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上野公園③

久しぶりの更新です。もうちょっとペースが上がるといいのですが。

 

 私達は博物館が固まっているエリアを抜けて、ボート乗り場へやって来た。


 アヒル……いや、スワンか? とにかく、このボートには良くないジンクスがある。


「カップルで乗ると別れる」


 実際は、する事がない倦怠期とか、気まずくて間がもたないとか、そういう意味合いらしい。そもそもカップルじゃないし、梶田と話す事も特にないので、ボートを漕げるのは気分転換にちょうどいい訳だ。


 料金は700円。電車賃より高い。このボートを漕いだって、どこに行けるわけでもないのにな。


「はい、おつり三百円ね。今は混んでないから30分過ぎても大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 梶田はめちゃくちゃ愛想がいいので、ボート乗り場のおじさんにも丁寧である。いや、私も態度が悪いわけではないと思うが。


 私たちは雄大な大河……ではなく濁った不忍池に漕ぎ出す。スワンボートは自転車のようになっていて、漕げば漕ぐほどスピードが出る。たとえ梶田が漕がなかろうと、スピードは出る。


「俺たちが一番早いんじゃない?」

「誰もそんな事してないからね」


 水色のスワンボートは、他を圧倒する勢いで池の中を周回する。我々は水を得た魚ならぬ、カエルなのである。なんちゃって。おそらく、傍目から見れば狂人に見えるであろう。


「そういや、山賊の話聞いてないんだけど?」

 海難事故の話も聞いてないや。


「そう。あれは俺が小学生の頃だった。ビーチが有名なリゾートに行って、コテージに家族で泊まったんだ」


 あ、海の方から始まるのか。池だからか? まあ、どっちでもいいんだけれど。


「兄貴たちは出かけて、親は昼寝してて。俺は暇だったんだ」


「うん」

「それで、コテージから海に飛び込めたんで、一人でシュノーケルしようと思った」


 いいなー。旅行のガイドブックに載っているような、超高級リゾートみたいなやつだ。台風が来たら吹き飛びそうな、木でできた小屋で、デッキにソファーとか置いてあるやつ。


「危ないじゃん。フラグ立ち過ぎでしょ」

「そう。危ないんだ」


「最初は良かった。当時はまあまあ泳げたからね。でも、『あっちの大きい波の所に行こう』って思ったのがまずかった。斜めに泳いでいて、あっと言う間に沖に流されたんだ」


「戻ろうと思ったけど、疲れてきちゃって。ま、その時はヒレもあるし、ライフジャケットもあるし、救難用の笛も持ってたし、で浮いていればなんとかなると思ってたんだけど……」


 ハンドルを切り返してボートの進行方向を変える。他のボートから「はやっ」とからかいの声が聞こえてくる。そう。私は速い。誰にも捕まらないぐらい。


「その時ふと『この辺りはたまにサメが出る』ってカルロスが言ってたのを思い出しちゃって」


「誰よ」


 カルロスはガイドらしい。


「それでものすごく不安になってきて。このままサメに出会って、食われたら永久に行方不明のままかも……ってパニックになったんだ」


「ちょうどその時、大きな海藻が流れてきて、自分の脚に絡まってさ。それでますます恐慌状態に陥って、バタバタしてたら海水を飲んじゃって。あの時は本当に焦ったな。まともな思考ができないんだよね」


 梶田はどこか遠くを見ている。当時の事を思い出しているのだろう。


「結局、日が暮れる前にボートで救助してもらったんだけど。しこたま怒られた」

「もうちょっと小さくて体力なかったらやばかったかもね」

「まあね。それ以来一度も泳いでない」


 私はみどり色に、ゆらゆら揺れる水面を見た。抹茶羊羹みたい。


 じゃあこいつ、カナヅチなのか? いや、一人でシュノーケリングできたぐらいだからまあまあ泳げるのか。水泳は「手続き記憶」と言って、一度覚えると忘れないそうだ。


「カッコ悪かった?」

 元からかっこいいとは別に思っていないが……と言いたいのをぐっと堪える。


「私のお母さん、元警察官で。秩父の方で水難救助の仕事をしてたんだよ」


 だから、水の事故は怖いと何回も言い聞かせられて育った。何せ、両親の出会いが「川下りではしゃいで転落したお父さんを救出した」から始まっているんだから。


「私もたまに、研修とか受けたりするよ。実践した事はないけど」


「俺が溺れたら、助けに来てくれる?」

「いやそれどういう状況?」


 私と梶田が同時に溺れるって……一緒に豪華客船に乗っていて、それが沈没したとか? いや、そんな状況が起きるわけもないか。


「ていうかさあ……」

「あんた、そんな目に会っといてよくカエル食いたいとか捕食者目線な事言えるね」


 心を入れ替えてベジタリアンにでもなれ。カエルを捕食しようとするな。私の気持ちを考えろ。


 梶田は「解せぬ」とでも言いたげに首を傾げた。


「いやだって主食だし……?」

「好き嫌いせずに冷凍マウスを食べなさい」


 哀れ梶田。生と死の間で見た妄想のせいで、精神に異常をきたしてしまったに違いないな、これは。前にマラリアで死にかけて前世がどうのって言ってたし。


 スワンボート30分耐久レースが終わった。ボート乗り場のおじさんに「すごい勢いだったね」と半笑いされたので大分恥ずかしい。


 お弁当の量が多くなかったからか、若干小腹が空いてきた。


「タピオカ飲む?」

 梶田は商業ビルに入っているタピオカ屋のテナントを指し示した。


「飲まない」

「じゃあ、あんみつ食べようよ。御馳走するよ」


 こっちが本命か。あんみつは800円はする。高い。納得できるほどの美味しさはあるけど。タピオカよりは、あんみつの方が 100倍好きだ。変な思い出もないし。


「……あんみつ食べないの?」

「……」


 せっかくここまで割り勘でやってきたのに、ここで梶田の財力に屈してしまうのか、私よ。


 しかし、あんみつは捨てがたい。いつも激混みなはずなのに、今この瞬間、ちょうどいい具合に席が空いている。こんな千載一遇のチャンスがあるだろうか?いや、ない。ないけど……。


 いやしかし、梶田の財力に今日も屈してしまうのはちょっと、自らの尊厳が……いやでもあんみつ食べたいな。でも自腹で食べるとして、向かいに梶田がいるのはそれはそれでなんか苦行のような……。


「お昼の材料代と、人件費の分をあんみつでチャラで」


 その言葉を聞いて、私は梶田より前に店内に滑り込んだ。弁当を作るのに1時間はかかった。これはその分のご褒美なのだ! たかりではない。正当な報酬だ。


「フルーツクリームあんみつ、白玉トッピングで」

「俺も同じので」


 梶田はあんみつの横に先程入手したカエルを添えて写真を撮った。私も一応写真を撮るけど、SNSにはアップしない。SNSからは梶田の痕跡を完全に消している。匂わせ?するはずもない。そんなんじゃないから。


「クリーム」と言うのは「ソフトクリーム」の事だ。このアイス部分がまた、なかなかに美味しいのだ。


 世の中、「家で作った方がいい」と「外で買った方がいい」の二種類の食べ物がある。クリームあんみつは後者である。


 食べ終わった頃に、ほうじ茶が出てくる。あ、茶柱が立っている。めでたい。



「明日はどこ行く?」

「は?」


「映画の招待券があるんだ」

「はあ」


 梶田はチケットホルダーから二枚のチケットを取り出した。なんだかよくわからない、シリアスそうな邦画だ。


「いや、行かないけど……」


 何を言っているんだこいつは。土日、どっちも梶田に遭遇したら平日と合わせて12日間連続になってしまうではないか。そんなに会ってどうする。


 ソシャゲみたいにログインボーナスをくれる訳でも……いや、何かしらはくれるか。映画館でホットドッグとコーラを買ってくれるなら映画ぐらい見てもいいかな、なんてそんな浅ましい事は……ない、ない、私の尊厳にかけて、ない。


「多恵?」

「ない」


 だいたい、私は明日は買い物に出かけようと思っていたのだ。しかし、それを悟られると「じゃあ池袋に集合ね」となってしまう。


 それはいけない。とにかく、そんな状況はいけないのである。私は『明日は用事がある』と言い張って梶田の誘いを断った。

のろのろ連載しているうちに、世間がコロナでお出かけどころではなくなってしまいましたね〜……。

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