三十三話 蝕まれる世界でオッサンの提案にジェイムズは乗るってよ!
航空巡洋艦鳴神内の秋津洲公国に向かっていた際に発生した騒ぎの中心になっていた、身内を無くし途方に暮れていたもの達の生活を条件が付くが保証すると確約し、行動の自由を信雄が認めた事により艦内の騒ぎは終息した。
それから三時間が経過した頃、鳴神は秋津洲公国の行政中心地、新京の湾岸へ到達した。
そこは、信雄の世界の東京の位置である。
しかし、そこに待っていたのは、繁栄を誇ったかつての都の姿ではなかった。
爆撃でも行ったのか、高層ビル群はことごとく崩壊し、むき出しの鉄骨が狂気のモニュメントのように空を切り裂いている。かつての文明の残骸――死に絶えた廃墟だけが、静寂の中で佇んでいた。
「……やはり、ウイルスによる被害は想像以上だったか」
信雄の重苦しい呟きを体現するかのように、高層ビルの狭間を、感染した変異体たちが闊歩しているのが見える。奴らは死なず、独自の狂った生態系を築き上げ、この廃墟を支配していた。
艦橋の空気は凍りつき、重苦しい沈黙が支配していた。
杉崎、木崎、小日向の三人は、モニターや艦橋の窓から映し出された地獄の有様に言葉を失い、ただ青ざめた顔で立ち尽くしている。四方を海に囲まれた島国という地形が、せめてもの盾となってくれるはずだ――そんな、縋るような希望的観測は、無慈悲に叩きつけられた凄惨な現実の前にあえなく砕け散った。平和を享受していた女子高生にとって、世界が崩壊するその「重み」は、彼女たちの精神を粉砕するに十分すぎるほどの衝撃だった。
その異様な静寂を切り裂いたのは、鳴神の淡々とした、機械的ですらある問いかけだった。
「――マイ・マスター、これよりどうされますか?」
「まずは戸岐県だ。君たちがタイムスリップする前に住んでいた、あの街へ向かうぞ。……このホロディスプレイの、どの辺りだ?」
信雄の問いに、三人はさらに顔を強張らせ、沈黙の檻に閉じこもった。
理解してしまったのだ。
自分たちが過ごした穏やかな日常が、どの世界線にも存在しない「過去の残滓」である可能性を。
愛する家族や友人の安否は絶望的、変わり果てた荒野に悍ましい怪物たちと共に放り出されるかもしれない恐怖が、彼女たちの思考を麻痺させていた。
三人の肩が震えているのを見た信雄は、その逡巡と底知れぬ孤独を察し、ふっと表情を緩めた。少し前に妻の広子の膝枕で仮眠をとり、鋭気を養ったばかりの三十代半ばの男の余裕が、そこにはあった。
信雄は歩み寄り、絶望に身を硬くする三人、特に豊満な胸元を不安げに揺らす杉崎と、華奢な肩を震わせる木崎、小日向の頭を、愛おしげに一人ずつ撫でた。
「安心しろ。もしもの時は、俺が最後まで面倒を見る。何があっても、お前たちを放り出したりはしない」
誓いのようなその言葉と、慈しむような大きな手の温もりが、冷え切った彼女たちの心に熱を灯す。瞳に溜まった涙が頬を伝い、浅くなっていた呼吸が乱れ、熱を帯びていく。それは恐怖とは別の、三十代の男の色気に当てられたような、艶っぽい震えだった。
「……信雄さん」
誰かが小さく漏らした吐息が、空気を甘く揺らす。
その後ろで、少し前に膝枕をしていた広子が「むぅ……」と頬を膨らませ、もっと構えと嫉妬の視線を信雄の背中に刺しているが、その可愛い様子に内心で苦笑しつつ、信雄は再度三人に場所を問い、現地へ急行した。
新京を後にして北上すること約30分。信雄たちが足を踏み入れたのは、彼がいた世界の「栃木県」と瓜二つの位置に存在する戸岐県だった。
かつての面影はどこへやら、街並みは激しい戦闘の爪痕に引き裂かれ、静まり返った廃墟の影からは、飢えた変異体の群れが低く粘り気のある唸り声を漏らしている。
目的地は、そんな地獄の片隅にある「恵泉女子高校」。
信雄がまずは手堅く配下の騎士団を先行させ場所を確保しようとした、その時だ。
「おいおい信雄、俺たちを仲間外れにするなんて、水くさい真似はやめてくれよ」
肩をすくめて割って入ったのは、ガメリカ軍少佐のジェイムズだった。
彼の言葉に、背後に控えていたガメリカの軍人たちも、野次を飛ばしながらニヤリと笑う。
どうやら、この危険な火中に自分たちも飛び込むつもりのようだ。
「……分かったよ、なら、それなりの装備で行ってもらわないと」
信雄は苦笑し、自身のスキルを発動させた。虚空から現れたのは、鈍い輝きを放つ近未来型の「タクティカルアーマー」パワーアシスト機能を内蔵し、筋肉の力を数十倍に強化するその鎧は、まさに歩く重機だ。
「さあ、着替えてくれ!」
配られたアーマーを手に取った瞬間、ガメリカ兵たちの顔色が変わった。
ついさっきまで、彼らが身に纏っていたのは「布切れ一枚」と大差ない、ただの迷彩服。この世界の怪物たちを相手にするには、あまりに心許ない「紙装甲」だったのだ。
「オーマイガー……! 見てくれ、この重厚感! これならあのバケモノどもの爪も、ただの爪楊枝だぜ!」
「信雄、お前は神か!? 今まで俺たちがどれだけガクブルしながら戦ってたか、分かってくれるか……?」
まるでクリスマスプレゼントを貰った子供のように、アーマーの感触に頬ずりせんばかりの勢いで喜ぶ軍人たち。
その必死すぎる喜びようからは、今まで彼らがどれほどの恐怖を「気合」だけでねじ伏せてきたのか、その苦労がひしひしと伝わってきた。
パワーアーマーとタクティカルアーマーの起動音が、静まり返った戸岐の街に力強く鳴り響く。
信雄の騎士団と、「鋼の肉体」を手に入れたガメリカ軍は地上に降下した。
鈍い轟音とともに、信雄率いる騎士団と、人知を超えた「鋼の肉体」を纏うガメリカ軍の精鋭たちが、荒廃した地上へと降り立った。土煙が舞う中、信雄は通信機のスイッチを叩き、鋭い声を飛ばす。
「各員へ告ぐ。学校敷地内、および校舎内部に生存者の痕跡はあるか? 状況を報告せよ」
直後、ノイズ混じりの通信が次々と耳を打つ。
「こちらパラディンのジョン。現在、体育館を確保。……床に多数の生活痕を確認しました。かつて避難所として機能していたようですが、残留物の風化が激しい。かなりの時間が経過していると思われます」
「こちらトーマス准尉、校舎A棟へ突入! 隊員数名と共に索敵中……接敵! クソッ、変異体だ! ——問題ない、仕留めた、これより掃討を完了させる」
報告を受け、信雄の瞳に冷徹なまでの決意が宿る。
「了解した。油断するな、引き続き警戒を維持し、探索を続行せよ!」
「「「「イエス・マイロード(御心のままに)!」」」」
「「「「イエス・サー(了解)!」」」」
その後、校内を隅々まで索敵したものの、生存者の手がかりとなる情報はついに得られなかった。
学校の完全確保を宣言した信雄は、杉崎、木崎、小日向の三人を従え、重装備の騎士団による厳重な護衛のもと、悠然と地上へ降下を開始する。
しかし、その姿は異様だった。信雄は「自分はチートな陰陽師である」という自ら課した設定を完遂すべく、スキルで新調した最高級の陰陽師装束に身を包み、腰には禍々しいまでのオーラを放つ「破魔刀」を佩いていたのだ。
未来装備に身を包んだガメリカ軍人たちや、重厚なパワーアーマーに身を固めた騎士たちの視線が、信雄のあまりにも時代錯誤……もとい、神秘的な出で立ちに釘付けになる。一瞬、現場に「え、これからお祓いでも始まるの?」という戸惑いの空気が流れた。
だが、そこは百戦錬磨の兵たち。即座に「……いや、待て。あの人のすることだ、きっと我々には理解できない深遠な策があるに違いない」と、強引すぎる納得で脳内補完を完了させる。
こうして、戦場に平安の風を吹かせながら、信雄一行は堂々と大地に降り立ったのである。
「いいか三人共。この学校の構造や細部で、君達が知る世界と『決定的に違う箇所』を探してくれ。もし些細なズレでも発見できれば、ここは君達の元の世界ではない――別世界の可能性があるということだ。まずはここを徹底的に見て回ってくれ。手がかりがなければ、街や君達の自宅へ向かう!」
「わかりました」
「「うん、わかった」」
信雄の指示に力強く頷くと、三人は護衛の女騎士たちを引き連れて校内調査へと向かった。
その背中を見送りながら、ジェイムズが不安げに眉をひそめる。
「なぁ、信雄……さっきから『別の世界』だなんて話しているが、もし本当に別の世界だとしたら、俺たちはこれからどうなる……?」
信雄は不敵に笑うと、ジェイムズの肩をポンと叩いた。
「……世界線が違おうが関係ない。そこが、俺たちの新たな冒険の舞台になるだけさ。
心配するな、俺はこの世界を切り捨てるつもりはない。
それに、この世界こそが黒幕の尻尾を掴む絶好の舞台だ……オーロラ号でジョンが報告した『アレ』を忘れたわけじゃないだろ? ……どうだ、ジェイムズ、お前もこの遠征に参加するか?」
信雄は真っ直ぐな瞳で拳を突き出す。
その覚悟を受け取ったジェイムズは、獰猛な笑みを浮かべ、その拳に自分の拳を力強く叩きつけた。
「ハッ……悪くない。いや、最高だ。黒幕どもに、とびきりキツイ『カウンター』を喰らわせてやらんとな!」
二人の瞳には、平行世界を征く闘志と、確固たる殺意が宿っていた。
そして、視点は変わる。
万物が死に絶え、不浄な瘴気が毒々しい霧となって漂う「世界の裂け目」。その混沌の中心で、黒いレースとフリルに身を包んだ少女・桔梗は、まるでお気に入りの箱庭で遊ぶ幼子のような、無邪気で危うい笑顔を浮かべていた。
彼女は音もなく男の膝に寄り添い、宵闇よりも深い髪を揺らしながら、冷徹な理性を陶酔の膜で覆った瞳で主を見上げる。
「見てください、主様……愛らしい羽虫どもが、私たちが愛する『破滅』の世界を汚そうとしています。あの子たち、壊していいですよね? この手で綺麗に『浄化』して差し上げれば、きっと世界はもっと美しく……」
主が動けば世界は灰になる。その確信が、少女を悦びの震えへと誘う。
彼女は心底楽しそうに、そして無邪気に、世界の終わりという「おままごと」を夢見ていた。
「ああ、案ずるな、桔梗。何もかもは予定通りだ」
男は彼女の細い髪に指を絡め、逃がさぬよう優しく、しかし確実に執着を込めて撫で下ろした。愛しい玩具の感触を慈しむように。
「すべては我らが神、八十禍津日神が紡いだ『至高の破滅』のシナリオ通り。……それに、二人の時は名で呼べと言ったはずだぞ……?」
男の唇から零れるのは、慈悲の仮面を被った呪詛と、少女に対する異常なまでの親愛。
「……はい、道満様。うふふ、楽しみ……楽しみですね」
「ああ、楽しみだ、本当に楽しみだな、桔梗」
蹂躙を待ちわびて瞳を輝かせる少女を宥めながら、黒幕の瞳の奥には、複数の世界が災厄に染まりゆく悦楽の光景が、狂おしいほど鮮明に映し出されていた。
彼女は純真に、ただ主の愛と「世界が壊れる瞬間」だけを望んでいた。




