69.異変の兆し
「思ったより慣れるの早かったな。」
テスは、青い顔でサンドイッチを口に運ぶミスフォーチュンに声をかけた。
昼近くになって四人は一度休憩を挟むことになり、小高い丘の上で昼食をとっていた。
「お陰様で……」
ひきつった笑みを浮かべながら答える声は、まだ元気がない。青ざめて疲れた顔をしているが、イオンとゲルダのにぎやかなお喋りの様子を見ている眼は穏やかだった。不意にその表情が揺らいで、何かを思い切った顔になる。ミスフォーチュンは、テスに向き直るともう一度口を開いた。
「イオンさんもゲルダさんも『新人さん』なんですか?」
「ああそうだよ。……たぶん最後の。」
彼はゲルダのことを《プレイヤー》だと思っているようだった。テスは質問に答えながらゲルダを見て、思った。《プレイヤー》のようにも思える。――でも違う。《NPC》達とも少し違うように感じる。もしかしたら、これからも学習によって変わっていくのかも知れない。どちらにしろ、ゲルダのことを説明するのは難しいと考えて、本当のことは云わなかった。
「僕も『新人さん』なんです。何故か遅れてログインして、スラムにしか住む場所も無くて。……スラムには『新人さん』が何人か居たんです。殺された人も多いけど、僕はヒーラーだからって、殺されずに済んだんです。」
ミスフォーチュンはもう一度テスを見た。
「『新人さん』が一度死んだ《プレイヤー》だと云う噂は聞いたことが有りますか?」
「……たぶん本当だろうね。俺は、イオンは死んだ友達と同じ人物だと思ってる。」
これも本当の事の説明は難しい。それにAIから聞いたという話を、そのまま説明する気にもなれなかった。
「そのせいかも知れません。『新人さん』は戦えない人が多いんです。」
テスも、似たようなことを考えたことがあった。そういえばイオンも前世(?)に比べて随分怖がりになっている。昔はチャカと一緒に賞金稼ぎのようなこともしていたし、狩りもこなしていた。
もしかしたら一度死んだ《プレイヤー》達は、あまり危険な目にあわないように精神的なリミッターが設定されるのかも知れない。仮にそんな物があったとしても、今のイオンをみる限り乗り越えられない障害では無いようにも思える。彼女はウサギを狩ることに、大分慣れてきていた。
「ま、それでも君の先輩達はなんとか殺ってるみたいだぜ。がんばんな。」
「ハイッ」
イオンとゲルダは、食べ終わってもまだ喋っている。膝のパンくずを払い落としながら、笑うゲルダ。白い手がサンドイッチの包みを丁寧に畳んで、インベントリにしまいこむ。イオンの悪ふざけに笑う姿はからは、戦っているあいだの印象は嘘のようだ。それにしてもいったいどれだけ喋ることが有るのだろう。そう思って眺めていると、その笑顔が不意に振り向いてミスフォーチュンを見た。
「食べ終った? じゃあ午後も頑張りましょうね。」
そう云って笑う彼女の眼は、既に紅い輝きを宿していた。ミスフォーチュンの笑顔が凍りついた。
午後になると、街道に人影も少なくなる。ミスフォーチュンは、どうにかウサギを一人で狩れるようになりそうだ。相変わらずゲルダが手負いのウサギを担いで彼の近くに運んできているが、徐々にいきのいい(?)獲物に変えていっている。そんな二人を他所にイオンは朝から黙々と、狩りを続けていた。テスが不思議に思いながら眺めていると、彼女は手を止めてメインメニューからウィンドウを開いて何か操作を始めた。頭の中で考えるだけで出来るはずなのに、操作するときに手も一緒に動かすのでわかりやすい。小さな紙片を取り出して何かと比べているようだ。
「揃ったわ! 新しい服の材料!」
――ああ、そうか。もう狩りの恐怖より、物欲が強いのか。立派な冒険者になったな。ある意味で。
「あんまり北側と変わんないなぁ。」
そう云ってヤラッサは大きな欠伸をした。彼とチャカは、街の東門を出入りする《プレイヤー》達を朝から眺めていた。『観察』だ。昨日アレスに緊急の依頼だと云われ、ほとんど無理矢理引き受けさせられた。《プレイヤー》達を観察して、変わった振る舞いをする者を探しだすという退屈な依頼だ。ヤラッサとチャカが街の東門を見張り、北門にはテス達のパーティーが一日張り付くらしい。ナニワとミスビリーフは東門周辺の市街地を見回っている。
東門周辺は《ギルド》のある北側と比べて人の出入りは極端に少ない。この辺りはもともとPK達の縄張りだったので、ヤラッサもチャカもこれまで来たことがなかった。たまに夕方近くになって街に戻ってきた《プレイヤー》達が彼等とすれ違う。門のすぐ外で、気まぐれに近くまで寄ってきたウサギ達を切り刻みながら、彼らを眺める。
「これじゃあ朝と夕方だけ見張れば充分だな。」
「明日はトランプ持ってくるニャ。」
「一応依頼なんだから、真面目にやれって……ポーカー出来るか?」
そう云いながら、ヤラッサはもう一度欠伸をした。チャカならほどほどにカモれそうだ。
チャカが地面の石を蹴った。近くのウサギを狙ったらしい。チャカに横顔を見せて、頬をしきりに動かしているウサギは石にもチャカにも反応しない。モンスター達のAIは、それほど賢くはない。石は外れてウサギの頭上を飛んでいく。
「外れたニャ。」
云いながら剣を抜くチャカとウサギを、何とはなしに、見るともなく眺めていたヤラッサは、一瞬ウサギの頭上の、石の飛んでいった辺りで何かが動いたような気がした。もう一度見てみる。――気のせいだろうか? 特に何も変わったことはない。
「そろそろ帰るか。」
ヤラッサは腕をあげて大きく体を伸ばすと、チャカに声をかけた。
「ニャ。」
振り上げた剣を背中の鞘に納めてヤラッサを振り返る豹人には、もうウサギのことも眼中になかった。この退屈な時間から解放されることが何よりだ。
命拾いしたウサギが跳び跳ねて離れて行く後ろ姿を、チャカもヤラッサも気にも止めなかった。
二人の獣人が立ち去ったあと、ウサギは無作為な方向転換と跳躍を繰り返して、少しずつ街から遠ざかって行く。
その後ろ脚の跳躍の筋肉の動きに揺すられて、かろうじて上に乗っていた体毛が小さな塊になって剥がれ落ちる。塊が風に撫でられて、ばらばらになりながら転がって行くのを踏みつけて、ウサギのAIは何の反応も示さない。AIは現在制御中の外装に何の異常も発見できなかった。
体毛を失った黒い皮膚の金属の光沢は、この世界のどんなモンスター達とも違う、無機質の冷たい輝きだ。左眼の涙腺の近くに、肉が同じ色と光沢の瘤をつくって膨れ上がらせ、その中心線に深い皺が刻まれて溝を作り出す。溝の中の濡れた輝きが、線のように反射して見えるのは新しい眼と瞼だろう。ウサギは別の何かに変わろうとしていた。
背中の滑らかな毛の光沢が、盛り上がる筋肉に歪められ形を変えていく。肉の不自然な運動に負けた体毛が風に舞う。不意にウサギの右耳が、根本から落ちた。後ろ向きに伸びた新しい耳に押されて、簡単にちぎれてしまったのだ。
ウサギらしい演出のためか、しきりに動かし続けている口元に血が滲んで、変化が体の内部にも起きていることを示し始める。赤く染まった口元の毛皮が、自分の動きに負けた頬の肉ごと剥がれ落ちると、血の量は急激に増えていく。ウサギの跳躍のあとには地面に赤い染みが残るようになって、その染みも跳躍の度に大きなものになる。そして限界が訪れる。不自然な変化に耐え切れなくなって、ウサギは新しい眼が開く前に死んだ。
死んだウサギが白いエフェクトを撒き散らして消えて無くなると、異変の始まりを示すものはあとには何も残らなかった。




