第二百九十五話 『越えられなくて』
「……貴様の……魔能じゃと……」
四十年前に初めて戦闘を行ってから今日に至るまで、ラスドラーゴの魔能を見たことはなかった。
何ならヴァナベールは、使えない或いは、使う必要がない力だと思っていた。
ラスドラーゴが魔能を披露しなかったのは、彼の戦いへのこだわりによる物である。
「ああ……。私の魔能は、『減速』。私の力が発動したことで、お前のスピードが殺されたのだ」
ラスドラーゴの魔能。
彼の血が触れた物の移動速度を殺す力。
一滴触れるだけで、その速度は半分にも満たなくなる。
最後の一撃が胸を叩く寸前。
敗北を、死を避けようとするラスドラーゴの防衛本能が働き、無意識に血を飛ばした。
ヴァナベールに付着したラスドラーゴの血液が、彼の死を遠ざけたのだ。
「……それで、わしのスピードが……」
「そういうことだ……。……ぐっっ……!!」
膝をつくラスドラーゴ。
拳は確かに胸に触れていた。
速度を殺したといえど、少なくないダメージとして彼の胸に残っている。
「……命拾いしたな、ラスドラーゴ。だがそれも、一時的に寿命が伸びただけ。今度こそ……トドメじゃっ!!!」
限界が訪れた訳ではなかった。
ヴァナベールは再び両の腕を構え、今度こそ彼の身体を打ち砕こうと動き出す。
しかし、
「……ぬっ……!!」
両腕を動かしてすぐ、身体の異変を感じ取るヴァナベール。
鉛が毛穴に詰まっている様に、全身が物凄く重い。
「……なるほどのう……」
そう。
その効果は、しばらく続く。
「……こんな力を隠しておったとは……せこい奴じゃな」
「そう言われるのが嫌だからこの力は使いたくなかったのだ。……それに、私は自らの力で、お前のスピードを越えたかった。魔能が発動したのは不本意だ」
ラスドラーゴは自分から魔能を戦闘に用いることはない。
相手のトップスピードを自らの実力で抜きたいと思っているからだ。
圧倒的な差を見せられたこの戦いにおいても、その美学は顕在のままだった。
内に宿る魔物としての勝利への渇望が、必要のない美学を反にしたが。
何故そんな力が彼に宿っているのか。
それは、彼が『誰よりも速く』という思いを背負った生まれたからだ。
自分より速い者の存在を許せないからだ。
言葉ではいくら武人を気取ろうとも、彼の本質は勝利を第一としている。
「……不本意か。……では、元に戻るまで待ってくれんかの。どれくらい掛かるんじゃ?」
「……一時間は掛かる」
「……一時間? なんじゃそれ?」
「申し訳ないが、私の戦いはお前が最後ではないのだ。そんなに待つ訳にはいかん。戦いは続行する」
「……そうか。……ま、お手柔らかに頼むわい」
血の量によって、封じられる速度と時間は変化する。
極端な話、敢えて血を被せ続ければ、一日中動きを完全に停止させることだってできるだろう。
「……行くぞ……ヴァナベール」
突撃するラスドラーゴ。
何とか両手を身体に持っていき、一発目をガードするヴァナベール。
だが、二擊目の蹴りへの対応は間に合わず、モロに喰らってしまう。
「……!! 身体が……!! 思うように動かんわい……!!」
「……ヴァナベールよ。私の血が付着した状態では、それ程動くことは出来んのだぞ。本来ならばな。……お前は本当に大した男だ。私の魔能を受けて尚、私の攻撃に対応できるなんてな」
と、言っても――――
ヴァナベールは、身体に負荷を掛け続ける「最速モード」を使用し続けている。
最速形態で、一撃目を防ぐので手一杯。
一時間耐える?
奇跡が二度起こったとしても、それが不可能なことは分かる。
最速が維持できるのも後僅か。
考えなくても、窮地に立たされているのが理解できる。
それでもヴァナベールは――――笑って見せた。
何度目か知らぬこの逆境。
どう乗り越えてやろうか。
ラスドラーゴをどうやったら驚かせてやれるのか。
それを考えるだけで、生き血が沸いてくる。
この絶望を乗り越えた時、更に進化をしているだろうと。
この男との決着をつけたとき、更に速度を上へと伸ばせるだろうと。
そう想像するだけで、自然に笑みが零れてしまう。
そうやって、この年まで生き抜いてきたのが、ヴァナベール・ソルシードという男だ。
「……この状況で笑うか、ヴァナベール。お前のそういうところを越えたいと思っていた……。……全く残念だよ……」
三度突撃するラスドラーゴ。
ヴァナベールも突撃に備えるが、攻撃に身体が追い付かない。
ラスドラーゴの連続攻撃が、ヴァナベールの身体をズタボロにしていく。
ラスドラーゴ自身、この勝ち方に心から納得している訳ではない。
本心を言うならば、小細工なしの真っ向勝負でこの男を抜き去りたかった。
今回は無理だったとしても、何度でもリベンジしたいとまで思っていた。
だがそれは、互いにまだ時間が残っている場合の話だ。
ラスドラーゴにはこの戦いで、「聖鳳軍を倒す」という捨てられない使命がある。
次はない。
生きるか死ぬか。
これが最後だ。
決着は今、ここでつけなければならない。
「……これで終わりだよ……。ヴァナベール……」
と、思うのは自分への言い訳でしかないだろう。
彼は理解していた。
この血を使わなければ、ヴァナベールに勝つことは出来なかっただろう。
ラスドラーゴ自身は無意識という認識だったが、敗北を避けるため、血を浴びせようと身体を動かしていたのも事実だ。
彼は、敗けたくなかった。
死にたくなかった。
そして、「今日この場で決着をつけなければならない」という使命を抱けていたのも、彼にとって都合のいいものだった。
何処かでは分かっていた。
おそらく、いや間違いなく、生涯、ヴァナベールのスピードを越えることは出来ないと。
人間としての全盛期を越えていながらも更に速くなるようなこの男を。
たとえこの先どれだけの鍛練を積み重ねたとしても、自分では越えることの出来ない領域に、ヴァナベールは達していた。
『今日限り』という理由があることで、それを現実として思い知ることはない。
『もし、次があったら』と、未来の可能性に期待を寄せ、訪れる現実を見ないで済む。
彼は、諦めたくなかった。
「さらば……。我が最大の……」
勝負を決めに行くラスドラーゴ。
激しく息を切らすヴァナベールは、やはりゆっくりと、両手を。
……いや、右腕を構えた。




