5
風が吹いている。だが、雪は運んでこない。
ルカは、ひとり自室の隅にすわっていた。
イリスに掴まれた腕が、凍えるように冷たい。
体中の蚯蚓腫れが痛んだ。
何故分かったのだろうか。いや、自分がいけないのだ、とも思う。
自らの罪をさらけ出すようなことを言ってしまったからだ。
ルカは今まで、セハカのことを父親だと思ったことはなかった。
イルマタルの近くの領地で、領主とその娘が殺されたと聞いた。
口が軽いとある男が、「あの男と娘は、領民からの税金をすべて、自分のために使っていたから、殺されて当たり前だ」と言っていた。
だが、それだけで女王から勅令がおりたというのならば、セハカも殺されるべきだ。
そうでなければ「平和」ではない。決して。
そっと立ち上がる。
そのまま、ベッドのなかに入り込んだ。
服越しとはいえ、シーツに体が擦れて痛む。
「……あなたは神様を信じるかしら?」
「――分からない」
「そう。いい答えね」
氷の丘で、氷と同じような髪の色をした女が笑った。
となりに、目を覆う仮面をつけた男と、銀髪をきつく後ろに束ね、鎧を身にまとった女がとなりに控えている。
ルカは、この三人が誰かは知らないが、余裕のある表情を見、おそらくセハカより地位のある人間なのだと感づいた。
「私は信じているけれど、誰もそれを強要できないわ。だって、思想は自由だもの」
「………」
「――あら、どうしたの。その手。見せてくれる?」
真ん中の女が半ば無理やり、ルカの手首をつかんだ。
じっと、背の高い男がその行為を見下ろしている。
「ひどい蚯蚓腫れ。どうしたの? まるで鞭で打たれたみたいな傷跡」
「べつに……」
「ねえ、あなた。この国は、平和だと思うかしら」
「思わない。少なくとも、おれは」
ちら、と鎧で体を覆った女がルカを見たが、なにも言うことはなかった。
白い髪をした女は、ほほえみを浮かべたまま、「それはなぜかしら」とルカに続きをうながす。
「……もし本当に平和なら、誰も苦しまない」
「そうね、そのとおりだわ。真に平和なら、誰も苦しまないわね。けど、この国には、残念ながらまだ苦しんでる人がたくさんいる」
「――あんたは、誰なんだ」
「この国を憂う一人、とだけ言っておくわ」
白い髪の毛をした女は、男女を引き連れてその場から消えた。
目を開ける。
この日のことは、夢のなかのことだったのではないか、と思ったこともあった。
だが、ある日手紙が来た。
封筒には、送り主の名前は書いていなかった。
だが、なかの手紙の最後に「ハルユ・イレ・カレヴァ」と書かれていた。
この国に住むものなら、誰でも知っているカレヴァ王国の女王の名だ。
その時、夢ではなかったのだと知った。
手紙の内容は、「あなたを助けてあげる。シグリを覚えていて。」そう書かれていた。
そして読んだらすぐにこの手紙を燃やすように、とも。
その手紙が来ておおよそ二か月後に、シグリであるイリスがエクロスに来たのだ。
手紙だけではいたずらかと思ったが、イリスがきたということは、あれは本物の手紙で、あの女は本物の女王だった。
ずいぶん、無礼な言葉をかけた気がするが。
窓から、白い光が差してきた。
もう朝なのだろう。
エクロスの民の朝は早い。
ヤナはもう起きて、朝食を作っているだろう。
ルカもベッドから起き上がり、あまり眠った気にならない頭を振った。
「神さま……か」
いまも分からない。
いるのか、いないのか。
けれど、カレヴァ王国の人びとのほとんどが神を信じている信奉者がおおい。
ルカにとっては今は、どうでもいいことだが。
着替え終えると、客室という名の座敷牢へ向かう。
一見、客室にも見えるが、あの部屋は内側からは開かない設計になっている。
そのため、裏では「座敷牢」と言われていた。
「イリス」
扉の前で声をかける。
だが、返事はなかった。
まだ寝ているのかもしれないが、ドアを開ける。そこに、違和感があった。異様に、軽いのだ。ドアを引くときの力が。
半開きの扉を、そのまますべて開け放つ。
イリスは、ベッドの上に座って剣の手入れをしているようだった。
こちらを向くこともなく。
「ルカか。ドアなら、壊しておいた。この部屋はいろいろ物騒のようだからな」
「……分かっていたのか。この部屋が、座敷牢だということに」
「なるほど、座敷牢か。牢、というには少し脆かったな」
こともなげに呟くイリスは、そこでようやく手入れをしていた手を止めた。
そして、碧眼の瞳をルカに向ける。
「ルカ。いつ出る。昨日も言ったが、出来れば早い方がいい」
「今日にでも」
「了解した。じゃ、昼には出るぞ。それまでに準備しておけ」
「……分かった」
イリスは殆ど、必要な事しか話さない。
別に、ルカとておしゃべりなほうではないが、これから長い旅になるため、となりに居づらくなることは避けたかった。
「あんたは、いいのか」
「何がだ」
「荷物、それだけで」
「十分だ。俺はいつもこれだけだからな」
「そうか……」
ルカは、イリスが立ち上がるのを待ち、共に朝食をとるために廊下に出た。
部屋に入るまで、どちらとも言葉をかわすことはなかった。




