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リュナの王国  作者: イヲ
第四章・燎原の火
46/49

19

 ああ、まったくそのとおりだ。

 生きるために、生き残るために、非道だろうが邪道だろうが、殺した。

 躊躇して、動揺して、情けをかけていたら、イリスはもう、死んでいる。

 とっくの昔に。

 二十も、迎えられなかっただろう。


「……ったく、本当に、おまえは……分かったようなことをいう」


 その声は呆れたような、なにかに諦めたような、あわいのような声だった。

 ルカはイリスにしがみついたまま、腕を放すこともなく。


「おまえがどんな思いで俺のそばにいるのかは――分からねぇが。だがな、これだけは分かってくれ。おまえは、人間を殺してはいけない男だ。おまえの手は、弓を引く手だろう。生きるために、鹿や熊を狩って食ってるんだろう。それをむざむざ、食えもしない人間に弓を引くことは、ねぇよ」


 この血にまみれた手で、ルカを抱きしめ返すことはできない。

 できたら、よかったのだが。


「だいじょうぶだ」


 せめて、大丈夫だと言う。

 なにも心配はいらない、と。


「俺が負けない限り、おまえは生きる」


 言い聞かせるように。


「ルカ」


 背中にまわっていた腕が、力なくおりた。

 革の手袋をした手を握りしめた音を、聞く。


「行くぞ」

「……うん」

 

 やはり、出会ったばかりのときよりも、ルカの声がいとけなくなっているようだ。


 宿をとっている村に入ると、わずかな違和感を感じる。

 どこか、肌がひりつくような。

 それでも、心がうわつくような。


「……なんだ?」


 国教徒らしき男女、数十人が噴水のまわりに詰め寄っているようだった。

 さざなみのように、せわしない声が押し寄せてくる。


「まさか……」

「……そんなことが……」


 若い男と女がささやきあっている内容は、要領を得ない。

 混乱しているようだ。


「おい」


 イリスが背中をまるめてささやきあっている男女に、声をかける。

 びくりと肩をこわばらせた二人は、おそるおそる、イリスがいる後ろをふりかえった。


「なにかあったのか」

「……あれを、みてください」


 女の指が、噴水の上にある石像をさす。

 その像はもともと、国教徒が祈りをささげるものだが、イリスの目から見れば――あのレグルスの娘の言うように、まさに異形の形をしていた。

 人間のかたちを、たしかにしているのだが。

 顔が、ないのだ。

 顔の凹凸すらない。

 体つきも、男でも女でもないように見える。

 まるで、細い枝が頭、四肢を象ったようだ。


 その石像は、いつもは「純白」「潔白」を象徴する、ましろな色だ。

 だが、今は――黒く濁った色をしている。

 まるで、鉄がさびたような色だ。

 遠くから見れば、血にも見える。


「……なにかの、前触れでしょうか……」


 女が、ふと目を細めると、喉がひきつったような声をだした。

 ルカのおもてを見たからだ、と、女の視線をおわずとも、分かる。


「死に神……!」


 重たい声で叫んだ女は、ルカから逃げるように、男とともに人ごみのなかに消えた。

 それに気づいたのか、まわりの人間は、突き刺すような目でルカを睨む。

 

「お、お前のせいだ!」

「死に神だ! 死に神がいる!!」


 悪意のある言葉が飛び交う。

 かたくなった雪のかたまりが、イリスのうしろへ投げつけられる、のを見た。

 雪のかたまりが頭にでもぶつけられれば、けがをする。あたり所が悪ければ、命も落としかねない。


 そう考えたのは、イリスがルカの頭に投げられた雪を、剣でかち割ったあとだ。


 ばらばらと、たやすく雪くずが足元に落ちる。

 

 イリスは剣をもったまま、天の御使いのおもてをもって――しんと静まり返った国教徒を見据えた。

 その目は憎悪も、悪意も、または呆れも恨みも、なにもない。

 ただ、無感情に民衆を見ているだけだ。

 人間を見る目ではなく――木や草を見ているような、そんな目、を。


 手に剣をもったまま、ただそこに立っているだけで。

 みな、恐怖を覚えているようだった。

 身をよせあい、まるで未知のものを見るような目でイリスを見ている。

 なぜ、天の御使いのおもてを持つものが、剣など持っているのか。

 そして、なぜ死に神のおもてを持つものが、なにもしないのか。


「くだらない」


 ひとつ。

 吐き捨て、恐怖を隠しもしないその多くの視線を真っ向から受けてもなお、表情を崩さないイリスは、人ごみのなかに自ら入ってゆく。

 

「いくぞ」


 ルカの腕をつかみ、国教徒が身を寄せ合ったために勝手にできた道を、ただ歩いた。

 なにも言わないルカを、宿の部屋に押し込んだ。


「……イリス」


 ちいさな、子どものような声を背中で受ける。


「どうでも、いいんだがな」


 あの、石像のことは。

 どんなに汚れようと。

 それにどんな意味があろうと。

 関係のない、ことだ。


「どうする」

「……?」

「このままこの村を出てもいいし、出なくてもいい」

「イリス、怒ってる」

 

 ただ、くだらない、と。それだけ思った。

 神というものがいるのなら、なぜ同じではないのか。

 みな、神の傀儡として生きてはいないのか。

 なぜ思考や感情などという、面倒なものがあるのか。


「別に、怒ってるわけじゃない。だが……まあ、おまえが村をでる理由なんぞ、どこにもねぇか」


 ため息をつき、ベッドに座る。

 腰に佩いていた剣も、ベッドの上に乗せた。雪を斬っただけだから、手入れはしなくともいいだろう。

 ルカは置かれた剣をじっと見つめてから、イリスのとなりにすわった。


「どうした」

「うらやましい」


 ぽつり、と。

 ルカのくちびるから、思いもよらない言葉がつづられた。


「あんたの、剣が」

「どういうことだ?」

「大事なものなんだろう」


 肩に、かすかな重みを感じる。

 ルカの頭が、肩に乗っていた。イリスは好きにさせているが、その意味は、分かりすぎてしまった。


「無機物に嫉妬なんかするな」


 できるだけ、呆れたような声をだすようにつとめる。

 今のルカは、危うい。

 ひびの割れた、がらすのようなものだ。


「イリス」

「なんだ」

「あんたは、おれはそんなこと思わないし、言わない、と言った」


 茫漠とした、ことばで。

 無意識に、でたように。


「もう、むり、だ」


 こころが、あふれてしまう。

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