最終章:完璧な欺瞞
僕は、驚いて、目を開けた。
そこには、僕の知っている主任の姿はなく、スーパームーンの光に照らされた1匹の狼がいた。
「これは一体どういうことだ?」
「君は誰なんだ?」
『部下の顔を忘れるなんて、上司として、その言葉を職場で言ったらパワハラですよ。』
「いやいや、忘れるんじゃなくて、初めて見る顔なんだから、分からないに決まっているだろう。」
とりあえず、彼女に突っ込むが、まぁそんな冗談を言っている場合ではない。
「君も狼だったのか?」
『はい、そうです。』
『だから、何度も、私だったら課代を救えますって言ったじゃないですか。』
何で、こんなにヒントを出してあげてたのに、気が付かないんですか?頭悪いんですか?というような表情を見せる。
人間の時の表情と違い、狼の主任の顔つきは鋭い。
僕は、頭が混乱した。
そんなこと言われたって、分かるわけないじゃないか。
「でも、何で?」
「何で、君は人間に化けて人間の世界に来てるんだ?」
『多分、課代と一緒です。』
『課代、ここで寝てる間、ずっと、お父さんとか、お母さんとか、ご両親のことを口走っていましたよ。』
『きっと犬と間違えられて、どこかの家庭に拾われたんじゃないですか?』
全くその通りだ。僕は、自分の生い立ちを全て彼女に話した。
すると彼女も話してくれた。
『私も、ほとんど同じような感じです。まぁ、あえて違いを言えば、課代はエゾオオカミだったんですね。てっきり私と同じ匂いがしたので、ニホンオオカミだと思っていました。』
「確かに、君の毛色は茶色だし、足と耳も僕より短いね。」
『課代、私が短足とでも言いたいんですか?』
『その発言も職場だったらセクハラです。』
『全く、人間の姿をしている時の職場の課代は完璧なのに、狼になると隙だらけですね。』
僕は、何も言えなくなる。
『人間たちは、最早、野生の勘が無くなっているので、課員は誰も、課代が狼だなんて、微塵も思っていないでしょう。』
『でも、私は、9月末頃から、課代の調子がおかしいことは気がついてました。』
『10月も7日に、スーパームーンがありましたし、その前後で影響が出てきたのでしょう。』
『その時は、まだ少し体調が悪そうだなぁとしか思っていませんでしたが、課長が休暇を取って、一気に業務量が増えて、疲労と心労が溜まって、今日の最大のスーパームーンを迎えたら、もっと体調が悪化するだろうなと思いました。』
『去年もこんなに影響があったんですか?』
マシンガンの如く、話しを続ける彼女から、ようやく僕にバトンが渡されるss。
「いや、満月の日になると、だいたい狼に自然に戻ってしまうんだ。」
「でも、これまでは、日中に発作が起きたことや身体症状が出たことないんだけどね。」
「歳を取ったのかな。今年に入ってからおかしくなった。」
『まあ確かに、年齢の影響もあるとは思いますけど、課代は働きすぎですよ。』
『課長の分の仕事もして、副主任の分の仕事もして、そもそも人間に化けること自体も結構体力を使うのに、3人分の業務量と責任を背負っていれば、自分でコントロールもできなくなって当然ですよ。』
人間の時と違い、狼の時は、彼女は僕に説教ばっかりしてくる。
「そうかもしれないけど、僕は、人間に狼だとバレることが怖かったんだ。」
「昔から狼少年の話もあるし、近ごろは人狼ゲームも流行っている。」
「人間にとって、狼はずっと処刑する対象なんだ。」
「だから、狼だとバレないように、必死に人間たちから好かれようとしていたんだ。」
『バレないようにするために、無理をしないのが大切なんでしょ。』
『もう本当に大変だったんですからね。課代をここまで連れてくるの。』
これまでの事の顛末をニホンオオカミの彼女から全て聞いた。
新宿駅から総武線に乗った後、僕は、眠っていたというよりも、気を失っていたような状態だったらしい。
彼女の肩に頭を預けて、ずっと、お父さんとか、お母さんとか、まさに夢の中に出てきたようなことを言っていたらしい。
彼女は、こんな満員電車の中で、狼になったらマズイと内心冷や汗をかいていたが、何とか彼女の家の最寄り駅である東船橋駅まで辿り着けたので、僕を担いで降ろしてくれたそうだ。
駅員が心配して『救急車を呼びましょうか?』と駆け寄ってくれたそうだが『家が近くなので大丈夫です。』と言って、駅前ですぐにタクシーを拾って、彼女の家に連れてきてくれたそうだ。
そして、僕は意識がないまま、彼女の家について間もなくして、狼に戻ってしまったそうだ。
『本当に間一髪のタイミングでしたよ。』
『狼になった後、スーツ姿のままじゃ苦しいだろうと思ったので、勝手に課代の服一式を脱がさせていただきました。』
僕は、それを聞いて、急に恥ずかしくなった。
つまり、彼女は僕の体を見たわけだ。これはセクハラになるのか?それとも緊急事態だから情状酌量の余地があるのか?
そんなことを彼女に聞いてみると、彼女は大笑いした。
『そんなことばかり考えてるから、課代は疲れちゃうんですよ。』
『気を張りすぎないで、もっと気楽に生きた方がいいですよ。』
『人間なんて動物界の頂点にいますけど、全員がそんな高尚な思いを持って生きてるわけではないですよ。』
『ハッキリ言って、狼どころか、犬以下とも思える人間も沢山いるでしょ。でも、そんなこと全く気にしてないでしょ。』
『私も、ずっと長いこと1匹で生きてきて、狼であることを誰にも言えなかったので、今日、課代に打ち明けられて良かったです。』
彼女は微笑みながら、言ってくれた。
「僕もだよ。」
「育ての母親と父親と、僕を拾ってくれた命の恩人であるその両親の息子の3人しか、僕が狼であることを知らないんだ。」
「本当の狼の仲間たちからは見捨てられてしまって、3人が他界してから、ずっと孤独だったんだ。」
僕が、そう言うと、彼女は何のためらいもなく僕にキスをしてきた。
そしてそのまま2匹で、ソファの上で重なり合った。
スーパームーンで、感情が高ぶっているのは、どうやら僕だけではないみたいだ。
次の日の朝、お互いに人間に戻り、僕は、一旦、着替えをしに自分の家に戻った。
シャワーを浴びて、じっくり頭のてっぺんから足のつま先までしっかりと洗い、スーツを着替えてから会社に出社した。
彼女からは、色々と説教をされたが、それでも僕はこうやって人間としての社会人生活を20年も生きてきてしまったのだから、そう簡単に思考や感情は変えられない。
僕は、また副主任が間違えた書類に赤ペンを入れて、差し戻す日々を繰り返す。
1つだけ違うことは、主任の彼女とは会社では変わらない関係を保っているが、会社の外では、人間として、狼として、お互い愛し合う大切な存在になっていた。
僕は、人狼として、お父さんとお母さんの息子として、一族の生き残りとして、新しい幸せな家族をこの人間世界で築いていこうと決心した
僕は、人間の姿の時には、手と足として使っている前足と後ろ足を丸めて、大きく前に出た口と黒い鼻を前足に置いて、頭の上にある大きな耳も横にして、狼の姿に戻り、彼女と一緒に、今日も彼女のベッドの上で、眠りに落ちた。




