7
昼に近い時間帯になった。外は吹雪いてはおらず、静かだった。
セハカは顔を出さず、おそらくルカの出立に立ち会わないつもりなのだろう。
居間では、イリスはソファに座り、ルカは昨日と同じように部屋の隅に座っている。
イリスはもう、何も語らない。
ただ、ぼうっと何かを見つめている。
すこし、居心地が悪い。
ルカは肩をすこしだけ上げて、カーペットを見おろした。
ショックではなかった、といえばうそになる。
ヤナは、優しかった。
姉のようだった。
けれどそれは、ルカを殺すための芝居だったのだと知った。
知らなければよかった。
なにも。
知らずに、殺されれば。
殺した相手が誰かも分からず死ねればよかった。
そのほうが、よっぽど納得できた。
ふいに、扉を開ける音が聞こえた。
鍵がかかっていたはずだ。
ルカが立ち上がろうとしたが、イリスが手で制した。
誰だろうか。
セハカ、ヤナではないことは確かだ。
「ルカ」
イリスが、玄関から顔を出す。
ちらり、と灯りの反射で輝くものをみた。
「――久しぶりね。セヴェリ・ルカ・エクロス」
「あんたは……」
髪の色は白銀。
目は藤の色。
身を鎧で覆った、女。
あの日、女王と共にいた女だった。
「名乗ってなかった。わたしはハンネ。ハンネ・イレ・カレヴァ。女王、ハルユ様の妹」
「……シグリなのか? あんたは」
あんた、と言ってしまったことに今更後悔する。
だが、ハンネは何事もなかったかのように頭を振った。
白銀の長い髪を後ろできつく詰めた彼女は、うっすらと赤いくちびるを開く。
「ちがう。わたしは騎士団の副団長。シグリじゃない」
「騎士団副団長……」
「堅苦しいのは苦手。あんた、でいい。そのほうがわたしも楽。イリス。対象はどこ?」
「廊下でくたばってる。最も、生きてるかどうか、いるかどうかは分からんがな」
「どういうことだ? さっき、気を失ってるだけだって」
ヤナが気を失って、おおよそ1時間がたった。
考えれば、静かすぎる。
彼女がずっと気を失っているはずもない。
気づけば、廊下へ出ていた。
だが――ヤナはいなかった。
ただ、彼女がいる場所に血だまりがにじんでいる。
「……ヤナ」
「しくじったね、イリス」
「別に、あの女が重要な情報を持ってるとは思えなかったが」
「誰が、ヤナを」
呻くように呟いたルカを、ハンネはそっと見つめた。
「シオンだろうね。仲間割れすることなんて、シオンではよくあること」
「じゃ、あとは頼む。俺たちはもう行く」
「――了解。セハカの動向も注視しておく」
「ああ」
短い逢瀬だった、と思う。
いや、最初からそういうつもりだったのかもしれない。
セハカはとうとう姿を見せなかった。
まるで、なにかを恐れるように。
「ここからは、何があるか分からない。……これを持っていろ」
「……これは、ヤナが持っていた……」
「銃だ。シオンが独自に開発していた、遠距離型の武器。おまえの弓の腕前なら、これも使いこなせるだろ」
「おれは弓矢だけでいい。ずっと、これを使って生きてきた。ほかの武器を使う気はない」
「そうか。分かった。ハンネに預けておく」
イリスは一度、玄関に戻ってハンネに渡したようだ。
言葉を交わすこともなく帰ってきたのか、数分もかからず、戻ってきた。
「道はおまえに任せる。どこに行けばいい?」
「エクロス大陸のもっと北。ネア領という場所だったと思う」
「了解した」
「ネア領の領主は、セハカの被害者だ。たぶん、よくしてくれる」
「そうか……まあ、そこが安全かどうかは分からないがな。おそらくシオンの連中が向かっているはずだ。セハカとシオンが本当に通じているなら」
「……そう、だな」
ルカはそのまま口を閉じて、ネア領へ向かうために、北へと向かった。
言葉は少ない。
ネア領までは、歩いて最低2日はかかる。
そこまで、なにも(必要なことしか)言葉を交わさないというのは、心理的によくない。
「イリス」
ルカの斜め後ろに控えるように歩いていたイリスの名を呼んだのは、家を出てから2時間たってからだった。
「なんだ?」
「――そんな薄着で、寒くないのか」
「別に、もう慣れた」
「慣れるものなのか?」
「ああ、慣れは大切だ。慣れれば、平常心が保たれる」
エクロス大陸の寒さは厳しい。
ルカとて、あまり慣れないというのに、この男はすでに慣れたという。
本当かどうかは分からないが、そんなくだらない嘘をつく男ではないだろう。
それくらいは分かる。
「なら、ネア領に行っても大丈夫そうだな。あそこは、ここよりも寒さが厳しい」
「そうか」
一面の白い世界。
見えるところはみな、白い。白く、銀色に輝いている。
穢れのない、というだろう。
だが、この雪の下は黒ずんだ土が横たわっている。
見たことはないが、そういうものだとルカは思っていた。
あるいは、幼い頃に本で見たのかもしれない。
空想物語か、あるいは図鑑のようなものだったかもしれなかった。
ルカは、あまり昔のことは覚えていない。
必要のないものだと思っているからだ。
かちゃ、と、腰に下げている矢筒が鳴った。
イリスは、相変わらず斜め後ろに控えるように歩いていた。




