20
死に神だと、不吉な子どもだと、何度石や、雪のかたまりや、小枝を投げられただろうか。
自分のこころを守るように押し込んで、もう、どこにいったのか分からない。
分からなかった、けれど。
殺ししか能のないという、自分とは正反対の――天の御使いの顔をもつ男を見ていたら、まるで、今まで押し込めていた感情が、心が、あふれるような気が、した。
どうして。
どうして、おれは、この世界にいるのだろう、と。
「無理、か」
長いあいだ口を閉じていたイリスの、なだらかな声が聞こえる。
膝に手をのせたままの彼は、まぶたをおろし、ふたたび口を閉じた。
「そうか……」
深呼吸をするように、イリスがつぶやく。
諦めているようでも、呆れているようでも、あった。
「すきにすると、いい。だが俺は、応えることはできない」
ルカが言わんとすることは、分かっている。
だが、その想いには応えることができない。
分かっている。
分かっていた、といえばいいのか。
「それでもよければ」
「……シグリの、掟か」
「いや」
シグリが、誰かと親密になることを禁止するという掟はない。
ただ親密になった人間と、ずっと共にいることはできないのだ。
シグリはひとつの場所に留まることはできない。
その人間が、シグリの仕事に巻き込まれることがあるだろう。
それによって、命をおとしたものもいた。
命をおとした恋人を想ってだろう、わざとと言わざるを得ない、戦死したシグリもいた。
自死がゆるされないから。
だからせめて、戦って、わざと死んで――そのひとのもとにいこう、と。
そう、したのだろう。
「俺が、シグリだからだ」
突き放すように。
諭すように。
「あんたがシグリだから、どうだというんだ。あんたは、イリスだろう」
「俺は、シグリだ。イリスという名も、この体も、心というものが俺にもまだあるのなら、それもすべて――あの、女のものだ」
ちがう、と。
そう言いたかった。
あんたは、そんなことを思っていない。
ゼノが「あのひと」と言ったのは、女王のことではないのはルカとて、わかる。
それでもルカは、伝えたかった。
たとえ、応えてはくれなくとも。
イリスがほかの誰かのものだとしても。
イリスが、「あのひと」のものだということを、望んでいたとしても。
「イリス、きいて、ほしい」
自分の声が、なさけないほどふるえている。
今まで、「人間」を好きになったこともなかった。
今まで、ひとを好きになったこともなかった。
誰もかれもが、同じだった。
国教徒からは無論、国教徒ではない人間からも、凶弾され、忌み嫌われる、こんな姿では。
だれも好きにならないし、好きになってもらうことはないだろう、と。
そう、おもって、いた、けれど。
でも。
でも、こんな死に神の顔をした自分でも、ひとを、好きになれた。
好きになっては、もらえないだろうけれど。
「おれは、イリス……」
肩にあずけたままだった、頭をゆっくり、ゆっくりとはなす。
イリスの目を見上げて、かさついたくちびるを、開いた。
「イリスのことが、すきだ……」
胸のなかのどこかにあった、この感情は、一体どこからでてきたのだろう。
もとからあったものかもしれないし、違うのかもしれない。
イリスの、そのうつくしい碧眼。
その眼は湖のように凪いでいて、ルカの顔を見つめ返している。
なんの表情もしていない。
嬉しいとか、いやだとか。
そういったものが、そぎ落とされたような、顔。
「お、おれは、あんたが、誰のものでもかまわない」
「まったく、おまえは……」
やはり、呆れたような、なにかを諦めたような表情で。
イリスは、こう言った。
「ほんとうに……損なことしか、しないな。おまえ」
「損?」
「俺が応えないって言ってんのに」
「それでもいい」
片恋でも。
べつに、かまわない。
すきだって。
あんたのことが、すきなんだって。
そう、伝えられた。
「イリス」
「ん?」
「……はつ恋って実らないって、聞いたことある」
「どうだかな」
「けど、イリス、あんたはおれの、そばにいてくれる」
「任務だからだ」
「それでもいい。今だけは、あんたが、おれの一番ちかくに、いてくれる、から」
損、なんて、思わないし、思いたくない。
「けど……けど、あんたは……きらいな人間の、そばにはいることは、しないだろう」
そういう人間だということは、イリスも分かっているし、部隊長も、女王も知っている。
だから、そうだな、とつぶやくしか、ない。
「だから、それで、それだけでいい」
それ以上、望まない。
望んだらきっと、傷つくだろうから。ルカも、イリスも。
傷つくより、傷つかないほうが、きっといい。
「望まないことに、慣れているから」
「……叶えたいと思ったこともないのか」
「どうせ、叶わない」
「それなのに、望むのか?」
「いままでは、何も望まなかった。けど、これはちがう」
ひとを好きになってしまったから。
それが、こんなに苦しくて、つらくて、それでも――どこか、満ち足りているなんて。
思いも、しなかった。
「壊れるより、ましだろう」
壊れた人間を連れまわすことは、イリスだっていやなはずだ。
ひとりごとのようなものだから、返事は期待しない。
「壊れたほうが楽なことも、あるがな」
そういう人間を、見てきたよ、と。
「……?」
イリスの身体が、わずかに強張る。
呼吸もすこしの間、止まったような。
直後ベッドから、音もさせずに立ち上がって、剣を持つ。
「イリス?」
「……あのひと」
ぼそり、と呟いた、その単語。
彼の顔を見上げる。
白銀の髪に、碧眼。
天の御使いにふさわしい、整いすぎた、顔。
「すこし、出てくる」
「どこにいくんだ?」
「……すぐ帰る」
剣を持ったまま、ルカを見下ろしもせずに、部屋を出ていった。
あのひと、と言った。
ゼノが言っていた、「あのひと」のことかもしれない。
きっと、そう。
思っているだけでいい。




