――俺はここで失礼する」

「はい」

「イリス」

「はい」

「お前は強い子だが、時折、危うくなる。俺にしてやれることがあれば、何でも言うといい」

「……はい」

「ルカ。イリスはシグリのなかでも一等強い子だ。心配はいらない。ただ、覚悟はしておいてほしい。……セハカのことは、すでに決定事項だ」

「それは、分かっている……」


 うつむいたまま、決してふたりの顔を見ようとしないルカを、気に留めることなく――部隊長は出ていった。




「イリスは、あの男のことが、すき、なのか」


 いうことではなかった。

 言うべきことでも、なかったのかもしれない。


 イリスは黙ったまま、ルカのとなりに座った。


「べつに、そういうわけじゃない」

「……そうか」

「ただ、信頼している」

「あんたは、あの男のものに、なりたいんじゃないのか」


 ものとしてしか、生きていけない人間がいる、と。

 部隊長は言っていた。


「どうだかな。俺には、分からない。まあ、分かることもないだろう」


 あまりにも、何ともないように言うので。

 あまりにも、そんな資格がないとでも、言うかのように。


「……ルカ」

「?」

「おまえ、本当に……俺が好きなのか?」


 うつむいたままのルカに、イリスは、本当に不思議そうに問うた。 

 ようやく顔をあげたルカは、うつろに開いた目を、ゆっくりと上げる。


「うん」

「そうか」

「……うん」


 どうでも、よかった。

 好き、だとか。

 そうじゃない、とか。


 教えてくれなかった。

 だれかを好きになることの意味を。


 だから、どうしてイリスのことを好きになってしまったのか、分からない。

 なぜ、イリスだったのだろう。

 どうして、イリスでなければいけなかったのだろう。


 こんなに、苦しい、のに。

 それでも、このままでいい、とも思う。


「じゃあ、くちづけたい、とも、思っているのか」


 ごくごくふつうのことを言っているように、訪ねてくる。

 好き、ということは、そういうこともするということ。

 そういうことなのだ、と。イリスは言っているのだろう。


「し」


――そんなの。

――そんなの、したい、に決まっている。


「した、い」

「……素直だな」

「悪いのか。すきなひとに、そういうことをしたいっていうのは、悪いことなのか」

「そういうわけじゃない。俺にも、それくらいは分かる」

「じゃあなんで、そんなことを言うんだ」

「体だけ、ってやつもいるからな。べつに好きじゃなくてもしたいってやつ」


 そう、何でもないように。

 まるで、そうされてきたかのように。

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