52.ブラウンの仕事
ブラウンの万屋は、グリーゼの街の中央広場から北に伸びる大通りにある。日が昇り一日が始まると、最初に彼の店を訪れるのは鳥人達だった。この種族の朝は早い。街の道筋が移動に関係の無い彼らは、北門前よりもやや良心的な価格のこの辺りの店をよく利用した。その客同士の他愛もない会話のやり取りや噂話がブラウンの朝の楽しみで、彼自身も手の空くときには話の輪に加わった。
「そう、よく似てるわね。あの二人。」
「空から見たらそっくりでさ。イオンちゃんかと思ったら人間の女の子で、ちょっとびっくりしたよ。」
ポーションを物色中の二人が話しているのは、近所の鍛冶屋に住み込みで働く少女の事らしかった。もう一人の話題の少女も、ブラウンは知っていた。
「《ギルド》で働いてるみたいよ。お使いでこの辺りによく来るらしいわ。」
「二人とも可愛いよなー。仲もいいのかな? 二人で歩いてるのを昨日見かけたな。」
「その二人なら昨日この店に来たよ。」
ブラウンは、カウンター代わりの小さなテーブルで商品棚に付け替える値札の張り紙を書いていた。その手を止めて鼻の上の眼鏡を外すと鳥人達の方を向き、微笑みかけて会話に交ざった。
「親父さん知ってるのかい?」
男の方がブラウンを見て訊いた。
「ああ、イオンちゃんは初めて街に来た日から知ってるよ。昨日二人でお茶を買いに来てね。明日から一緒にウサギ狩りに行くそうだ。」
男の鳥人が妙な顔をした。《NPC》の筈のゲルダが、街の外で狩りをすることに少し驚いたのだろう。それでも口に出さないのは同じ《NPC》の自分に気を使ってくれているらしい。そう思ってブラウンも、男の表情に気が付かないふりをした。
「あら今時ウサギ狩り?」
女の方が云った。男の表情を誤魔化す為かも知れない。ブラウンも誤魔化された事にして会話に乗る。
「うちでウサギの肉を売ってくれるらしいからね。そうすると助かるな。なんでも新しい服の材料集めだとか。」
「ああそうか、材料があればマジューレ親方が何か作ってくれるのかな。」
「そういえばアンタ、昨日遅くなって修理まだなんじゃないの?」
「おっと忘れてた。親方の所によらなくちゃ。」
鳥人達は慌ただしく買い物を済ませると、ブラウンに声をかけて店を出ていった。
ブラウンは鳥人達を見送ると、残りの値札を書いてしまおうとポケットから眼鏡を取り出した。その眼鏡に引っ掛かって、一緒にポケットから出てきた銀色のチェーンに気が付く。
こんなところを誰かに、特にこれに見覚えのある《プレイヤー》達に見られる危険を考えれば、それはポケットに無造作に入れておくような物ではなかった。インベントリに収納して、絶対に取り出すべきではない。店の中で手に取るというのも、考えられないほど危険な行為だった。それでもブラウンは、今あえてそれを引っ張り出すと手の上に乗せて眺めた。この無意味な行為は興奮を伴った。その興奮と天秤にかけられるリスクとは絶対に釣り合いそうになかったが、それでも魅力的な独特の刺激だった。
ブラウンはまだ色の決まっていない泪型の宝石を眺めながら、今自分が感じている興奮に該当する概念をデータベースの空間から探しだした。……これに近いものは『悪戯心』だ。自分の中で起きた思考の変化や小さなプログラム達のやり取りのログを保存しながら、もっと深いところにある、根源的な欲求との関係性が調べられる事例を《プレイヤー》達の記録から探しだす事を管理下のAI達に命じ、新しい記録の収集も現在ほかの《NPC》達に収集させているデータよりも高い優先度で指示した。
手の上の宝石のネックレスを弄びながら、自分(と云っても現在試験的に優先度を高められて、ブラウンの表層にいる擬似人格の事だが。)が自然にその行為を始めたことを過去の試験と比較するため、これも新しいデータとして保存する。このデータと比較の対象になりそうな《プレイヤー》達の行動は、データベース空間で最初に見付けた超平面からだけでも膨大な量の存在が確認された。仮に取り出した情報で構築された空間でさえ、ブラウンの権限で使用できる無限次元特徴空間に写像することが出来そうになかった。彼はこの行為の正体を探る事の一時保留を決めた。
それでもブラウンは満足そうに一人頷くと、ネックレスを手の上で少し転がしてからインベントリに収納する。そして念のため、その情報を表層の人格がアクセス出来る範囲の記憶から削除した。
ブラウン・グリーゼ統括管理AIは椅子に座り直すと、ずり落ちた眼鏡を指で少し持ち上げた。反対の手でペン先をインク壺に軽く浸し、値札の張り紙を書く作業に戻る。こちらも大切な仕事だった。




