71.笑顔
「なんだぁ? いったいどうしたんだ?」
マジューレは、必死な様子で自分の袖口をくわえて引っ張る鹿に驚いて声をかけた。ついさっきまで、作業場の隅にしつらえてやった寝床で眠っていた筈だ。それが急に起き出すと、駆け寄って袖口を引っ張りだす。どうやら自分を店の方に連れて行きたいらしい。
「店か? 客は誰も……」
作業場を出て店に入ると、カウンターの上で鉢植えのキノコが微かに光っている。駆け寄った鹿が、カウンターの側面を蹄で引っ掻く。どうやらこれを知らせたかったらしい。鹿は後ろ足を折って軽く跳び上がってカウンターの上に乗ると、植木鉢をマジューレの方に頭で押し始めた。
「おいおい落とすなよ。」
マジューレが思わず駆け寄って慌てて植木鉢を持ち上げると、今度は鹿は店の外に飛び出して、戸口からマジューレの顔を覗きこむようにして頭だけを見せている。
「ひょっとして、これを持って着いて来いってことか?」
鹿が頷いた。
どうやら鹿は、すぐ近くのブラウンの万屋に向かっているらしい。大した距離ではないが鹿はマジューレの前を走って先を急いでるようだ。途中で度々振り返り、マジューレを見つめて急す。
鹿とマジューレがよろず屋の戸口をくぐると、ブラウンは小さな机の前の椅子に腰掛けて、手をだらりと力なく下に下ろして無表情に前を見つめていた。――壊れたか?マジューレは彼の異様な様子に不安を感じて、恐る恐る店の奥に進んで彼に近寄ってみた。急にブラウンが動いた。
「いや、失礼。ちょっと手が離せなくてね。」
「おう……いや、お邪魔するぜ。」
「来てくれて助かった。実は今、この世界は別のシステムから攻撃を受けている。ちょっとそのフェアリーに助けて欲しくてね、鹿君にコンタクトを取ったんだ。」
ブラウンが指差すと、マジューレの手の中の植木鉢の上に小さな人影が現れた。――これがイオンの云ってたフェアリーか。マジューレがそっと植木鉢を机の上に置くと、小さな人影はマジューレを見て何かを云ったようだった。どうやら礼を云われたらしい。
ブラウンとフェアリーと鹿は小さな机を挟んで見つめあったまま、動かない。鹿も尻尾さえ動かさないまま、完全に停止してしまった。店に入ったときに見たブラウンと同じだ。
こいつらは今、身体も表情も動かすことを忘れて何かに専念しているらしい。マジューレは一人、置いてきぼりのような気分を味わいながら二人と一匹を見ていた。しばらくして、鹿が急に動き出して大きく跳ねると、そのまま店を駆け出して行った。思わず振り返って、あとを追おうとしたマジューレにブラウンが声をかけた。
「いや、驚かせてすまない。鹿君には北門の方に行ってもらったんだ。テス君達を探しにね。我々に出来ないことを頼みたいんだ。」
「いったい何が起きたんだ? 攻撃ってなんだ?」
「『亀裂』だ。論理矛盾による崩壊が、限界まで進んでいるのかも知れない。最後の悪足掻きに出たようでね……この世界のモンスターのデータを書き換えようとしてるらしい。今経路を突き止めているところだ。モンスターの発生も停止した。」
「じゃあもう平気なのか?」
「既に変わってしまったモンスターの処分が必用だが……自殺指令を受け付けないようだ。」
「……変わるって何に? 危険なのか?」
ブラウンとフェアリーがまた動かなくなった。今度はただ、説明することを躊躇したためらしい。
「……『西風のライル』滅んだ世界のドラゴンだ。」
「なんだと! おい! みんなは無事なのか?」
マジューレは思わず叫んだ。そしてその叫び声に笑顔で応えて、微笑んだまま説明を始めるブラウンを見て、笑顔の使い方を間違えて覚えてるんじゃないかと考えた。それともまさかドラゴンが現れたことが嬉しいのか。
「書き換えられたのは、街の周辺の『ホーンラビット』のようだ。これをベースにドラゴンを転写するのは不可能だが……ふむ、個体差が大きいな。」
「……殺せるのか? 強いのか?」
睨み付けるような顔をして笑顔の《NPC》を見ているのが自分でもわかった。こいつらはきっと俺に何かを隠してやがる。全部話すつもりはないらしい。予感のようなものをマジューレは感じた。
「ほとんどが、生存に的さない変異を起こして自壊した。動ける物の性能は差が大きい。戦闘力の有りそうなのは二〇〇体ほどだな。《プレイヤー》に対して敵対行動をとるかは不明だ。」
マジューレは腕を組んで唸った。このまま放置しておけば、街から出ている者達に被害が出るかも知れない。もしもそのウサギだかドラゴンだかが凶暴な物なら、狩場にいる者達が帰って来るまでになんとかしなければならない。しかし……
だがもし《プレイヤー》達が一斉に掃討を始めれば或いは……
「……ドロップアイテムは弄れるのか?」
「こちらでデータを書き換えることが出来ないんだ……死んだ場所にアイテムを生成することは可能だな。」
「レアだ。レアな材料を落とすようにしとけ! ドラゴンレザーとかミスリル鉱石とか……なんかあるだろ?」
そう云ってマジューレが歯を見せてニヤリと笑うと、ブラウンも同じ顔をした。この顔は正解だ。信用してもいい顔だな。
「なるほどね。獲物の奪い合いになるね。」
「もって二時間だろうよ。」
マジューレは自信満々で断言した。




