踏み台
「寒い。マクラ。絶対に出てくるなよ」『言われなくとも』
現在、白々燐の牢獄内へとゲストとして招かれている。冷凍庫と化したモール――あくまで異界として複製されたもの――の商品棚は立ちどころに凍りついた。禊力を纏い、擬似的なコートとする。凍傷は起こさずに済みそうだ。
「あなたへの禍いは弱めてあげてるわよ。せいぜい冬の北海道レベルだわ」
「冬の北海道はこんなに寒いのか。転生意欲がなくなってきた」
ブルブル震える。たまに旅行し、宗谷岬で記念撮影するくらいが一番良い距離感なのかもしれない。手が悴んできた。一方の白々燐は、まったく問題なさそうにスタスタと歩き始める。
さすが雪女。頼もしい背中についていく。ふと横を指差した。テレビコーナーだ。
「当瀬日文は、どういうテレビが欲しいのかしら?」
「大画面とか憧れるよな。あの最新型の86インチテレビとか。凍ってるが」
「へえ。買ってあげなくもないわよ」「は? 高いぞあれ」
「ふん。私にとっては端金よ」「どういう風の吹き回しだ」
訝しむ。白々燐は出会った時から、僕をパシリにする代わりに奢ってくれることは多々あったけれど、四十万は高過ぎる。別の電化製品エリアに入る度に、白々燐は何が欲しいか尋ねてくる。怖い。奥に潜む計略を感じる。
二階、三階と上がっていき、四階に辿り着く。霜の降りたエアコンや空気清浄機に歓迎された。町代の気配は四階から移動していない。彼女一人を牢獄に隔離したことで、正確な位置も分かる。ある一箇所で止まっている。極寒に晒されて、身体機能が休止した公算が大きい。
「殺してないよな?」「町代祝の運次第ね」
「不安だ。あいつはラッキーガールとは到底言えない……あそこだ」
二つの陳列棚の狭間に、町代の反応があった。警戒しつつ覗き込む。座って項垂れる少女の姿があった。ピンク色の頭。町代だ。
側に寄る。意識があるかは不明だが、彼女に話しかけた。
「特別捜査士の権限で逮捕する。お前は許されないことをした。安心しろ。更生には付き合ってやるから」
赤く腫れた手を取る。妙に軽い。嫌な予感がした。ピンクの髪を持って顔を上げる。目を見開いた。
「なっ!? 【囮】だと!?」
叫んだ瞬間、町代人形は膨れ上がり、凄まじい勢いで爆発した。禊力で守りつつ、バックステップで逃げる。着地先に【矢】が飛んできた。転んで躱す。
左手二の腕に鈍い痛みがあった。プラスチック片が刺さっている。引き抜いた。VOTEのタッグ妖怪を通じて痛みが増幅される。マクラは必死に耐えているようだった。
「大丈夫!?」「安心しろ。怪我は軽い」
「【矢】はどこから打ってきたのかしら」「あっちだ」
飛んできた方向に走る。直感した。最後に会った時よりも、町代の技量は格段に上がっている。寒気がして振り返った。横合いから、白々燐の脳天を通る軌跡の射線が描かれる。彼女は間一髪で躱す。
「ちょっと! 牢獄のバフ効果がなきゃ刺さってたわよ今の!」
怒り心頭に掌を張り出した。ブリザードを発生させる。白々燐の前方すべてが氷に覆われた。凄まじい威力だ。
「殺すなよ」「なんでよ! 殺してやる! 絶対に!」
「頭を冷やせ」「常にクールよ私は!」「物理的にはな」
精神的な熱で融けないか心配だ。伝承とは違い、春になると融けていなくなるという性質は雪女にはないけれども。肉体的な組成、どころかDNAの形態や遺伝子情報まで人間と一緒なのだ。だから生殖も可能らしい。陽の気が流れているか陰の気が流れているか、くらいしか差がない。
町代の氷像はどこにもなかった。白々燐の吹雪では捉えきれなかったようだ。彼女は生きている。しかし気配は分散している。どこに潜んでいるのかまったく分からない。
じっと腰を据えて構えた。根比べだ。五分、十分と経つ。負担を弱めてくれているとはいえ、僕は牢獄のゲスト。少しずつしんどくなってくる。が、町代の方が条件は厳しいはずだ。禍いの極寒、デバフ効果。普通の人間なら死んでいる環境。死ぬ前に終わらせないと。
恐らく青くなってきただろう唇をかすかに動かし、「町代」と呟いたのと同時だった。
「【砲】」
彼女の声だった。紫電を纏う光線が、僕らに向かって降り注ぐ。なんだこの技は。初見だったがどうにか対処する。紫の波で形作ったシールドを、白々燐が氷で補強してくれた。息がぴったりだ。
爆発が起きる。防御壁は破壊され、その余波で吹っ飛んだ。着地する。足で踏ん張った。町代の声がした方角に駆ける。
煙を散らした。ショッキングピンクの髪。正真正銘、本物の町代だった。
「【矢】」「【刀】」
術を切り落とす。町代は落ちているアイロンを掴み取り、紫の波でコーティングして投げてきた。手で弾き飛ばす。
「気持ち悪い」「え?」
「二人の私がいるみたい。アイデンティティのダブスタっていうかさ。当瀬くんが好きな私と」
先ほどよりも規模は小さいが、彼女は再び【砲】を打ち込んできた。一点突破の威力では、僕が見てきたどの術よりも強いと思う。くれむの「白震」を除き。
「当瀬くんを喰らいたい私」「どういう意味だよ」
「さっぱりだよ。全部が全部。何がなんだか、意味が不明」
町代の背後から、白々燐が殴りかかる。町代は屈んで回避し、そのままカポエィラで蹴りを入れる。
驚愕する。牢獄のデバフを受けているとは信じられない機敏さだった。白々燐の顎にクリーンヒット。普段の彼女なら避けられたはずだが、激昂して視界が狭まっていたのだろう。自分の牢獄で敵が身軽に動けるはずがないという傲りもあったに違いない。
間に割り込み、白々燐への追撃を払う。町代はバックステップで距離を取った。「ん?」と手足を振るう。ピョンピョンと跳躍した。
「体が軽くなった。寒くもない。牢獄が切れたんだね」
周囲を眺める。モールの客がたくさんいた。
「燐」「ごめんなさい。一瞬だけ意識が。責めないで。嫌わないで」
「責めないし嫌わない。燐は失敗を糧に成長する人だから」
町代が手を叩く。パチンと音がした。「お願い」と申し訳なさそうに頼み込んでくる。
「見逃して欲しいなぁ。なんて。まだ白々燐や当瀬くんと戦える域には達してないんだよ」「呼び捨てにするんじゃないわ」
「見逃すわけにはいかない。お前には、本物の牢獄で罪を償う未来が待ってる」
「ケチだなぁ。でもまぁ、逃げる算段くらいはついてるよ」
指パッチン。アイロンコーナーの辺りで、多大なエネルギーを有した紫の波が炸裂する。客の一人が金切り声を上げ、パニックに陥った。すぐさま二回目が起きる。巻き込まれて負傷する妖怪もいた。
牢獄が敷かれる前から仕込んでやがったのか。
「町代っ!」
気を取られている隙に、床に生じた穴から逃げる町代。まただ。ゲームセンターで同じ失態を犯したばかりというに。慌て慄く客たちに視線をやり、少し逡巡してから、町代を追いかける決断を下す。
「待て! 待ちやがれ!」「鬼ごっこは、まだまだこれからだよ!」
大型電器店の外に出る。「見つけたぜピンク頭ァ!」と、鬼の首をとったような声音が道に響いた。021番、湯刺零仁だ。側にリサちゃんもいる。
「死ねやゴラァ!」「ふふ」
町代は零仁の懐へ掻い潜り、顔を鷲掴みにした。一般人の頭蓋骨なら粉々に砕ける勢いで地面に叩きつける。コンクリートの地面が放射状に割れた。
「ざっこ」「湯刺!?」
リサちゃんは叫ぶ。町代に睨まれ、怯えて震えた。あの暴力が飛び火すれば、リサちゃんでは一溜まりもない。急いで背中に庇う。「住民の避難誘導を」と目配せした。コクリと頷く。
町代は眉を顰めた。
「誰だっけその子。どこかで会ったような覚えがあるね」
「ああ。さっき弟子にした。この子はちゃんと、真っ当に育てる」
「……え?」
白々燐の牢獄よりも、さらに冷え切った疑問符。口元を抑える。言葉の選択を間違えたと悟った時には、もう後の祭りだった。自分を殺したい。
当瀬日文と町代祝の関係に、外せない楔が打ち込まれた。
左目だけでなく、右目までもが、ショッキングピンクに染まっていく。
「ねえ。私って当瀬くんの……ただの踏み台だったの?」




