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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
48/49

21

 イリスの姿は、あの噴水の広場にあった。


「なぜ」


 いまだ、恐れるように噴水の上にある石像を見上げている国教徒は、大勢いる。

 その喧騒にまぎれるような声で、イリスが問う。


「なぜ、ここまで……」


 部隊長が、来ていた。

 供のひとりも、つけずに。


「お前が、すこし心配でな」

「俺が?」

「ああ。お前、休みも取れなかっただろう」

「……いえ、慣れていますから」


 横に並んだまま、目もあわさずにただ、話しかける。

 部隊長は、イリスよりもわずかに背が高く、薄い紫色をしていた。

 正確な年齢はイリスにも分からないが、年上だということは分かるし、30代後半だということも分かる。

 けれど、名前を教えてはくれない。

 何度ねだっても、教えてはくれなかった。


「俺は今、休暇でな」

「だったら、あなたも同じではありませんか」

「じっとしてはいられない性分だと、お前も分かっているだろう?」

「ええ、まあ……」


 ふ、と部隊長がほほえむ。

 彼の腰には白銀の剣。

 そして、服装は簡素で質素なものだった。

 黒い布で統一された、長そで、革のベルトに黒いパンツ。靴は編み上げの黒いブーツ。

 肩には、グレーの厚い布をかけている。


「最近、お前とも……あまり話をできていなかったな」

「いえ、あなたも忙しいでしょうから」

「今、あの子はどうしている?」

「ルカのことですか? 宿にいますが」

「そうか。……すこし、話をしたい。いいか」


 黒ずんだ石像のことなど一切興味がないように、部隊長はイリスが案内する宿へむかった。


「あの子の様子はどうだ」


 宿への道すがら部隊長が問うも、イリスはどう答えるべきか、わずかに悩む。

 先日からルカの様子がおかしいことは、分かっているが。

 

「……あまり、よくないようです」

「そうか……」

「すこし、精神面が不安定のようで。顕著になったのは、ゼノが来てから、のような気がします」

「ゼノか」

「俺は、あまり覚えていないのですが」


 ちら、と。

 部隊長の顔を見る。薄い青の、目。その目が、イリスの目とあう。


「ゼノは、今休暇中だと言っていました」

「確かに、そうなっている。イリス。お前は……ゼノを、憶えていないと、言ったな」

「はい」

「今から10年前。お前が15歳の時だ。ゼノが、俺のところにきたのは。あの子は、危うい」


 部隊長が、ここまで言うのは珍しいような気が、した。

 ただ、彼が言ったということは、イリスがそれを知らねばならないということなのだろう。


「……お前に、執着しているようだな」


 なにかを、探るような目で。


「ルカ、を、夜襲しました」


 言おうか迷っていた。

 けれど、部隊長が探れば――あるいは、彼が部屋を見れば、おそらくわかってしまうだろうから。

 部隊長の目が、すっと細められる。


「何かしら、罰を与えなければならないな」


 その言葉をわざと聞き流すと、宿まで言葉をかわすことはなかった。


 借りている部屋の前に立ち、わずかにためらってからドアを引く。


「ルカ」


 ルカは、ベッドのうえでひざを抱えてすわっていた。

 少し見れば、眠っているようだったけれど。


「だれ……」


 そうっと、警戒しながら。

 部隊長はイリスを横切って、ルカが座っているベッドにまっすぐ向かった。


「はじめまして。セヴェリ・ルカ・エクロス。俺はシグリの部隊長だ」

「……おれを、殺しにきたのか」


 いまだ警戒をとかぬ目で、しぼりだすような声を出す。

 おそろしいものを見るような目は、していないが。

 部隊長はやはり名を名乗らず、ただルカを見つめている。


「いいや。きみは死ぬべき人間でも、殺されるべき人間でもない」

「どうせ、今のところは、とでもいうんだろう」

「……ああ。否定も肯定もできない。だが、暗殺する人間は、陛下と俺が決定する」

「おれは、イリスに殺されたい」


 ルカから視線を外した部隊長は、こちらに目を向けた。


「約束、しました。もしルカが……対象になったら、俺が殺します」

「お前は、そう望んでいるようでもないが」

「それは……殺したくは、ありませんので」


 彼のうつくしい目から逃れるように、視線を外す。

 その目を見ると、正しいことしか言えなくなる。嘘など、無意味だ。このひとの、前では。


「イリス」


 幼さの残る、声で。

 ベッドからおりて、イリスの腕を力なくつかむ。


「イリス……」

「だいじょうぶだ。このひとは、怖くない。おまえを傷つけない」


 できるだけ、ルカを傷つけるようなことはしたくない。

 だから、というわけではないが。

 まだ幼い子どもに言い聞かせるような、そんな不器用な言葉しか出ない。


「ずいぶんなつかれたな」


 部隊長の声色は、どこまでも優しいものだった。

 決して、けなしたり、馬鹿にしているわけではない。


「……あんたが、イリスの」


 赤い目が、じっと男を見上げる。


「あんたの、もの、なのか。イリスは」


 部隊長の目が、うっすらと細められた。

 まるで、その問いを前々から知っていたかのように。


「いいや。それはちがう、ルカ。俺たちは女王のものだ」

「でも、ゼノっていうやつは、ちがうと言っていた」

「……シグリは、たしかに女王が建てたものだ。だが、シグリも所詮は人間。物、というような扱いに、慣れていないし、慣れてはいけない。だが、物として扱われることでしか、生きていけない人間も、いる」


 イリスの表情が強張ったのを、見た。

 きっと、イリスがそうなのだろう。

 5歳でシグリに入り、暗殺のための道具として女王から扱われたのならば。

 そう、なのだろう。


「せめて、人並の幸せを願いたいが」

「部隊長。人並の幸せなど、俺はもう、求めていません」


 ひとごろしを重ねておいて、幸せなど求めること自体、おかしい。


「……俺などには、ただの……玩具くらいで、ちょうどいいのです」

「イリス……」

「けれど、これでいいと思っています。そう思えば、未練もありません」


 この世界に。

 自分の人生に。

 幸せを感じなければ、そんなもの必要がない。


 これが自分の弱さなのだと、知っている。

 求めることがおそろしい。

 求めて、手に入れて、うしなうことが。

  

「未練など……未練をのこして死ぬことほど……無様な死は、ないでしょう」


 イリスの表情は暗く、亡霊のようだった。

 きっと。

 きっと部隊長だけにみせる、弱さなのだろう。

 ルカのこころが、ぎしり、と音をたてて軋む。


「ルカ、すこしイリスを借りるが」

「……うん」


 うつむくイリスの腕をひき、男は部屋を出ていった。


 ぎしり。

 ぎしり。

 ぎしり。

 こころが痛い。きしむ。

 イリスは、シグリは、女王のものだ。

 ことばでは、分かっている。

 けれど、こころでは、それを否定していた。

 なんで。

 なんで。

 なんで。

 なんで、イリスは――。

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