12
「ありがとうございます」
遅い朝食をとったあと、黒い髪の少女が頭を下げた。
アイラも、ミルナもいない。
イリスは少女を見もせずに「ああ」と、呟いた。
言わなくても分かっている、というように。
「ミルナ様を助けて頂いて。シオンたちが、連行されたと聞きました」
「別に、いい。世話になってる礼だ」
少女は深く頭をさげ、部屋を出ていった。
「絶対に守る、っていうことはできない」
「……?」
「相手が、多数で。俺が戦っても、手に余るときがある。その時、おまえを守ることができるか、分からない」
「……あんたは、そんなことを考えていたのか?」
「俺が何も考えないでおまえを連れていると思ってたのか」
イリスは不機嫌そうに行儀悪く足を組んだ。
彼は、ルカのことを信頼はしているが、取るに足らない存在なのかもしれない、と思っていた。
守られるにあたいする存在ではないのかもしれない、とも。
「だが、まあ……。俺は勝てねぇ戦はしない。そのへんの判断はできる」
「イリスでも、負けることがあるのか」
「おまえな。俺を不死身だとか、最強だとか、そういうもんだと思ってないだろうな。俺も、負ける時は負ける。逃げ果せれば、こっちのもんだ。生きていれば、そのうち勝つことができるかもしれない」
イリスの碧眼は、どこか遠くのほうをみていた。
まるで、「イリスが勝てなかった人間」をにらむように。
「部隊長には、一度も勝てなかったな」
ふいに、違和感を感じた。
イリスはつい先刻、「逃げ果せた」と言っていた。
けれど、その対象がシグリの部隊長だったなら、おかしい。
部隊長以外にも、勝てなかった人間がいるのだろう。
そうは思ったが、聞くことはできなかった。
食堂から部屋へ戻っても、窓から見えるのは未だつづく、吹雪だった。
だが、山の向こうはすこし明るい。
明日には、やむのかもしれない。
「オリアン領は、どういう領なんだ」
「閉鎖的だし、あまり情報は回ってきていないが、国教徒がおおいと聞いている」
明日出発することを見越しての質問なのか、イリスの問いに事務的に答える。
そうか、とだけ答えた彼は、ベッドの上に横になった。
「おそらく、だが。シオンの連中は、昨日の騒ぎを知って、魔術にありついたのかもしれない。その手がかりが、領主にあると思ったんだろうよ」
「……まだ、それに関するなにかを、領主は知っているというのか」
「まあ、こんな本を持っている時点で、知らぬ存ぜぬは通らねぇな」
ベッドの近くにある、机のほうを指さす。
この本は、いったい何なのか。
魔術に関するもので間違いないだろうけれど、中身は、意味の分からないものだったが。
「分かる」人間が見れば、分かるのだろうか。
領主が言うには、複製品だそうだが、いったい何の本の複製品なのだろうか。
――考えても、分からないものは仕方がない。
もしも分かったとしても、ろくな目にあわないだろう。
魔術、という言葉自体が王族やシグリだけしか知らない、というのだから。
「イリス?」
呼吸を忘れてしまったかのような静寂に、ルカはすこしだけ心配になって、ベッドの上のイリスを見下ろした。
彼は目を閉じて、薄い呼吸を繰り返している。
眠っているのだろう。
そっとしておこうとして、自分のベッドにすわった。
外を見ても吹雪いているだけで、いつもの景色だ。面白味も何もない。
そういえば。
いつも、何をしていたのだろう。
自分は。
友人と呼べるものも、親友と呼べるものもいなかった、ルカは。
いつも、何を。
こういう時間など、いくらでもあったはずだ。
吹雪の日など、狩りにも出かけられない。
雪の処理も、吹雪では意味などない。
本を。
本を、読んでいた気がする。
それでも、ずっと、ではない。
思いだせない。
自分が、何をしていたのか。
いつの間にか。
イリスがいることが、当たり前になっていたのかもしれない。
たった数日だ。
イリスと過ごしてきた日は。
セハカと過ごした、あの地獄のような日よりも、ずっと、一緒に過ごしてきた気さえ。
「そんなはず、ないのにな……」
ばかなことを。
自嘲する。
イリスも、ずっとそばにいるわけではない。
この旅が終わったら、イリスもイルマタルに戻るのだろう。
会うこともないかもしれない。
一生。
いやだ、と。
思う。
傍にいたい、と。そうおもう。
たとえどれだけ否定されようとも、どれだけ辛辣な言葉を投げつけられたとしても。
これを。
おそらく、執着、というのだろう。
その日の夜、ミルナに食堂にくるように、と言われた。
食堂には、ミルナひとりだけがいた。
アイラも、あの少女もいない。
表情は険しい。
「待ってたわ」
緊張した声色で、座るようにうながす。
「あなたたち、何を知っているの」
鋭い視線で、ふたりに詰め寄る。
「何を、って、別に何も知らねぇな。お前のほうが知ってるんじゃないのか」
「私は、昨日のことを洗いざらい吐けって言われたわ。クロノ様は何か、ご存知のようだったけれど」
「……なるほどな。だが、そうだったとしても俺らに言えることはない」
イリスは、嘘などついている様子はなかった。
ルカにとっても、彼が言っていることが真実なのだから。
けれど、彼女にとって納得のいく返答ではなかった。
「言えることはないって、なに? 逆に言えば、あるってことよね」
「そのままの意味だ。知りたいなら、領主に聞け。俺たちは何も知らない」
「――そう。わかった。あなたの言うことを信じる」
ミルナは疲れたような表情をして、スプーンでスープを掬った。




