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魔法の杖

「ワッ!」


恵一はビックリしてスマホを落っことしそうになった。


「こんな場所に、暗いから危険ですよ。」


──ヤバッ!警察?


突然聞こえた穏やかなテノールボイス。この場所には不似合いなイケボだ。


「えーと、す、すみません!な、何もしてないです!勝手に入ってすみません。」


逆光でシルエットしか分からないが、背の高いすらっとした男の人だ。ゆっくりと近づいて来る。


──ワーッ……マズイよ……何ンかやばくない?こんな廃工場に、これじゃまるっきり不審者じゃん!!


「えーと……何もしてないっていうか……えーと……その、車が……あ、いや……ね、そう!ね、猫が……ん?」


──ん?逆光だからよく見えないけど制帽がない……警官じゃ……ない……の?


「──ネコ?」


懐中電灯よりも細い灯りで恵一の胸元を照らし、イケボの主の足取りは警戒感を見せることなくゆったりと自然だ。


「は、はい……猫が……入っていったか……ら……」


──ウ、ウソじゃないよな……さっきいたのはきっとネコだから……ウーン……灯りのせいでシルエットしか分からんっ!あぁ…やっぱり警官じゃない。誰?ここの人?どっちにしてもヤバイことには違いないけど、うわっ!背、たかっ!


「ふーん、ネコね……ま、いいけど、この廃工場は古いから危ないよ。もう暗いしね。バイクで来たの?足元照らしてあげるから一緒に出よう。」


「あ、ああ、はい、すみません、ありがとうございます。」


「いや、いや。危険だから前から取り壊すか、せめてゲートをキッチリ施錠してくれと何度も要請してるんだけどね」


「は、はぁ……」


「市街地と違って、ここらは同じような廃工場や潰れた商店がけっこうあるみたいで、行政も追いつかないらしいんだ、それに──」


優しそうなイケボでしかも警官ではなかったことにホッとしつつも、恵一の方こそ突然現れた男を警戒しながら出口へと歩いた。


歩道に出てくると辺りはまだ完全な暗闇ではなかった。あらためて街灯の下で、イケボの主を見る。


──エッ?日本人じゃなかったの?


あまりにも流暢な日本語だったので気が付かなった。それにこの顔どっかで……


そう思ったとき、そばを通り過ぎる車のヘッドライトが、まるでステージのフットライトのようにイケボの主を照らした。


「ジョン・カートレッ──ット!うわっ!」

「Oops!危ないッ!」

危うくハンドルから手を放しそうになり、恵一はすんでのところで腕に力を込める。


──フーッ!ヤバかった!!


身体中の毛穴から汗が噴き出す。


「嬉しいね!ボクのこと知ってるんだ。」


伸ばしかけた手を引っ込めジョン・カートレットは、誰をも虜にするような美しい笑顔をテノールにのせた。


釣られた魚のように目や口をパカッと開いたまま恵一は固まっていた。


メリッサをずっと追ってきた。それこそ一ヶ月以上、しかし、目の前にいるのはジョン・カートレット?どうして彼がこんなところに?何が何だか分からない。

現実味のない出会いに再びバクバクと心臓の音を全身が聞き始め、妙に手足に力が入る感覚があるのに自分の体が他人のように感じられた。感動?興奮?


ジョンは引っ込めた手で前髪をかき上げると、優しい笑顔を浮かべた。


漸く唇を閉じると喉が勝手に上下に動き、それをきっかけにゴクリと唾を飲み込む。恵一は息を整えるとオズオズと話しかけてみた。


「……ん……と……ジョ、ジョン・カートレットさ……ん?ですよね?」


「はい、ぼくはジョン・カートレットです。」

ジョンはショーで魅せるようなキレイなお辞儀をしてみせる。


「マジシャンの……?」


「ええ。マジシャンの。君は?」ジョン・カートレットは自然な仕草で恵一の名前を促す。


「オレ……ぼ、僕は楠、楠 恵一といいます。えっと、に、に、日本語上手ですね……」


「そう?ありがとう!!いっぱい練習したからね!」


「あ、で、ですよね……」


「うん!日本語って難しいよね!」と、ジョンは屈託のない笑顔を浮かべる。


──な、なんか想像してたのと雰囲気が違う……ショーではもっとクールな──


「特にね、イントネーションがさぁ──」


想定外の状況に喜んでいいのか戸惑う恵一に、ジョン・カートレットはまるで昔からの知り合いのようにペラペラと楽しそうに話す。


ジョン・カートレットは美術館で見かける彫刻のように整った顔で、ネットで見たよりもずっとカッコイイ。

どこで購入したのか裸足に雪駄、ジーンズに白いシャツという砕け過ぎる格好、さらには片手に買い物袋(?)という庶民的な要素が、人間離れした彼の美しさを盛り上げる街灯の淡い光によってまったく打ち消されている。


日本では認知度が低いとはいえ、芸能人だ。最近では物騒な事件も多い。初対面でしかも一般人に向かって軽すぎないか?ファンサービスなのか?

それにしても、よくしゃべる。素性を知らなければ、日本びいきの外国から来た陽気なイケメンのお兄さんだ。多少、イントネーションがおかしなところがあるが、日本語はほぼ完璧だった。


──な、なんかしゃべらないと……でも……なんというか……すごい気さくな


「──で?赤い車を追いかけて来たって?公園からバイクで?」


「え?あ、はい──え?い、いえ──え?」


──オレ…追尾して来たこと話したっけ???


「ふーん……そうかぁ、恵一くんの家は公園に近くなの?」


「──えっ?家?あ、はい……」

思考が追い付かない恵一は、条件反射のように素直に対応してしまう。


「そうなんだ!けっこう距離あったでしょ、ご苦労様でした。おっと!そう言えばお腹空いてない?夕食まだだよね?うちで食べてく?」


「はいィ?」


突拍子もない提案に脳がさらにパニックを起こす。と、その時、再びスマホのバイブ音が響いた。


「──ッ!」


車が通る事が殆どなくなった静まり返る歩道に、ブーブーとバイブ音が鳴り響く。


──なんだよッ?!こんな時に……恵一は心の中で舌打ちをした。


「……?出ないの?」


しつこいバイブ音に、ジョンが優しく問いかける。


恵一は少し迷ったがスタンドを立てヘルメットをバイクのハンドルにかけると、スマホを取り出した。起動して確認するとやはり茉莉だった。ジョンとスマホを交互に見ると、ジョンはどうぞと手の平を差し出し頷いた。ラインの通話をタップする。


「──あぁ茉莉……何?」

『──もうっ!やっとでたぁ!お兄ちゃん、今どこにいるのよ!』


「ウーン……どこって……何?なんかあった?」

あまりにもデカい声なので耳からスマホを少し離す。


『もうッ!やっぱり忘れてるっ!今夜は私の初手料理食べてくれるんでしょっ?!昨日の晩に約束したじゃない!』


「えーと……そ、そうだっけ?おまえ声、声デカい……」

スピーカーフォンではないのに会話が筒抜けのようで恥ずかしい。


『声なんか関係ないでしょ!!だいたい、お兄ちゃんはいつも──』


ギャンギャン騒ぐ声に恵一が焦っていると、急に横から手が伸びてきてスマホが奪い取られた。いつの間にかジョンが直ぐそばまで来ている。


「大丈夫ですよ!恵一くんは今から帰りますから、あなたの愛情がこもった手料理を楽しみにして」


「『え?』」


二人が声を上げると同時に、ジョンは何事もなかったようにスマホをすっと返す。そして、首をコテッと傾けニッコリと微笑んだ。


「!!……あぁ、うん、そう!今から帰るから、じ、じゃあ」

『え?え?ちょ、ちょっと待って、さっきの誰?おにい──』


茉莉が言い終わらないうちに恵一はサッと通話を切った。ジョンに向き直ると彼は相変わらずニコニコしていた。


「……えっと……あ、あのう……」


恵一がしゃべり出すと「あ、そうか!」と思い出したようにジョンは買い物袋を下げる手ともう片方の手を大げさにポンと打つ。袋から頭を出していたゴボウがその振動でピョンと跳ねる。

買い物袋から覗く庶民的なゴボウ……マジでミスマッチだよな……とジョンの手元に視線を向け今更ながら思った。


「やっぱり、ここからじゃ家が遠いよね?」


「へ?」


「うん!そうね!ボクが送ってあげよう!」


──は?何言ってんの?そりゃあね、ちょっと距離あるよね?今からじゃ家に着くのは10時近くなる。──えっ?送るって、いやいやバイクで来てるか……ら?


恵一の困惑に構わず、ジョンは勝手に「うんうん、妹の手料理だもんね!うん!遅くならない方がいい!」などと言いながら買い物袋からゴボウを取り出した。


──え?ゴボウ?何故に??


「OK!じゃあね、恵一くんバイクのハンドル握って!んーと、両手がいいかな?そうそう!スタンドはそのままね!」


「え?え?何?ハ、ハンドル?」


もう何が何だか分からない──恵一はジョンが何をしようとしているのか、さっぱり分からず、言われるままハンドルを握り締めた。


「そうそう!OK!ああ、そうだ、恵一くんはジェットコースターとか大丈夫な人?」

「はい?」──なぜ?


「ジェットコースター!ウーンと、そう!バンジージャンプとか?」


「キ、キライじゃないです。と、得意でもない……です……けど?」


──うん!得意ではない!だから、何故、今そんなことを聞くっ?


恵一はよく分からない不安を感じながら、ニコニコ顔のジョンに答えた。


「じゃ、大丈夫だね!」


──大丈夫って……そんな満面の笑み……何?何するの?怖いんだけど──


「そうだ!ディナーがダメなら明日のランチはどうだい?時間ある?──まだ夏休み中だよね?」


「どうランチ?」


ジョンはたぶん父親に近い年齢だと思われる。だが人懐っこくて、まるで大きな子供のような年齢不詳の不思議な人だった。先程出会ったばかりとは思えない気さくさで明るく誘ってくる。だからなのか、思わず返事をしてしまう。


「は、はい──」

──わぁ~!初対面でなに了承してんの、オレ!……いや、ラッキーなの、か?


「ホッ!そう!よかった!最近ハマってる料理があるんだぁ!」


「はぁ、なるほどハハハ……」


恵一の複雑な心境などお構いなしに、まるで芝居のように大げさに胸を撫でおろす仕草が様になる。普通の人がやると滑稽だがイケメンは何をしてもカッコイイ?


「そうそう!その時あらためてメリッサを紹介するね!」


「──ッ!」


──そうだよ!メリッサ!彼女を追って来たんだよッ!何やってんのオレ…メリッサに会いたいからここまでッ!彼女は普通じゃないんだ。彼女はきっと……


「メ、メリッサさんは、そ、その……えっ?!」


「さあ!急ごう!はいはいヘルメット被って!ハンドルはしっかり握って!」


言うやいなやジョンはいつの間にか手にしていたヘルメットを、スポッと恵一に被せる。そして──エッ?と思う間もなく腕をまわしてガシッと肩を組んできた。


「──ッ!!」


「さあ!行こうかッ!」


慌ててジョンの方へ顔を向けようとしたが、ヘルメットが邪魔で彼が振り上げた手元しか見えない。シールド越しに見えたのは指揮者のように軽く握ったゴボウ──


──ゴボウじゃな……い……


急に目の前がぼやけた。


エッ?と思った瞬間、身体が宙に浮いた感じがした。次いで内蔵が喉元までせり上がり──


──ぐえっ


吐きそうになると同時に全身が雑巾のように絞られ、排水口に引き込まれる水の如く洪水のような色の渦に足元からグイッと吸い込まれた。


──な!なに~~~?す、吸い込ま……れ……る~ぐぁ~!!!まじか~!ぐえ~っ!し、死ぬ~も、もう……は、吐く……


内蔵がグチャグチャにかき回され、恵一はバイクにしがみ付き急激な吐き気と戦うことしか出来なかった。メット越しでは聞こえるはずがないジョンの楽し気な笑い声が、頭上からした気がした。


──ゴボウなんかじゃない!あ、あれは……魔法の杖……



「──ん……くん、恵一くん!」

「……」


どのくらいの時が経ったのか、上の方から自分を呼ぶ声がする。心と身体、内と外が漸く一体感を得ると、恵一はつむっていた目を恐る恐るこじ開けた。


「……っ!」


「クスッ……お疲れ様です。着きましたよ。」


恵一はゆっくりと辺りを見回す。


──う……また吐き気が……。


暗くてよくわからないが、たくさんの木々に囲まれているようだ。山の中というわけではなさそうだ、車の走行音がすぐ近くにあり、街特有の気配が感じられる。


「……ここは……?」


「あぁ、ごめん。暗いよね」


すぐそばで明かりが灯った。懐中電灯だと思っていた魔法の杖の先が耀き辺りをほのかに照らす。


──ハハハ……明る~い……そりゃあ……そうね……魔法の杖だもんね……


ジェットコースターで揺さぶられた後のような軽い吐き気と浮遊感にげんなりしながら、現在地を特定しようともう一度辺りを見回すと、途端にせりあがる胃液。恵一は慌てて口元を手で覆う。


──クソー!頭ふると余計に気持ち悪い……ここ、どこさ?


「Oh!!大丈夫?初めてだからねー」と言いながら、ジョンは「マルぺ(回復)」と呟き恵一に向けて杖を軽く振った。


さっきまでの気持ち悪さが噓のようにスーッと消えていく。


「──ッ!」


──な!ハ……ウソだろ?こんなんも出来ちゃうのか?……マジでか……ハハハ…もう何にも驚かないぞ!


「ここはね、公園だよ。キミの家の近く」

「……?」

「ほら!公園、公園!メリッサのマジックショー!」


「──ッ!」


──エッ?まじで?


「クスクス……もう暗いけど、街中だとまだ時間的に人目があるからね」


「公園──」


「うん、ステージと駐車場の間だね」


──なるほど……言われてみれば……


「──さあさあ!早く帰んないと!もうすぐ8時になるけど、日本だとまだ夕食の時間に大丈夫だよね?はいこれ!ヘルメット。さあ!茉莉ちゃんの手料理!手料理!」


「え?は、はい、え?」


──?ヘルメット、いつの間に!……って、茉莉の名前教えたっけ???


恵一にグイッとヘルメットを押し付け、ジョンはまるで自分が茉莉の手料理の招待を受けたかのように、嬉しそうに恵一の肩をポンポンたたいた。

ヘルメットを腕にかけ、急かされるようにスタンドを払いバイクの向きを変える。


──あ、そうだ。一応、送ってくれた(?)ことと体調戻してくれたお礼言わないと……


「あ、あのう、あ、有難うござ──エッ?」


振り返ると、ジョンは恵一の身長ほどの高さで空中に浮かんでいた。


「!え?え……!!!」


「じゃあね、恵一くん!茉莉ちゃんによろしくっ!明日のランチ!忘れないで!11時半頃迎えにゆくよォ──」


そうセリフを残し、ジョンは空気に吸い込まれるように消えてしまった。


シーンとした木立の中で、恵一は振り返った姿勢のままジョンの消えた辺りを呆然と暫くの間眺めていた。長編映画を鑑賞した後みたいに呆けた感じがする。


──き、消えた……オ、オレ…何してたんだっけ?ジョン・カートレットと……えっと、ゴボウじゃなくて魔法の杖で……


魔法使い……空想や夢の世界だと思っていた。天地がひっくり返ったような一日だった、身に起きた出来事が次々と脳裏に浮かぶ。


──ガチですか?魔法使い……ジョンがそうならメリッサもきっとそうなんだろうな……怖いようなワクワクするような……


暗闇の中、突っ立ったまま童話に登場する魔女のようなメリッサの姿を思い出していると、突然ラインの呼出コールが鳴り響いた。ボリュームは最小限に設定してあるのに、やけに大きく響く。


「──ッ!」


──きっと茉莉だ!クッソーッ!!ドキドキが多すぎない?オレの心臓大丈夫?


だがコールのおかげでファンタジーの世界から現実に戻れた。恵一は大きく息を吸い込むと同時に肩をすくめフッと一気に脱力すると、家に向かって漸く一歩を踏み出した。


しぶとく鳴り続けるコール音えを現実世界へ引き戻す安心アイテムのように感じながらバイクを押し歩き、木立から抜け出た時にふと気付く。


──え?何だよ!迎えに行くって?家を知らんでしょ!!なんだかなぁ……何ンかちょっと天然ポイっていうか、あの人……ランチねぇ……どうなんの……オレ……


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