第八話
何分走っただろうか。もう時間の感覚がミリアには無くなっていた。ただ、雨だけは変わらず降り続けている。
揺れる視線の先には見覚えのある屋敷があった。クアラム邸。ミリアは知らず知らずに自分の家へと戻っていたのだ。
あの中に父親がいる。そう思うとミリアの心に少なからず安心感が生まれた。父なら絶対に自分を救ってくれる。どんなことがあろうと、自分の味方でいてくれる。そう断言できる。
路地から顔を出し、敵の有無を確認する。大通りには敵どころか民間人すら誰一人いなかった。これなら大丈夫だと、ミリアは自分に言い聞かせた。
クアラム邸は大通りに面している。出て行った瞬間に狙い撃ちされる恐れは十分にあった。しかし、ミリアにはもはや慎重さは抜け落ちている。ただ早くこの状況から抜け出したい。その一心で、彼女は飛び出した。
しかし路地に足を踏み入れた瞬間、彼女の足下に光線が煌めいた。案の定、追っ手はこの見晴らしの良い場所でとどめを刺すつもりだったのだろう。
ミリアは『斥力』を発動させようと考えるが思いとどまる。これを使えば、追っ手を絶対に巻く自信があった。しかし、それをすればファウンドを置いていくことになる。魔導人形の機動性は人の走る速度より少し早い程度なのだ。彼女は恐怖に支配されながらも、微かに残されている正義感が魔導人形を置いていくことをためらわせていた。
彼女は歯噛みしながらも、必死に走る。クアラム邸は目と鼻の先だ。あの中に入りさえすれば助かる。
ミリアの足下に再度光線が跳ね、それを皮切りに、光が何度も照射された。
追っ手は攻撃対象をミリアから、魔導人形に切り替えたのか、執拗に魔導人形が狙撃され続けた。
魔導人形の周囲には『障壁』の魔法が常に張られているため、その光線は弾き飛ばされる。だが、集中砲火のせいか少しづつ魔導人形の障壁が剥がれていた。
ミリアは最後の力を振り絞り、全力で駆ける。安全な場所はすぐそこだ。この地獄のような状況から助かる。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
ミリアはまず柵を飛び越え、広大な敷地に進入する。魔導人形もこれくらいの高低差なら難なく越えて、ミリアについてくる。
彼女は庭を突っ切り邸宅へと向かう。いつの間にか、背後からの狙撃は止んでいた。彼女を遮るものはもう何もない。降り注ぐ雨の弾幕を切り裂いて、邸宅の正面玄関に向かって全力疾走する。
ミリアは走る勢いそのままに扉へ突撃し、滑り込むように室内に入った。魔道人形も共に館内に進入する。
ひざを突き、息を大きく荒げながら、彼女は大声で叫んだ。
「パパ! ミリアよ! 帰ったわ! 帰ったのよ!」
彼女は心の底の絶望を吐き出すようにパパと叫び続けた。
父に会いたい。いつも遠ざけていた、あの恐い顔を今は拝みたいと心底思った。
しかし、ミリアが泣けど叫べど、一向に父が姿を現す様子はない。これだけ叫べば、父でなくとも誰かが出てきてもおかしくはないはずだった。しかし、誰も姿を見せなかった。
さすがにミリアは異常を感じる。
周囲を見渡してみれば、明かりがまるで灯っていない。明らかに人の気配がなかった。
例え父が不在だったとしても、警備員や使用人が全くいない状況は考えられなかった。ここにはライアン邸の資産がある。厳重に警備されてしかるべしだった。
ミリアはよく考えると、玄関が開いていたことに思い至った。普通なら施錠するはずだ。人がいないなら尚更だ。
ミリアは自分の家で起こっている異常事態をはっきりと認識する。
彼女は立ち上がると階段を上り、父の書斎へと向かう。彼女は震えを押さえるように、必死に体を抱く。雨は、予想以上に彼女の体温を下げ体力を奪っていた。
豪奢な廊下を濡らしながら、ミリアは父の書斎の前で立ち止まった。
「パパ?」
彼女は心細く呟く。父が自分を脅かそうとしているだけだと自分に言い聞かせながら、ドアをゆっくりと開けた。
しんと静まり返った書斎。本棚に詰まっている書籍の数々が彼女を圧倒する。中央に鎮座する椅子は、主人の帰りを黙って待っていようだった。
ミリアの期待むなしく、部屋には誰もいなかった。
「あぁ」
彼女は悲哀のこもった吐息を漏らす。ここはもぬけの殻だ。会えると思っていた父に会えない。それを考えただけで、力が抜けていくのが分かった。
彼女は父が消えた理由を求め、部屋中に視線をさまよわせる。棚の一つには家族の写真が置いてあった。ミリアはそれを手に取る。それは四人で仲良く笑顔で映っていた。
これが四人で撮った最後の写真。母と姉。二人はミリアとルドルフを残して死んでしまった。二人とも、死ぬにはあまりに若すぎた。
ミリアが父譲りの金髪なのに対して、姉は母譲りの白髪だった。彼女の長髪は煌びやかで透き通っていた。写真を撮った日もその美しさは健在だ。
今でも簡単に母の姿も姉の姿も想像できる。当たり前だ、母も姉も一昨年に死んだばかり。まだ、彼女達の記憶の全てが鮮明だった。
彼女は写真を元に戻すと、書斎の机に目をやった。そこで、卓上に何かが置いてあることに気づいた。そこには一枚の羊皮紙と高級な魔法糸の包みがあった。ミリアはテーブルに歩み寄り、羊皮紙を手に取る。
「何、これ……」
彼女は一目でそれが脅迫文だと察した。機関とライエン家に対する脅迫文。父はこれを信じたのだろうか。
これが机の上に置いてあることが父の焦りを匂わせる。父は几帳面な人間だ。普段なら人目につかないようしまっておく。それが机の上に置かれたままといのが、父の焦燥を顕著に表している。
ミリアは隣の包みを手に取る。羊皮紙と比べると明らかに丁寧に保存されている。彼女はゆっくりとその包みを開いた。
「こ、これは……」
中には指が入っていた。女性の指。この手紙と一緒に送られてきたということは、誰の指なのかは明らかだ。しかし、ミリアは知っている。当の本人だからこそ、これが偽物だと分かる。彼女の指は十本揃って健在だからだ。
手紙を持つ手が震える。なんて卑劣なやり方だろうか。指の模造をしてまで、この手紙を書いた人間は父を脅そうとしている。父の財産をむしりとろうとしている。
ミリアは確信する。これはファウンド達の仕業ではない。何故なら、彼らがライエン家の技術を手に入れても、運用することは到底出来ないからだ。それなりに大きい組織でなければ、魔道具の製造情報を手に入れても意味がない。
では、これは誰が書いたのか。誰のシナリオなのだろうか。
それは明らかだった。ミリアはもう目を背けることはできそうになかった。
「勇者機関……」
彼女は自然と口にする。もう、機関を信じる訳にはいかなくなった。これだけの材料を提示されて、気づかないふりができるほど、ミリアは愚鈍ではなかった。
彼女は手紙を握りつぶす。彼女の中に生まれたのは恐怖でもなく悲しみでもない。怒りだった。これまで信じ続けていたものに裏切られた怒り。そして、それを無様に信じ続けた自分の愚かしさに対しての怒りだった。その怒りが少しだけ彼女に思考力を取り戻させる。
彼女は深く息を吐く。
邸宅の人気のなさも、十中八九機関が仕組んだことだろう。警備員や使用人達はみんな消されてしまったのかもしれない。
でも、なぜだろうか。父を上手くはめたのなら、わざわざ邸宅に探りを入れる必要はないはずだ。
ミリアは頭を振るい、濡れた髪をかき上げる。
考えている暇はあまりない。ここが安全では無いと分かった以上、苦しいけれどここに長居はできない。追手がすぐに侵入してくるかもしれない。
少なくとも父に事実を伝えなければならない。父にこの手紙の内容が嘘っぱちで、機関による陰謀だと知らせる必要がある。
しかし、誰でも分かるものを残せば、機関によって隠蔽される。つまり、自分と父にしか分からない方法で情報を残す必要がある。
彼女はすぐに書斎を出る。
書斎の前ではファウンドを乗せた魔道人形が、次の指示を待つように浮遊していた。
ファウンドは未だ目を覚ます様子はない。死んだように魔道人形に乗せられるままだった。
ミリアは魔道人形に付いてくるよう再度指示をだして廊下を戻る。しかし、魔導人形の動きが芳しくない。ぎこちなく回転すると、ガタガタと振動していた。
よく見れば、装甲の一部が破損していた。先ほどの、狙撃で破壊されたのだろう。それほど、しつこい狙撃だった。まるで、狙撃手はこの魔導具に怒りでも感じているかのように。
「このままじゃまずいわね……」
ミリアは魔導人形を自動運転モードから、手動モードに切り替える。
『手動モード移行完了』
途端、魔導人形が落下した。ミリアは咄嗟に魔力を送る。だが、今度は急上昇し、天井にぶつかりそうになった。
ミリアは腕に力を入れる。魔導人形の操縦は予想以上に難しい。これでは、まともに動かすこともできないだろう。
ミリアが魔導人形に悪戦苦闘していると、背後で何者かの気配を感じた。
振り向くと、廊下の先に一つの影が見えた。使用人だろうか。まだ誰か残っていたのかもしれない。
「誰?」
ミリアは期待を胸に呼びかける。だが、その影はまるで返事をしない。窓に叩き付ける雨の音だけが廊下に響く。
ミリアは危険を感じ、近くのドアに手をかけた。しかし、彼女が意識を反らした瞬間、人影が輝く刃を取り出しこちらに向かって走ってきた。
咄嗟に部屋の中に飛び込む。魔導人形を何とか部屋に入れると、即座にドアを閉めた。
その後すぐに、廊下にいる何者かによって扉がけたたましく叩かれる。
ミリアは魔導人形と共に必死にドアを押さえる。この部屋に進入してくるのも時間の問題かもしれない。
しかし、しばらく衝撃に耐えていると、ミリアの憂いとは裏腹に、打音は聞こえなくなった。
ミリアは額の滴を拭うと、ひとまず難を逃れたことに安心した。
もう追手が館に進入してきた。早く逃ないと、捕まるのも時間の問題だ。
ミリアは移動しようと顔を上げると、この部屋が何の部屋か初めて気づいた。
目に付くところ全てに飾られたアンティークの数々。父――ルドルフの写真や彼の栄光を称えた賞が飾られている。
ここは客人をもてなす応接室だ。自分の偉業を包み隠さず誇示するところは父らしいなと、ミリアは素直に思った。
それらの脇を通り、正面に広がる巨大な窓の前に移動したところで、ミリアは違和感に気づき振り返った。
豪奢な飾りの中で、他の魔道具に比べ明らかに見劣りしたもの。商人の象徴である麦と杖を象った置物。
それは彼女が父のためにプレゼントした魔道具だった。
「飾ってくれてたんだ」
ミリアは少しばかり感傷に浸る。ここに飾るということは、父は客が来る度に見せびらかしていたのだろう。そんな父の姿が容易に想像できてしまい、ミリアは何とも恥ずかしい気持ちになる。
そんな思いで見ていると、ミリアは重要なことに気づいた。この置物を使えば、機関に知られずに父へ情報を知らせることができるかもしれない。
この置物は魔導具であり、魔力を流せば魔法を発動させることができる。その魔法は贈り物に適したものであり、そして同時に誰にもそれと分からせない驚きがある。
贈った時は、今回のような使い方はまるで想定していなかった。当時の自分には感謝してもしきれない。
彼女は急ぎ、その置物を手に取ると、魔力を注ぎ始めた。
だがその時、廊下に面したドアの隙間から、激しい光が漏れた。
ミリアは目を見開く。それが爆発の予兆だとすぐに理解したからだ。彼女は魔導人形を壁に追突させ、無理矢理ドアから離れさせる。そして、倒れるように床に身を伏せた。
その動作とほぼ同時に、ドアが吹き飛び部屋に人影が入ってきた。
見上げると、侵入者が目に映る。それは全身を黒のレザースーツに身を包み仮面を被っていた。男はミリアを見ると、すぐさまナイフを突き立ててきた。彼女は跳ねるように飛び上がり、攻撃をよける。
ミリアは怯えを悟られないように、威圧した口調で言い放つ。
「あなたが、私をしつこく追ってた奴ね」
ミリアへの返事の代わりに、仮面の男は彼女へナイフを突き立てた。
彼女は身を翻しそれ避ける。そのナイフは黄色い魔力を伴っている。ミリアは即座にそれが『感染』の魔法だと看破した。そのナイフに切られれば、何かしらの病に確実に感染させられる。
倒さなければ殺される。そう感じたミリアは咄嗟に魔導具に魔力を込める。
「許して」
ミリアは小さく口にすると、『斥力』を発動。そのナイフを持つ手に、掌底をたたき込んだ。轟音が部屋中に巻き起こる。空気の波動が仮面の男の腕を貫き、部屋の壁に穴を穿つ。
当然、男の腕は容赦なく吹き飛んだ。腕は応接室の棚に見事に刺さり、片腕を失った男は床に投げ出される。
室内に埃が舞い、空気は一瞬にして灰色と化した。
ミリアは後ずさりしつつ、男の様子を伺う。男は予想外の反撃に面を食らっているはずだが、その仮面によって表情を拝むことはできない。
彼女は男を見つめながら眉をひそめる。男の腕を吹き飛ばした時の得も言われぬ違和感。あれはまるで魔導具を破壊した時の感覚だった。もしや敵は……
ある一つの答えにミリアが思い至ってから、仮面の男は動いた。
男は伏した状態から、起きあがる反動を使ってミリアへと跳躍した。尖った腕が彼女に迫る。
曲芸の如きその奇っ怪な動作に面をくらいつつも、ミリアは反射的に男の胸へと『斥力』の纏った蹴りをたたき込んだ。
小さな破裂音と共に、仮面の男は再度吹き飛んだ。
壁に男は打ち付けられ、そのまま壁に寄りかかりながら脱力した。彼はぐったりと倒れたまま動かないでいる。気絶したのかもしれない。
これで終わりなのだろうか。だとしたら、あまりにあっけない。自分はこんな相手に怯えていたのだろうか。
ミリアは仮面の男へ訝しげな視線を向けたまま、杖と麦の置物へと手を伸ばす。
彼女は今度こそ魔法を発動させる。彼女は手際よくそれを使って、父へメッセージを残した。
その作業の中、何の拍子か、倒れた男の仮面が外れ素顔が露わになった。
ミリアは思わずぎょっとする。それはふつうの人間の顔ではなかった。青黒い、魔導石のような独特の色。それと肌の色とが混ざり合い不気味な色合いを演出している。その極めて醜く配合された肌に、ミリアは覚えがあった。
ファウンド。彼と全く同じ、魔導石で肉体を構築する技術。しかし、この技術はバグラムが作ったという話だったはずだが。それとも、バグラムの技術とは彼がそう思いこんでいただけで、機関では当たり前の技術なのだろうか。
『機能ヲ停止シマス』
何の脈絡もなくミリアの頭に情報が送られる。ミリアはすぐさま魔導人形に視線を向けた。魔導人形はファウンドを背負ったまま地面に転がっている。内部が露出し魔力が煙のように立ち上っている。さきほどの爆発で、完全に壊れたようだ。
「ちょっと待ってよ……」
ミリアは焦燥感にさいなまれながら、魔導人形に近づき手を当てる。魔力の循環は問題ない。中を覗いて調べる。
ミリアはライエン家で魔導具を学んできている。どこが壊れているかなら、ある程度見当がつく。
どうも遠隔で指令を受け取る魔導具が、破損しているようだった。これでは、魔導人形を動かすことはできそうにない。道具があれば直せるかもしれない。だが、道具を探して直している暇があるだろうか。
ミリアは意を決してファウンドを背負った。少女にとってはあまりに重い。致し方なく『斥力』を発動し何とか立ち上がる。
彼女は外へと視線を向ける。追っ手は無力化した。だが新たな追っ手が現れるとも限らない。早く、安全な場所へ逃げなければ。
ミリアは豪雨に晒される庭園を見つめる。だが、一体どこが安全なのだろうか。勇者で溢れるこの街に、機関に背いた人間が、どこで安息を許されるというのだろう。
しかも、ファウンドを背負った状態で、これから逃げなくてはならない。今までのように俊敏に追っ手を退けられるかは怪しくなった。彼を背負うのに魔力も消耗する。
そんな絶望的な事実を認識した時、目の前の窓がたたき割れた。
丸い影が二つ、ミリアの脇を横切って回転しながら応接室に入室する。それらはむくりと起き上がると人の姿を形作る。彼らはさきほどの男と同様、黒いレーザースーツに仮面を被っていた。
ミリア乱れた呼吸を整えようと深く息を吐き、そして拳を構えた。機関の刺客は再度眼前に現れた。機関は全力で自分たちを殺しに来ているようだ。例え逃げる場所が無くとも、今は生き残るために全力で戦うしかない。
ミリアは再び金色の魔力を纏った。




