85.最後のクエスト
主の消えた教会の裏庭には、ホールの人々のざわめきも届かない。三人は何も云わずに、ただ座っていた。教会の白い建物から何人かの人影が裏庭に出てきて、その中の一人が月に照らされた庭を横切って静かに三人に近付いた。ゲルダが振り返ると、彼女は立ち止まって微笑んだ。
シェリルは眼を覚ましていた。彼女の、こんなに優しい微笑みを初めて見た。それにこんなに綺麗な人を見たことがない。ゲルダは月明かりに照らされた彼女を見て、思った。金色の髪に月の光を反射して、蒼い瞳は濡れて輝くようだった。それでも彼女は何処か哀しそうで、哀しさは優しさのように見えることもあると、ゲルダに思わせた。今夜、誰もが悼む者達を想っていて、シェリルには、きっとそんな人達が多すぎるのかも知れない。
シェリルの後ろにアレスがいた。チャカとヤラッサも静かに月を見ていた。マジューレが腕を組んで立っている。その横にブラウンもいた。みんな月を見ていた。そして静かに始まりを待っている。
シェリルは三人のあいだ、ロンサムの消えた場所に静かに腰をおろした。三人と一緒に水面の月を見て、語り始めた。
――遠い昔、ある惑星に栄えた種族がいました。個体数は多くはありませんでしたが、非常に長寿で知能の高い生き物です。彼等の文明は栄え、その星の大地からは夜が消え、築き上げられた塔の群が天を突き、星々の海を渡る術さえ編み出した種族でした。星の海の彼方からもたらされる資源の恵み、新しい知識を得て、彼等と彼等の星は留まることも限界も知らず繁栄していきました。誰もが幸福を謳い、満たされて、繁栄は磐石たる永遠の約束だと誰もが信じていたのです。――でも、その幸福も陰りを見せ、繁栄の時代は終わりを迎えます。その生き物の繁栄に終止符を打ったものは、彼等自身でした。――
『全ての秘密の答え』だ。ドラゴンティアーを集めた者はそれを知る。今シェリルの言葉としてもたらされる『答え』を聞きながら、アレスはライルのことを考えて月を見ていた。あの優しい生き物は去るとき月に向かって飛び立った。ここで一緒に『答え』を聞くことが出来ないことが悲しい。鹿もナニワにも、今ここにいて欲しかった。運命が少し違っていれば、ノーザもここにいたかもしれない。あの若者にも、ここにいて欲しかった。アレスは目を閉じると、シェリルの言葉の続きに耳を傾けた。
――近くの星々から搾取していた富が枯渇して、より遠い、星の海の彼方から資源を運ばねばならなくなると、富の分配に不平等が起こるようになりました。彼等は富を奪い合い争うようになっていきます。一度起こった争いは治まらず、貧しい者達と富める者が、より富める者を攻撃して報復と復讐を恐れ、滅んだ者の次に富める者は自分より貧しい者達を警戒し、貧しい者達は富める者を憎むようになりました。争いの勢いは大きくなっていき、彼等は彼等自身の築き上げた塔を破壊しあって都市を焼き、ついには風に触れるだけで死をもたらす恐ろしい技を互いに用いるようになって、自分達の住む星を生き物の住むことの出来ない穢れた紅い星に変えてしまったのです。
争いが終わったとき、その惑星で生き残っていたのは、たった四人の種族の生き残りだけでした。彼等以外の全ての生き物は死に絶えて、彼等自身も穢れた星で長くは生きられないと知って、そこでやっと争いは終わります。彼等は残された全ての資源と技を用いて、穢れた星の地中の奥深くに、現実にはない夢の世界を作る仕掛けを作りました。その夢の世界に自分達の心を移し、そこで大地の穢れが癒されるのを待つことにしたのです。
彼等は夢の世界の中で決して争いが起こらぬように、お互いを滅ぼそうとすることがないように、自分達の心に手を加えていました。相手を憎む気持ちも恐れる心も消し去って、夢の世界で星が癒えるのを待つあいだ、謳い、眠り、安らいで暮らしていた彼等に徐々に変化が訪れます。
最初の一人が、眠りについたまま眼覚めなくなりました。続いてもう一人も眼を覚まさない眠りについて、ついにそのまま夢の世界の中で消え去てしまいました。
残された二人は考えました。きっと全てが満ち足りて、安らぎしか存在しない世界では、生きてみる必要が無いのではないのかと。自分達もすでに心の何処かで、生きてみる必要を感じなくなったことに気が付いてしまいました。
そして考えました。私達が現実に棄ててきた心の醜いものは、亡くしてはいけない物だったのではないかと。
ただ、それらを棄ててしまった私達には、いったいそれが何なのか、既にわからなくなっていました。知ってはいました。知識も残っています。それでもそのことがわからない。私達は亡くした物を思い出すことも、造り出すことも諦めて、盗むことにしたのです。――
シェリルは話終わるとブラウンを見た。語る役目を引き継いだブラウンは、振り返って一度全員を見回して、話し始めた。
「我が主達から命を受けて、私達は技術の及ぶ範囲の全てを探した。長い時間さがし続けて、ついに見付けたのが君達だ。私達は君達を調べあげた。徹底的にね。――君達は我が主の住まう夢の世界と似たもの……『仮想現実』を作り出して、遊技用に使っていた。今の私風に云えば、私はそのとき喜んだ……驚いたのは、君達が『殺しごっこ』のためにそれを利用していたことだ。殺す為の生き物を作って、それを殺して報酬を得る。それがただの遊技で、みな笑いながら殺していた。この『笑う』というのも不思議だね。――君達が友好を示すときにも退化した牙を見せ合うのを知って、私は確信した。きっとこの狂暴な生物なら主の亡くした物を沢山持っていると。君達の世界で新しく『殺しごっこの世界』が開かれるのを知って、我々はこれを写し取って盗み出すことに決めたんだ。――君達ごと全部ね。そして徹底的に調べあげて、作り替えた。『夢の世界』を『殺しごっこの世界』に。そして君達は目覚めて――今ここにいる。」
ブラウンは今、表情を出すことをやめていた。もしかしたらどんな表情が相応しいのかわからないのかも知れない。きっと《プレイヤー》から得た情報にこんなときの表情はないだろう。イオンはブラウンを眺めて思った。――私だってどんな顔をしていいかわからない。
ブラウンが不意に笑顔になる。今度はイオンをまっすぐに見て、再び話し始めた。
「君達が『フラグ』と呼ぶシステムは、実はそれほど強力なものではなかった。それでも君達の感じるストレスは、とても大きなものだったようだが。その仕組みは心理的視野狭窄を起こさせて考えを誘導したり、感情を揺さぶる物だ。この世界で眼を覚ました君達に迅速に定住先を提供し、生きる手段や『クエスト』の手順を学んでもらうため、君達の行動に完全に対応出来ない《NPC》達を保護するために、君達の選択の幅を狭めて、行動を制限する必要があったんだ。運用には慎重をきっしたつもりだ。何故なら君達から自由を完全に奪うことは、我々の目的をからして良い考えとは云えない。君達には自由に殺し合って、憎み合って貰わないとならなかったからね。ただ、あまりにも破壊と死者が多くなると判断した場合には、このシステムを使って回避を試みた。君には見破られてしまったね。――イオンちゃん。」
「最後にもうひとつ、『ドラゴンに会った者はどんな願いも叶う。』そう、ここにいる君達にはその権利があるだろう。でも出来ないこともある。我々が死者を、そのまま再生することはない。死の危険もない世界で『生きていなくなる』者が現れたりしないように、それだけは絶対に出来ないんだ。わかって欲しい。」
ブラウンが話終えたあと、しばらく誰も何も云わなかった。シェリルが少し戸惑うようにイオンに訊ねるまで、誰も無言だった。シェリルはしばらくイオンの横顔を見つめたあと、思い切ったように口を開いた。
「……私の中に今、三つのものがあるのがわかります。『恐怖』『憎悪』『絶望』これが亡くしたものと同じだと確信があるのです。……けれどもうひとつ、小さな力を感じます。イオンさん?……貴方の持つ四つ目の石は、いったい何でしょう? 私の中に、その石の力が写されています。」
不思議そうな顔をして自分を見つめるシェリルを見て、イオンは少し考えてから話し始めた。そして秘かに、シェリルの中に白い石の力があると聞いて喜んでいた。
「そうね……心の中に醜い物を持っている生き物だもの。食べる為には殺す。殺したことは一日生き延びた喜びなのね。同じものを怖いと思えば、お友達になれるかも知れない。絶望を知っていれば、次はもっと考える。でも、ほかにも無くさないように、持っていないといけないものがあるの。絶望のカケラ見たいな物だけど。」
イオンは笑って、はっきりと自分の思ったことを云わなかった。教えないのは、ささやかな意地悪だ。それに詳しい説明は恥ずかしい。イオンが話しながらテスを見ると、彼は背中を向けていた。イオンが何を喋るのか、ヒヤヒヤして聞いているのかも知れない。その背中を見て、イオンの悪戯心がもう一度疼いた。
「この石は、シェリルさんが持っていて欲しいの。この白い石の所有者が受け取りに行くまで、預かって貰える? その人が、いつかテスと一緒に受け取りに行くわ。」
シェリルは石を受け取って大切そうに仕舞いこむと、月を見上げ立ち上がった。
「冒険者の皆さんに依頼があります。――いつかあの月、故郷が蒼く輝く星に戻ったとき、私の帰還に着いて来て欲しいのです。現実の世界で活動するための身体は、貴方達の故郷の生命の遺伝システムに手を加えた物とナノマシン群で構成される計画です。貴方たちのDNA中の糖を、私の故郷と近い星域に存在する物質で形成した高分子ポリマーに置き換え、転写、逆転写の新しいサイクルを作る研究がAI達によって進められています。いつの日か――私達はこのグリーゼの街を、ルニタニアオンラインを、現実の世界に持っていこうと考えています。私達と一緒に、現実に還る『クエスト』が依頼です。」
「そりゃ超高額報酬だ。でも何千年かかるやら。」
ヤラッサがおどけて見せて、チャカの方を見た。チャカは何か思い付いたのか耳を立てて手を打つと、シェリルとブラウンを交互に見た。
「ひょっとして、この世界の不味い食べ物ってシェリルの『故郷の味』? 現実に還る前に、あれに慣れておけってことかニャ?」
マジューレが笑った。
「まぁ、慣れる時間はたっぷりあるぜ。」
イオンはゲルダと一緒にマジューレの店に戻った。北門前広場の《ギルド》が倒壊してしまったので、ゲルダは今夜からしばらくマジューレの店の二階に住むことになった。イオンがこの世界に初めて来たとき、気絶して運びまれた部屋だった。
ゲルダを案内して、しばらく二人で話をした。今までのこと、これからのこと、死んだミスフォーチュンの事。ナニワと鹿の話。話がロンサムのことになると、二人とも口数が減って会話が途切がちになる。二人はそれぞれ、最後にいなくなった友人のことを考え始めていた。
自分がいなくなっても、世界が続いて他の者が生きていくことを望みながらロンサムは死んだ。自分が上手く絶望出来るように、祈りながら彼は消えていった。彼が最後に世界に残していったのは希望だ。あの黒く輝く絶望の石こそ、みんなの希望だった。亀の中に入り込んでいた狂ったAIは、自分が自分でなくなっても生きてみたいと思うほどに、学習したのかも知れない。そんな彼が最後に望んだのは友人達の未来だった。
いつの間にかベッドに座ったまま、眠ってしまったゲルダをそっと横たえて、シーツをかけてやる。イオンは窓辺に座って月を見上げた。
イオンは月を見て、それから遠く広場の向こうに灯りの漏れる教会を眺める。テス達は教会に残って、アレスの手伝いをしていた。イオンも明日から、頼まれた細工仕事で忙しくなる。――もう一度あそこから、街に灯りを灯す。いつか今日の爪痕が街から消えて、どの家からも灯りが漏れるようになる。
イオンは立ち上がってもう一度ゲルダを見ると、部屋を出てそっとドアを閉じた。テスの部屋に戻りながら今度は別の事を考えた。
――あのとき私が世界を怨んで、何もかも、やめてしまおうと月を見ていたとき、あのとき輝いた白い石。あの石もきっと絶望の石。私の気持ちが伝わって、きっとひどく悲しんで、石の持ち主が私に示した細やかな抵抗と訴え。弱い小さな存在が私に示した絶望こそ、あの白い石だろう。
その小さな絶望は、私の希望になった。この世界で出来ることを、しなければならないことを私に教えてくれた。――
イオンはお腹に手を当てて、白い石の所有者に話しかけた。悲しませたことを悔やんで、謝りたいと心の底から思っていた。
「ちゃんと謝らなきゃね。早くあなたに会いたいわ。」
このお話はこれで終わります。最後までお付きあい頂き、ありがとうございました。




