145 sideA
ひとしきりシロの身体を触って確認した後、そっと地面へと降ろしてから言う。
「どこも異常は無さそうだね。……あれだけ手酷くやられたにも関わらず」
とても不思議だ。正直言って、シロが生きているとは思っていなかった。だって、奴によって、原型を留めないほど潰されていたのだから……。
「私は分神ですにゃ。本体に消されるか、神力が完全に枯渇しない限り……死ぬ事はありませんにゃ」
(ええ。ですが、かなり危険な状態ではありました。私の神力を供給していなければ……消滅していたでしょうね)
最悪は免れた。そういう事らしい。しかし、だ。シロと多少のギルド部隊員は助ける事が出来たけど、助けられなかった命は……かなりの数にのぼっている。元々九百人ほど居た部隊員は、今や五十人ほど。右翼を支えきるには、あまりに少なすぎる。
「シロと一部の冒険者や魔術師が助けられたのは幸い。だけど、戦況を考えると……不味いね」
「そうですにゃ。ただ、怒りの神人が愚かなお陰で……現状は助かっていますにゃ」
そう言ったシロは、防御陣地の外へと視線を向けた。なので、俺も外……敵軍へと視線を向ける。そして、首をひねる。
「なんで、敵は攻めてこないの? 絶好の攻撃チャンスでしょ?」
「それは、怒りの神人が命令したからですにゃ。『仇討ちを果たすまで手出しするな』と」
「じゃあ、ここを囲んでる敵兵の皆さんは……律儀にそれを守っていると?」
シロが頷いて応える。……確かに愚かだ。怒りに燃えるあまり、戦場だとは思えない命令を下した奴。勿論、その命令に盲目的に従う敵兵もだ。そして、奴がすでに死んでいる事にも気が付いていないのも、愚かさに拍車をかけている気がする。
ただし、それによって助けられているのだから、これ以上ああだこうだ言うつもりもない。それに……いい加減、シロが問い掛けたくてうずうずしているみたいだし。当然、その内容は……。
「ですので、しばらくの間は、敵からの攻撃は無いはずですにゃ。なので、訊かせていただきます。取り戻されたのですね?」
「……うん。制約は破られた。だから、思い出したよ。それに、全盛期ほどでは無いにしても、力の多くも戻ってきたっぽいね」
失っていた記憶と失っていた力について。そしてそれらは、不自然なほど自然に……俺の頭と身体に根付いている。俺は信頼の神トラストだった、と。しかし、解せない事もある。何故、制約が破れたのか?
「主様、おめでとうございますにゃ! ですが、きっかけはなんだったのでしょう?」
「分からないんだよね、全然。制約が破れる直前といったら、真っ黒な感情に染まってたくらいなものだし……」
そう言った後、あの時の事を考えてみる。驚き、悲しみ、恐れ、怒っていた。そして最後に、心の底から奴を嫌った。そうしたら、色々なものが壊れた。制約もだけど、神性の器もだ。黒く穢れた器の外周が溶け落ちて、随分小さくなった神性の器。その結果、これまでしっかり嵌っていなかったそれが、人の身を得た俺にもピタッと嵌った。……だからか!
閃いた俺は、それをそのままシロへと説明してみた。途中、猫らしからぬ百面相で聞いていたシロだったけど、聞き終えた後……神妙な面持ちを浮かべながらこう訊ねてくるのだった。
「神性が穢れる事が覚醒の条件だったとするならば、以前の魔人ダスターの行動は……主様に制約を破らせようと画策していたって事ですにゃ?」
ダスターの行動? そう聞いて頭に浮かぶのは、いくつもある。大氾濫を発生させた事やそこでの実験、ハイランドさんへの襲撃に逃亡するよう忠告なんてものまで。シロは、その中のどれを指して訊ねているのだろうか?
「具体的には、ダスターのどの行動を言ってるの?」
「今思えば、そのほとんどがですにゃ。ですが、最も分かりやすいものを挙げるなら、『大鬼の巣窟』のオーガキングの一件ですにゃ」
オーガキングといえば、憎悪を力として扱う実験の被害者だったはず。そして、俺がその憎悪に当てられて暴走。神性の器が穢れたという一件だ。確かにそこだけで考えれば、ダスターの行動は……俺の覚醒を促そうとしているようにも思える。しかし、始めからそれが目的だったかと訊かれれば、違うだろうと答えたくなる。
あの時のダスターは、俺の肉体を本気で壊しに掛かっていた……たぶん。だから、あくまで第一目標は、俺の身体を殺す事。それが無理だと悟った事で、神性を穢すという手段に出たのだと思う。そこに、俺の覚醒促進が絡んでいるかは不明だ。よって、答えは……。
「分からない。そうだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれないね」
「……そうですにゃ。確かに、こちらに都合の良い解釈が過ぎましたにゃ。情報が足りていない中での推測は、あまりにも危険ですにゃ」
「そういう事。ただし、次に顔を合わせる事があれば……俺の権能で読み解けるかもしれないけど」
記憶と力が戻った事で、借り物の”癒し”ではない、本来の俺が持つ”理解”の権能も……自在に扱えるようになっていた。ただ、この”理解”の権能は、目覚めた直後から一部だけ利用できていたらしい。他人の心の色分け。俺に対する信頼を、白黒で見せるあの能力だ。なので、全てを利用可能となった今は、他人の信頼以外の感情は勿論……考えている事だって覗き見る事が出来てしまうだろう。
「……本当に、全てを取り戻されたのですね」
疑っていた訳では無いだろうけど、俺が自身の権能を理解して使うと宣言した事で、シロの半信半疑だった部分も氷解したのだろう。
ただ、長々と話し込んでいる内に、戦況が動き始めてしまったようである。これまで黙って見守っていたであろうラブが、申し訳なさそうに声を響かせる。
(主様、覚醒おめでとうございますと浮かれていたいところですが、敵軍も流石に動くようです)
俺たちの居る右翼防衛陣地を囲む敵兵たちも、そろそろ痺れを切らし始めたようだ。奴からの次の指示が無い事を不思議に思い、攻撃を再開しようとの動きが見て取れる。……時間切れだ。
「じゃあさ、俺なりのやり方で……力を見せたほうがいいよね?」
神性の器が削がれているとはいえ、俺の身に宿っている力は……膨大。右翼で相対している敵兵だけでなく、敵全軍を一瞬で殺し尽くす事も可能だ。だけど、それは俺らしくないやり方だ。だから、俺らしいやり方……誰一人殺さず、敵軍の戦意をズタボロにしてみようと思う。
「主様、一体なにを?」
「まあまあ、見ててよ」
俺は手始めに、魔法を発動させた。その魔法というのは、ラ=ズンダ村で使っていた「土壁を作る創作魔術」という名の魔法。ただし、その規模は……あの頃とは比べ物にならない。だって、右翼だけじゃなくて……味方側全域の木柵という木柵全て、強固な土壁へと変貌を遂げたのだから。
「主様、恐るべき魔法ですが……これだけでは時間稼ぎにしかならないですにゃ」
「分かってるよ。まずは、万が一に備えて守りを固めただけ。次が本命だよ」
足にぐっと力を込めた後、跳躍する。空高く飛び上がった俺は、ちょっとした城塞群となった防衛陣地を越え、突然の出来事に呆然としている敵軍すらも飛び越えてから……着地。単身、敵軍の本陣前へと到着した。そして、神々の特権ともいえる交信の術を使い、この戦場にいる敵兵全てへと声を届ける。
(俺はシルバ・トラスト。愛の神人にして、信頼の神人。これより、神罰を執行する!)
そう宣言した後、俺は魔法……いや、神罰を発動させた。
天より降り注ぐ、無数の細い光の筋。それらはあまりにも正確に、全ての敵兵の両腕のみを貫いていく。威力こそ大したことは無いだろうが、貫かれた腕では……武器や盾など持ってはいられない。敵兵たちは悉くが装備を手放し、防ぎようのない未知の攻撃に恐れ戦いていた。
なので、追い打ちだ。力ではなく、言葉でだが……。
(大人しく逃げるのであれば、赦そう。しかし、歯向かうというのなら……)
そう伝えた後は……早かった。敵兵のほとんどは、必死の形相で逃走を開始。本陣前に佇む俺に見向きもせず、敵軍は総崩れとなったのだった。




