魔女のマジックショー
今日こそは。
恵一は、まるで呪文のように心の中で繰り返し呟いた。
──今日こそは見つける!
そう決心して来たのに、目の前の公園の野外ステージはガランとしていた。
「クッソー!ここもダメかぁ」
自転車のスタンドを立てると、脱力ぎみにドサッとベンチに座った。
恵一が公園巡りを始めたのは1ヶ月ほど前。
溶けてしまいそうな酷暑が続き、最早、四季など無くなるのではとみんなが思い始めた7月の中旬、不思議なマジックショーに出くわしたのがきっかけだった。
──光に包まれた絵本。
──生きているかのような人形。
──見終えた後の懐かしいような、嬉しくなるような心地よい幸福感。
今まで見たことも感じたこともない魔法のようなショーだった。恵一はため息をつくと空を見上げて手をかざす。
あの日も、こんな風に蒸し暑かったなぁ…と、眩しさに細める瞳の色が少しグリーンぽく見える。
──もう一度逢いたい……あの魔法使いのお婆さんに……
あの日は、湿気がしぶとく纏わりつく鬱陶しい日だった。
ベッドに寝転がっていた恵一は起き上がると、チッと舌打ちして前髪を無造作にかき上げた。ベランダに通じる掃き出し窓のカーテンの隙間から外を見る。
夕方の4時になるとは思えない日差しに眉を寄せ、スマホを尻ポケットに突っ込んだ。
──よしっ!イライラしても仕方がない。
キャップを被ってクーラーのきいた部屋を出ると直ぐに襲い掛かる熱気に、一瞬息が詰まる。
ひっそりとした家の中の気配を確かめると、恵一は久しぶりに家の外に出た。
手入れが行き届いた庭を通り抜けガレージ横の門を開け、左右に真っ直ぐに延びる道路を右手に向かった。十数年前に区画整理されたこの区域は、東西の大通りを垂直に帯状の公園を中心にきれいな碁盤の目になっている。
恵一は自転車で出かけなかったことを後悔していた。
──マジかっ?!アッツー!!
わずか2ブロック先の大通りを隔てたコンビニに向かっただけなのに、汗でまとわりつくTシャツが気持ち悪い!
充電用ケーブルのついでに、ペットボトルの麦茶と吸うタイプのラクトアイスを購入。ヒンヤリとしたペットボトルとアイスが心地良い。とにかく暑い!!
店を出ると直ぐにアイスを口にくわえた。
──?なんか静かだと思ったら、いつも屯している学校帰りの中学生たちがいない?やっぱ、この暑さのせいか?
恵一は目を細めて空を見上げた。この殺人的な暑さには庇の影など関係ない。
──あぁ、違うわ、今日、日曜だ!!
学校に行かなくなってからそんなに経ってないように思っていたが、曜日の感覚がおかしい。ため息をつき、キョロキョロとゴミ箱を探す。
──そうだった。ごみ箱は撤去されたんだった。
クッソー!めんどくさっ!!灰皿スタンドはあるのになんでだっ!!
再びチッと舌打ちし、食べ終わったアイスの袋をギュッとねじってケーブルの入ったレジ袋に突っ込んだ。水滴が気になったが、ケーブルはケースに入っているので大丈夫だろう。
アイスで甘ったるくなった口を漱ぐように麦茶を二口ほど飲む。公園の木陰を突っ切たら暑さがマシだろうと、恵一は公園の入り口に向かった。
公園には東大通りよりに野外ステージがある。
つい最近まで知らなかったが、アマチュアバンドがコンサートを開いたり、学生たちがダンスの練習に借りたりと利用者が多いらしい。公園を囲む大きな木立のせいか騒音に悩まされた事はない。
この区域は、市長肝いりで作られたモデルシティーだと誰かが言っていた。
──どうでもいいけど!
奥に進むにつれて賑やかなリズミカルな音楽が聴こえてくる。コンサートでも行われているのだろうか?
──この暑いのに…物好きな…こんな日は客など来ない。学生たちのダンスの練習かもな…はいはい!勝手に青春やってくれ!
風がないからか、歩いてきた木立がそれほど涼しくなかったことを腹立たしく思いながら、恵一は家の近くへ出る2つ目の北口へ向かう。
脇道へ出る前に麦茶を飲み切ろうとペットボトルの蓋を開けた時だった。
「ワーッ!!!」
なんだ?すると再び「ワーッ!!」という歓声。
恵一は飲みかけたペットボトルの蓋を閉じ、家とは反対側、野外ステージの方へと足を向けた。
──?なんか涼しい?
エアコンのきいた屋内とまではいかないが、観客席を含む一つの空間にいくつもの冷風機が設置されているかのような心地良い風を感じる。
もちろん屋根はない。
夕方とはいえ日差しはまだ頑固に居座っている。
野外とは思えない爽やかさとは反対に観客たちが再び興奮交じりの歓声を上げる。観客席はほぼ埋まっていた。4~50人はいるだろうか?
──へーっ!マジックショーだ。
マジックショー自体は珍しくないのだが、マジシャンの出で立ちが面白い。雪のように真っ白な髪が真っ黒なマントのフードからのぞいている。目尻や口元に描かれるシワなどからかなり年寄りだと思われる。
──んん?いや、見かけほど年いってないのか?
魔法の杖らしきものを握る艶やかな手や、軽やかな動作がアンバランスに思えた。
日本人ではないらしく、高い鼻に青い瞳。映画やマンガなどでお馴染みのザ・魔女の風貌は滑稽なほどだ。
──「シンデレラ」の魔法使いのおばあさんソックリだな。
懐かしい気持ちになるわけだ。と一人で納得する。
マジックショーお決まりのチープなバックミュージックが流れている。
ステージ脇の壁の下のほうに設けられたパイプ椅子に、シルクハットが仰向けにちょこんと乗せられ、椅子の背には「なげせん箱」との貼り紙があった。壁に掲げられた「マジックショー」の垂れ幕と同じようなお世辞にも上手くない手書きの文字。
観客は子供連れの親子や老夫婦が多く、学生のカップルらしき二人連れがところどころ。ショーは盛り上がっていて皆がステージに集中していた。
──今時、手書きなんて……ショボいショーだったらさっさと帰ろう!しかし……なんでこんなに涼しいの?ここ……
熱くなっているはずのコンクリートのベンチも、触るとヒンヤリしている。
──うん……どうせ暇だし……涼しいし……
恵一は端っこの空いたベンチに腰を下ろした。
途中からだし、ただの暇つぶしと夕涼み?だと思っていた恵一は、マジックショーに一気に引き込まれる。なるほど……皆が興奮するハズだ。
古ぼけた黒いカバンからは、ありとあらゆる物が出現し、また消失していった。
大した舞台道具はない。
よくある黒い暗幕すら張っていない。
有り得ない大きさの物がカバンから取り出される度に歓声が上がる。しかも、杖を一振りするだけで、勝手に飛び出してくるのだ。
──すげーっ!!ありえない!
と、不意に音楽が止まる。
ステージ端のカーテンがサーッと開くと、中から園児くらいの女の子が出てきた。
──え?女の子?……違う!人形だ!
瞬きのない大きなガラスの目、陶器で出来ている白い顔、母親が大事にしているビスクドールに似ている。
──え?歩いてる。マジで?ロボット?スゲーッ!何これ!!
よく見ると人形の顔は煤で汚れ、ボロのドレスを着せられている。そして何故か箒を持っていた。
魔法使いが人形に向けて杖を一振りする。
すると、人形は命を吹き込まれたかのようにウーンっと伸びをし、魔法使いが見えていないかのように一人(?)箒で掃き掃除を始めた。
──マジですげーっ!!最近のロボット!!
あっという間に恵一はステージに釘付けになった。
勝手に動き回る人形の動きに気を取られて気付かなかったが、いつの間にか魔法使いがいない。
ステージの中央、椅子の上あったあの古ぼけたカバンも消えている。
ディズニーの曲が流れだす。
人形は椅子までトコトコ歩いてくると、膝を付き座面で手を組みお祈りを始めた。
すると突然、マジシャンの魔法使いがポンッとビンの蓋を開けたような音と共に人形の側に現れる。
──うわっ!!ビックリした!だからどうやって?!
カバンからカボチャやネズミ、トカゲ(もちろん作り物)を順に取り出し、魔法使いは歌うように踊りながらキレイに床に並べていく。
くるりと観客のほうへ身体を向け、ニッコリ微笑むと、子供達がわっと声を上げる。
──やっぱりシンデレラか。
床に並べたアイテムに杖を向けると、呪文(?)のようなものを唱える。
お約束どおり!カボチャは馬車に、ネズミとトカゲはそれぞれ、御者と馬に変身した。
──ちっさ!けっこうミニサイズ!人形の大きさに合わせてるのか?
「可愛い!!」と思わず声を上げそうになって、慌てて口に手をやる。
魔法使いが続けて杖をもうひと振り、すると今度は、みすぼらしい人形がレースやフリルで飾られた美しいお姫様に変わった。
子供たちだけでなく大人もみな歓声を上げながら立ち上がる。恵一も思わず立ち上がってしまった。
今度はカバンに杖を向けて8の字を描き、空の方に杖を引き上げると、カバンの中から1メートル四方位の大きな絵本が、ゆっくりと浮かび上がった。
絵本は魔法使いの頭上2メートル位のところで止まり、銀色に輝きながら、勝手にページがパラりパラリとめくられてゆく。
そしてある個所を開くとスーッとステージに降りてきた。
観客達から再びワ─ッと声があがった。
よく見ようと、立ち上がって前のほうにやって来る子供達もいる。
魔法使いが子供達にニッコリ笑いかけ、シンデレラの登場人物達を囲むように杖で円を描くと、杖先から銀色のリボンのようなものが飛び出し、彼らの周りを回り出した。
いつの間にかシンデレラが馬車にちゃっかり乗っている。
──エッ?いつの間に?
再び杖を振ると、シンデレラを乗せた馬車や御者達がみるみる小さくなりはじめ、とうとう身の丈20センチ程になった。
しなやかに杖が振られるたびに、信じられない事が起こる。
大きなシャボン玉のような透明の球体が小さくなった彼らをくるみ、球体はそのまま空中をフワフワと飛んで、先ほどの大きな絵本の開かれたページに吸い込まれて行く。
絵本が杖に操られ客席に良く見えるように向きを返ると、馬車の中から手を振るシンデレラと御者の挿絵が見えた。
大きな拍手が沸き起こった。恵一も我を忘れて思いっきり拍手していた。
再び杖が向けられると、絵本は独りでにゆっくり閉じ、床に降りてきた。
魔法使いが古びたカバンから美しいコバルトブルーの布を取り出す。そして、両手で丁寧に絵本を覆った。
一瞬、布の中で何かがゴソッと動いた気がしたが「えっ?」と思った瞬間、布がパッと剥ぎ取られた。
そこには、山ずみにされたA4サイズくらいの絵本があった。さっきの巨大な絵本は、影も形も無い。
魔法使いはしゃがんで子供達の目線に合わせると、ニッコリ微笑み一人一人に絵本を配っていく。
──あんな華奢な手であの凄いマジックを……白くてキレイな手……
どういう訳か、絵本は過不足なくピッタリ子供の頭数でなくなった。
脱出や炎が出るような派手さはないが、ファンタジー要素の濃いマジックショー。とにかくテクニックが凄い!まったくタネや仕掛けが分からない。
マジシャンという人達は本当は超能力者や魔法使いではないか、と本気で思っていた子供の頃を思い出す。
──日本人ってマジック好きだよな。江戸時代にはもう「手妻やからくり」が流行ってたらしいし。テレビやYouTubeなんかでも、マジックショーは高視聴率、最近は種明かし専門の番組だって人気だしな。
今はテレビをあまり見ないが、母親の百合子がマジックショー好きということもあって、幼いころはマジックの番組があると一緒によく見ていた。
ただ父親は「マジックなどくだらない!」と毛嫌いしていたので、彼が出張などで家を留守にしている時に限ったが。
──何だろう…テクニックが凄かった…うん…感動したし…でもそれだけじゃない……何これ幸福感?それにあの魔法使いのお婆さん、誰かに似てるんだよな……この懐かしいような、嬉しいような気持ち……
恵一は、暫くの間ボーっとしていた。
不意に外灯が一斉に灯る。
──あぁ公園の野外ステージ。何時だ?今……
恵一は夢から覚めたような気分だった。
興奮冷めやらぬ観客達のざわめきが急に耳に入って来る。
「──ろかった。今日は先週と同じ『シンデレラ』だったね」
恵一の後ろに座っている品のいい80代くらいのお爺さんが、同年代らしいお婆さんに話しかけている。
「そうね!昨日は『オズの魔法使い』だったわね『シンデレラ』は二回目だけど、やっぱり面白かったわァ!!」
「先週から続けて今週もまた見に来るって、ちょっとどうなの?って思ったけど、来て良かったなぁ」
「次回の案内が出てないから、ここでの公演は終了かしら?残念だわ~」
「今日は最初に投げ銭入れておいたよ」
「先週は帽子に気がつかなかったから、申し訳なかったわ。タダで──」
「そちらは3回目ですか?」
彼らの後ろに座っている人の良さそうな別のお爺さんが、微笑みながら尋ねた。
隣にいる娘さんらしい女の人もニコニコしている。
「ええ!そうなんです!あのマジシャン、私と同じ年くらいに見えるでしょう?すごいわよねェ。先週の日曜日に偶然このショーを観て、一気にファンになっちゃいました!私達夫婦もマジック教室に通おうかと、二人で今話してるところなんですよ」
興奮しながらお婆さんが扇子で仰ぎ始める。
「まぁ二人で楽しむ程度で、ボケ防止にね。」
お爺さんはカバンから水筒を2本取り出し、ハハハと楽しそうに笑った。1本を連れのお婆さんに渡すと自分用の水筒から一口飲んだ。
盛り上がる会話に聞き耳をたて、恵一はここでのマジックショーが終了であることを知る。残念だと思うのと同時に夢から現実に戻ったからか急に暑さを感じ出した。
「このマジックショー、YouTubeで紹介されてたんですよ。公演場所は別のところでしたけど。」
娘さんらしい女の人が自慢げに話しながら、カバンからペットボトルを取り出す。
「え?そうなの?」
「ええ確か先月。〚偶然ボクが見つけた凄い人!!〛っていうサイトでショーの一部が紹介されていたんです。
手作りキッチンカーとか、今どき珍しい靴磨きのおじさんとか?他にも色んな人やお店が紹介されていたんですよ。その中でも何故かこのマジックショーだけものすごく惹かれて、実際に観たいなって。イギリスで人気のマジシャンなんですって!!
ウフフ……紹介されてる時に次回公演の案内がチラッと映ってたんです。ラッキーでした!私たち4回目ですよ!土日で開催されるみたいですね。」
隣りのお爺さんはウンウンと笑っている。
「YouTubeで観た時は、あの魔法使いのお婆さんとカッコイイ男性と二人のコンビマジックでしたけどね。父がマジック好きなので誘ったらはまっちゃって……」
ウフフと女の人がまた楽しげに笑った。
「──ママーまた見に行きたい!!」
ステージの真ん前に座っていた親子ずれに目をやると。小学生くらいの女の子がお母さんの手を掴んでブンブン振っている。
「僕も僕も!!」
「ハイハイ!でもねーママも次にどこでやるかわからないのよ」
「えーっ!!やだやだ!!また見る~!!」
「う~ん……でもね~次回公演の案内出てないから~」
両側から子供たちに手を引っ張られて困っていた。
「──いや、だからあのマジックは…」
「──っとにマジで仕掛けがわかんねー」
「──エッ?あれ人形?人じゃないの?」
興奮冷めやらぬ会話があちこちから聞こえる。
アニメや映画になったオズの魔法使いやシンデレラの話で盛り上がる中学生っぽい女の子たち。絵本を読み出す子供たちを何とかなだめて帰りを促す親たち。改めて見渡す、けっこうな人数がショーを見ていたのだ。
辺り一帯の気温が更に上昇したように感じる。
恵一はムズムズしてきた首の後ろを掻いた。鏡がないと見れないが、星型の痣が浮かび上がっていることを、またか、と想像する。子供の頃から、感情が高ぶったり怒ったりした時に起きる症状だった。
──クッソー!またアレルギーか!!あぁ、ムズムズするっ!なんで首だけ!暑くなってきたから?さっきまで魔法がかかったみたいに涼しかったのに……
そうかぁ、この公園での公演は終了なのか……もっと早く気付いてれば……
そう思ったとき、ステージ裏から台車で椅子を運び出す男の人が目の端に入った。
──あれは!マジックで使っていた椅子!あの人、関係者だ!
恵一は男に走りよると、大きな声で呼び止めた。
「スミマセン!その椅子、さっきショーで使ったヤツですよね!」
「あぁ、そうだよ」
男は「なげせん箱」用のシルクハットが乗っていたパイプ椅子をたたみ、運んできた椅子に重ねた。いつの間にか、シルクハットは回収されていたようだ。
「ええッと、スタッフの人ですよね。」
「悪い、オレはスタッフじゃなくて、ここの管理事務所のもんだ。」
「えっ!じゃあ、あの、次回公演がどこで開催とか……」
すぐに行ってしまいそうな男に、慌てて尋ねる。
「さぁなぁ、俺は知らねぇなぁ。言われた時間に貸し出しの椅子をとりに来ただけだし。1ヶ月前には、別の公園でやってたらしいけどな。」
そう言うと男は、サッサと行ってしまった。
ショーの余韻をまだ楽しんでいる何人かに思い切って尋ねてみたが、次回公演を知っている人はいなかった。
本来はジョン&メリッサという2人組のユニットで、先週から、あの魔女みたいなマジシャン、メリッサが単独公演している。わかったのはそれだけだった。
──見つけてやる!野外ステージなんて、そんなにないはず!
大き目の公園をピックアップして……あの女の人が言ってたYouTubeをもう一回みてみよう……それから……
次の公演を探りだしてやる!と、恵一は興奮しながら家路を急いだ。
この時はまだマジックショー、いや、あのマジシャンとの出会いが恵一の運命を大きく変えることになるとは夢にも思っていなかった。




