道化師のソネット
泥のような意識の中でバラバラになった記憶をかき集めて、時系列を組み立てる。昨日は何があって、これから何をすべきかを考える。霞がかった頭の中で一通りの重労働をなんとか終え、ゆっくりと目を開けた。
幾分見慣れた部屋が真横になって眼前に広がる。俺は重い頭と身体をなんとか持ち上げ、ゆっくりと身体を起こす。中途半端な睡眠が余計に疲れを助長させていた。側にあったスマホで時刻を確認すると、午後2時を回ったあたりだ。
「おはよう」窓のすぐ側に座っているカナが、目を覚ました俺に気付いて声をかけた。俺はベッドに腰かけながら「おはよう」と返す。めちゃくちゃダルい。
「良く寝てたじゃん」
「いや、寝た気がしないよ」
夜勤明けってこんなにシンドイんだな。そう思いながら俺はスマホをポケットに突っ込み、ベッドから立ち上がって、テーブルに置いてあるタバコとライターを持ってキッチンへ向かい、換気扇の紐を引っ張る。タバコを一本取り出し、指でカプセルを潰して火を点け、煙を肺の奥まで染み渡らせてから換気扇に向かって吐き出した時、ふと自分が空腹であることに気付いた。
そりゃそうだ、深夜の巡回前にサンドウィッチとおにぎりを食べたきり何も口にしていないのだから。
何か腹に入れた方が良いのだろうが、どうにも食事をするのが面倒臭くなっている。もうひと眠りしたいところだが冷蔵庫の中はビールと炭酸水しか入っていない。昼食どころか、夕飯になるものが、この狭い部屋のどこにもないという事実が俺の気分を暗くさせた。
このまま二度寝したら夜になってしまうだろう。こっちの世界で夜間の外出は控えた方が良い。カップ麺をストックしておく必要があるな。
仕方ない出かけるか。
短くなったタバコを灰皿でもみ消し、ポケットからスマホを抜き取りボンヤリとした頭でホーム画面を眺める。日付の下に、曇りマークと気温15度と表示されていた。11月の気温15度は暑いのか、それとも寒いのか。
「なぁカナ」
「なに?」
「気温15度って暑いと思うか?」
カナは、意味が分からないという顔で「え?普通じゃない?」と返した。
「そうか、普通か」俺は力の入らない喉でそう呟くと、カナは俺の顔を覗き込みながら「大丈夫?まだ寝ぼけてるの?」と言って呆れた表情を見せた。
寝ぼけているつもりはないが、感覚がバグっているのは確かだ。思えば、仕事初日から警察署に向かい、わがままを言ってカナを引き取り、その後点灯夫の仕事を何とかこなしてようやく帰ってきて今に至る。ひと眠りはしたものの、未だ長い一日の延長線上にいる気がする。
2日間で今日という1日。
「大丈夫、起きてるよ、多分まともだ」俺は自分でも驚くほど掠れた声で答える。
「え?どっちよ?」カナは半笑いで俺を見て言った。
俺は、二度ほど咳払いをして、掠れた声を無理やり整えてから口を開く。
「カナ、飯買いに行くけど来るか?」
「何買うの?」
「朝飯兼昼飯とあと夕飯」
カナは呆れた様な表情を見せ「まぁ冷蔵庫に何にも無いからね」と言った後「いいよ、仕方ないから付き合ってあげる」と言って笑顔を見せた。
寮から5分ほど歩いた所にあるコンビニに入り、入口の側に置いてあったカゴを手に取った。
品出しをしている店員が、俺の横をすべるように動くカナの様子を見て、少し驚いた表情を見せ、直ぐに何でもないかのように様に業務に戻っていった。
皆が幽霊を見れるこの世界において、俺とカナが並んでいる光景は珍しいものではないのだろうか。
店内を回り、俺は昼食用のから揚げ弁当と、夕食用に大盛りのペペロンチーノをカゴに放り込む。カップ麺のコーナーに行き、ビッグサイズのカップヌードルを二つカゴに放り込む。どうやら2個買うと50円引きになるらしい。店内をぐるっと回り、スイーツコーナーへ行き、カナに尋ねる
「そういや、カナ、何か食いたいもんあるか?」
「何言ってんの?私、幽霊だよ」
「あーそっか、そっかそっか…」
甘いものが好きな女子高生。コンビニスイーツで喜んでくれるかと思った俺が浅はかだったか。と、いうかそれ以前の問題、俺はカナが幽霊だという事実がどこかで抜け落ちていた。なまじっか会話が成立するもんだから余計に混乱する。
俺は少し迷った後、デザートケースからエクレアを2つカゴに放り込みレジに向かい、店員にタバコの番号を伝え一緒に会計を済ませた。
寮に戻って、袋から唐揚げ弁当を取り出しレンジに入れて温める。この部屋に二人いて俺だけが飯を食うというのはどうにも気が引ける、なんとなくエクレアを買ってみたものの、それをどうするか決めかねていた。
まさか、仏壇のお供え物の様に、カナの目の前に置いて手を合わせてから俺が食う訳にはいかないだろう。
レンジの中で回転する弁当を見ながら、ふとシルクハットの男の言葉を思い出した。
世界は言葉で出来ている。
あの人は俺が付箋に書いた「視力」という文字を帽子の内側に貼り付けて「よく見える」と言っていた。試してみる価値はあるかもしれない。程なくして、ピーという電子音が鳴る。俺は弁当を取り出す。底の方がまだ少し冷たいが、まぁいいだろう。
弁当を部屋に持っていき、テーブルに置く。そしてビニール袋からエクレアを一つ取り出して、テーブルの向かいに座るカナの前に置いた。
「なにこれ?」怪訝そうな顔でカナは俺を見る。
俺はリュックから大判の付箋とボールペンを取り出しながら「一人で飯を食うのは気が引けるんだよ、申し訳ないけど付き合ってくれ」そう言って付箋を二枚剥がし、それぞれに「触れる」「食べる」と書いてまだ開けていないエクレアの袋に貼り付けた。
「なにこれ?」カナは眉をひそめて目の前に置かれたエクレアと、目の前にいる俺を見た。
「おまじない、いや、魔法になるかもしれない、俺の仮説が正しければカナはそのエクレアを食べることが出来る、まず袋を開けてみてくれ」
カナは、何が何だか分からないと言った様子で大判の付箋が貼ってあるエクレアに、そーっと手を伸ばす。エクレアの入った袋がパリパリと音を立てた。
「あ!触れた!」カナは驚いて声が裏返る。それから恐る恐る袋を持ち上げ、両端を引っ張って袋を開けた。
「お!すご!」カナの顔に笑顔が戻る。出だしは好調のようだ。しかし、袋の中のエクレアに触れようとすると指がすり抜けていった。
俺は、テーブルに置いてあるボックスティッシュを二枚引き抜いてカナの前に広げ、小さい方の付箋をリュックから取り出し、同じように「触れる」「食べる」と書いた。
「ちょっとかして」
「う、うん」
俺はカナからエクレアを受け取って袋から出し、裏側のシュー生地に直接二枚の付箋を丁寧に貼り付け、カナの前に置いた。
「これならいけるかも」
俺の言葉に、カナは無言で頷き、エクレアに手を伸ばす。今度はすり抜けることなく触れることが出来た。
「おー」カナは手に持ったエクレアをしげしげと見つめ、意を決した様に「いただきます」と言ってかぶりついた。
「おいしーい!これあっま!うっま!やっば!」
満面の笑みを浮かべながらチョコレートとカスタードクリームを口いっぱいに頬張るカナの様子を見て、俺はホッと胸を撫で下ろした。よかった上手く行った。
俺は、冷めかけのコンビニ弁当のフィルムを剥がし蓋を空ける。割り箸を割って唐揚げを口に放り込んだ。
付箋をいくつか買い足す必要があるだろう。カナとの生活がどのくらい続くか分からないが、足りなくなるのは困る。もしかすると、俺が元の世界から持ち込んだものだから効果があったのかもしれない。
まぁ、どちらにしてもやってみないと分からないなら試してみるしかない。
明日喪服を買いに行くついでに付箋を探そう。
「これで一緒にクレープを食いに行けるな」
俺は大事そうにエクレアを食べているカナに声をかける。
「うん!ねぇノボル君、なんでこんなことが出来るの?もしかして魔法使い?」
カナは人差し指を曲げて底面の付箋を軽く抑えながら、チョコレートが指に付かないよう、中指と親指で両端を支えてエクレア持ち、自分が齧った断面を見ながら言った。
「俺がこういう事が出来る理由はさっぱり分からない、少なくとも俺は魔法使いじゃないよ、たださ、なんか、世界は言葉で出来ているらしいのよ」
「なにそれ、誰かの名言?」
「シルクハットのおじさん」
「シルクハットのおじさん?」
「そうシルクハットのおじさん、彼がそう呼んでくれってさ」
「なにそれ!おもろ!」
カナはそう言って楽しそうに笑った。例え幽霊であっても誰かが側にいて、自分だけが飯を食う。幽霊なんだし気にしなけりゃ良いと言えばそれまでだが、あまりにも寂しいし、少し罪悪感さえ感じる。
俺が気にしすぎなのか、あるいはそれが真っ当な感覚なのか、という疑問も浮かんでくる。
カナが笑顔でエクレアを頬張る姿を見て、これでちょっとした罪悪感や迷い、そして寂しさを紛らわせることが出来るだろう。そしてそんな自分が少しだけズルく思えた。
「ノボル君、ありがとう」そう言ってカナは笑顔をみせた。
救われた気がした。




